蜂の一刺しの記憶 | 加納有輝彦のブログ
2018-10-11

蜂の一刺しの記憶

テーマ:ブログ

 暑さ、寒さの刺激が、健全な脳幹を育てる・・・・

 

 皆さんからも「初めて知った・・・」とか「戸塚氏の講演を聴いた・・・」とか、いろんな反響を頂戴し、さらに私もつらつらと考えていますとふと、ある記憶が鮮明によみがえりました。

 

 まだ学生だったか、社会人一年生の頃だったか、定かではありませんが、かなりディープ?な悩みで悶々としていた時、田舎へ帰省中だったので、竹藪へ兄とタケノコを取りに行きました。

 

 するとある瞬間、足に激痛が走り、何事かと思うと、あしなが蜂かなんかに刺されたんです。

 

 すると、不思議な事に、翻然と悟ったというと大袈裟ですが、さっきまでの悩みが激痛で吹っ飛び、悩みが雲散霧消、消えてしまいました。

 

 それも一種の身体感覚なんですが、その時の事がありありと思い出されました。

 

 まあ、蜂の一刺し、「おぬし、そんな下らんことで悩むな。阿保らしい。」と一喝された感じ。実際、それから心は痛みという代償と共に、晴れやかに軽くなりました。(笑)

 

 スマホのない青年時代、読書なんかも今から思うと、一つの身体感覚としてインプットされている感じがします。

 

 それは、畏れ多くも総裁先生ではありませんが、冬の寒い夜、離れの一室で、凍える手を温めながら、首にはマフラーをまき、活版印刷の凹凸を手に感じながら一頁、一頁めくっていく、肌触り・・・。

 

 読書も身体感覚として記憶されています。

手紙も書き手の筆圧を感じながら読みましたね。

 

 現代の空調完備の電脳空間で、これらの身体感覚を失い、パソコンの画面を前にして、いろいろ暴れている御仁を見るにつけ、

 

「小人 閑居して 不善をなす」とはこの事。

 

 身体感覚を取り戻せ!

 

 冷水を浴びせ、正気を取り戻せと!往復びんたをして目を覚まさせたい。

 

せめて、厳寒あるいは酷暑に肉体を晒せ。

 

 小人に必要なのは、説諭ではなく、身体感覚を与えることであると個人的には強く思うのであります。

 

 一昔前であれば、まずは、往復びんた。

 

小学生の時、一度だけ、先生からびんたされ叱られたことがあります。何十年経っても、先生の「厳父の如き愛」を身体感覚として覚えています。

 

現代、体罰はご法度ではあります。

 

 電脳空間で、身体感覚が希薄になれば、肉体を防波堤に支えられていた「正しさ」、それは「義理人情」でもあろうし、「恥を知る心」でもあろうし、「惻隠の情」、「恩を感じる心」でもあろうし・・・則ち武士道、騎士道精神、それらが崩壊していくと思われる。

 

 決して、他人事ではない。

 

ただ、暴れている御仁を見て,人生という大海が、パソコンの画面とその前に座って暇をもて余した怠惰な存在に矮小化されている、、、もっと人生は素晴らしい。

 

 いま、私が蜂に刺されたら、きっとこんな下らないことにあれこれ思い患うな、そんな暇はおぬしには一刻もないぞ!と

 

 

  

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