「人は結局、自分の思想に生き、死ぬのだ。」 | 加納有輝彦のブログ

「人は結局、自分の思想に生き、死ぬのだ。」

 日ごろ、よく考える。私の定点観測。

 

 「南原さんだったらどう考えるかな~」

 

いよいよ南原さんがご活躍された年齢に近付いてきた。

 

 「若輩者の自分」という言い訳が効かなくなってきた。

 

南原さんから私が学んだ最大のこと、

 

それは、

 

「人は結局、自分の思想に生き、死ぬのだ。」ということ。

 

大師大川隆法総裁から学んだ法に感動し魂が共振した時、それは同時にそれと共に生き死にするであろう「自分の思想」となる。

 

 己が生き死にする思想が、「実証主義的学問的検証」に耐えうる「科学的根拠」を示す必要があるとは、必ずしも思わない。

 

 己の中で、美しい虹を描いていることが大事であって、それが、必ずしも科学的に実証された歴史的事実である必要はない。

 

 具体的にいいましょう。

 

南原さんが、しばしば「龍馬最後の手紙」と感動をもって紹介された手紙

 

~龍馬は天よりの使いにて、この国に新しき種を植え付けに現れたものとおぼしめしくだされ、私死すとも、日本の諸方に新しき花が咲きそろわば、誠にめでたきこととお笑いくだされたく候。何卒、斯角(しかく)お笑いくだされ度候~

 

 これが本当に最後の手紙だったという資料を私個人的には見出すことができなかった。

 

 しかし、そのような事はどうでもよかった。

 

南原さんは、己の「龍馬像」という虹を描き、その思想と共に生き、死んだのだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 また、南原さんは、

「ギリシャ精神というのは、『指揮官先頭』なんだ。」とよく仰った。

 

1991.7.13 名古屋中部本部にて (南原さん64歳)

 

 今、○○を総裁先生が一番大事に考えられている。その

最前線に立っている私が、そりゃー実際の実情、全部知って

おりますんでね。

 ですから、私は、休めないんです。もう、この老骨にムチ

打ってね、絶対に俺は倒れないという信念もっているんです。

 

 何故ならば、ギリシャ精神というのはね、指揮官先頭

なんです。いつも、先頭に立ってバァーーーーっと突っ込んで

いかなければならない。

 それが、ギリシャ精神なんですね。・・中略・・

 

 精神的にも、体力的にも劣ってはならないという鉄則が

あるんですね。これがギリシャ統一のためにヘルメス様と共

に、戦った兵士たちの鉄則でもあるんです。

 

 指揮官先頭なんですね。日本というのは、わりと大将という

のは、後ろにいて指図するんですね。

 

 しかし、そうでもないんですね、上杉謙信、この方はいつも指揮官 先頭、白馬にまたがってダーーーッと突っ込んで

行きますね。これがギリシャ精神の現れであると同時に、

幸福の科学の精神だと私は、思うんですね。

 

 指揮官先頭・・・

 

 この前、鹿児島から帰ってきてね、殺人的強行軍、強行

スケジュールで鹿児島まで行って帰ってきた。

 

 紀尾井町の本部の、あの階段、すごい階段あるでしょ。

長いんですね。わりとね。みんな、エスカレーター、あれに

乗ってるんです。

 

 私はね、足が笑ってるんですね、あまりの疲労でね。

それでも必ずエスカレーターに乗りません。一歩一歩

階段を踏みしめて上がる。

 

 それは指揮官先頭という精神、私の体にあるわけです。

 

どーんなに、くたびれてても、私は、エスカレーター

使わない。

 

 今、皆さんよく見てごらんなさい。新幹線でもどこでも、

あの高い階段上っている人、一人もありませんぜ。

だいたいエスカレーター乗っている。

 

 一人、歩いて上っている人があったら、私だと思って下さい。

 そのくらいね、やっぱり指揮官先頭というのは、大変

なんですね。それくらい私は大変だと思います。

 

・・・・・・・・・ 引用以上

 

 

  この「指揮官先頭の精神」も、学問的に根拠があるのかどうか定かでない。

 

 しかし、それもどうでもいいこと。

 

南原さんは、指揮官先頭の精神で生き死にしたのだ。

 

 

 己の心に「虹」を描けるかどうか。

 

明治維新の再評価、「司馬史観」の否定で、子供たちの心から、青年たちの心から「虹」を消し込もうとしているのは、あまりに情けない。

 

 我々は虹を描くのだ。

そして、その虹と共に、行き、死ぬのだ。

 

映画「切腹」南原宏冶

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