スターティング・オーバー(僕の1991年)景山民夫 | 加納有輝彦のブログ
2019-03-06

スターティング・オーバー(僕の1991年)景山民夫

テーマ:ブログ

 時に、生き物の本能(自己保存欲求、自己防衛)と逆行する生き方をする人間が存在する。

例えば、吉田松陰。自らの命を投げ出し、時代を切り拓く。

その凛とした精神の余韻が、同時代、そして後世の若者を感化し続ける。

 

 私は、故景山民夫さんも、生き物の本能と逆行した生き方をされた方と思う。

 

講談社に反旗を翻した事だ。(講談社フライデー事件)

 

 作家にとって、当時の講談社といえば、例えば、今私は建設業界で飯を食べているが、仕事をくれる大手ゼネコンの総元締めのような存在であったろう。今の私に仮に、大手ゼネコンに不正があったとして、たった一人で反旗を翻す勇気は正直ないと思う。おまんまの食い上げとなる。情けない話であるが。

 

 もし、今、景山民夫さんがご存命ならば、景山さんが、作家生命を賭して戦う相手は、居酒屋の酔っぱらいが憂さ晴らしで話すような与太話を、何一つウラ取り取材もせず一方的に掲載し、人を傷つけ、金儲けをしている「週刊文春」「週刊新潮」の類であろうことは想像に難くない。

 

私がそれを確信するのは、景山民夫さんが「スターティング・オーバー(僕の1991年)」という著書のあとがきで書かれている氏の純粋な真摯な決意を読むからである。(後半に引用しますのでぜひお読み頂きたい)

 

 時代は下り、時代は劣化し、今や「週刊文春」に与太話を進んでリークする、いや提供する時代である。そして何がしかのおカネ、おまんまを喰らう。

 自己保存・自我我欲の極み、動物より劣る行為である。恥ずべき行為である。武士道はもはや消え去った。

 

景山民夫さんがご存命ならいかほどの悲しみをそして怒りを感じられるだろう。

 

 読者諸兄姉にぜひ、景山さんの真摯な純粋な思いを再び振り返って頂きたい。

もちろん、景山さんの「スターティング・オーバー」というタイトルは、ジョン・レノンの楽曲からの引用です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

全世界に衝撃のニュースが走った。

1980.12.8の夜の事ははっきりと覚えている。

私(加納)は、学生寮の売店で下級生の女の子にその一報を聞いた。

ジョン・レノンが射殺されたと。

5年の沈黙を破って前月発売されたばかりの「スターティング・オーバー」(ダブル・ファンタジーからシングルカット)は全世界でチャート一位を記録。

連日、ラジオからパーソナリティーの哀しみのコメントと共に流れ続けた。

 

Starting Over ジョン・レノン

 

Look out!

ほら

Our life together is so precious together

二人一緒だからこそとても大切な僕らの人生

We have grown, we have grown

年も取ったし成長もした

Although our love is still special

僕らの愛はそりゃ今でも特別なものだけど

Let’s take our chance and fly away somewhere…

この際思い切って どこか遠くへ旅立ってみようよ

(over and over and over) starting over

(何度だって)最初から始めるのさ

 

 

それから10年後、故景山民夫さんは、「スターティング・オーバー(僕の1991年)」という著書を発刊した。

「スターティング・オーバー(僕の1991年)景山民夫:著」のあとがきを引用します。

 

 ~表題の『スターティング・オーバー』という言葉でも明らかなように、この1991年という年は、僕にとって、まさに原点回帰、あるいは一からの出直しの年であった。

 

 大袈裟な言い方を許していただければ、この年、僕は一度死んだ。つまり、それまでの自分を一回精算し、まったく新しい人生を歩み始めたような気がする。44年間の人生に一度ピリオドを打ち、その間に身に付いた不要な殻をこそぎ落として、新生児のような気持ちで再スタートを切ったのだと、自分では思っている。

 

(中略)読者諸兄姉の視点から見て、1991年における僕の周辺での最大の出来事といえば、やはり、フライデー事件だろうと思う。

(中略)一作家が、日本最大の出版社に対して、己の信仰を理由に反旗を翻す、というのは昨今の日本では未曾有の出来事であったのかもしれない。

 

(中略)作家は、常に自らの書くものがその読者に何らかの知的栄養素を与えて欲しいと思いつつ、原稿用紙の桝目を埋めていくものなのだ。少なくとも僕はそう考えて仕事をしてきた。

 その根本的な意識を喪失してしまった出版社とは、僕は仕事をつづけたくない。そんなことをするなら、如何に文芸界でホされようと、あるいは社会的には一度死のうと、その方がマシだ。

 

 それが、「スターティング・オーバー」という言葉の意味でもある。少なくとも、僕は書くことに、生きることにおいて、真剣です。一行一行に真剣です。

(中略)そして、真剣ではない、いい加減でもその場さえやり過ごせば何とかなるんだろ、という勢力と戦いつづけてきたつもりです。~

 

 1991年から28年。時代の劣化にため息がでるばかりであるが、それでも我々は何度でも何度でも(over and over and over) starting over 再スタートを切らねばならない。

 

 とち狂った与太者が暴れている今だからこそ、景山さんの潔さを振り返ってみたかった。

 

 

 

 

 

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