「大正」は遠くになりにけり | 加納有輝彦

「大正」は遠くになりにけり

昨日(8/12)は、善川三朗名誉顧問先生の命日。

 

昭和が終わり平成に変わってすぐ、短期間であったが聖地徳島にてお仕えさせて頂いた。実際は、お仕えしたのではなく逆にただただ、ご迷惑心配をおかけした半年だった。

 

 その半年は、痛恨の極み、しかし、顧問先生を初め関係者の皆様(新谷さん等FBフレンドにもいらっしゃいます)の「情」「愛」「許し」により今、こうして元気に生きております。感謝あるのみです。

 

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 先日、党美濃加茂市代表の木村すみえ氏に同行しU氏宅を訪問した。

 木村氏の後援会活動の間に、支援の気持ちを表明して頂いた方。もちろん私は初対面であった。

 

 話が横道にそれて私の故郷の話となり、U氏の名字が比較的珍しい姓だったので、同姓の私の中学の恩師の思い出話を何気に語った。

 すると、そのU氏は、私の恩師のご長男さんであることが分かり、びっくり仰天!!!しかもご健在という。

 

 もう40年以上お会いしていない。その恩師は、当時退職まじかのベテラン教師(教頭)だったので、まさかご健在とはさらに驚いた。

 

 大正10年生まれ、御年97歳で頭はしっかりしていらっしゃるという。(善川名誉顧問先生も大正10年生まれ。)

 

 私は、恩師にまつわるエピソード話を二つ三つ語った。

 

しかし、後で、よくよく考えてみると記憶が混濁していたらしく私が語ったエピソードは、小学校の時の教頭先生(別人)のものだった。

 

 「先生は、授業中、よく脱線して、戦争従軍中の話をされて、よく中国語を教えてくれました・・・不振(ぷしゅん)、独身(とぉーつぅいん)とか今でも覚えています・・・」

 

 私は、別の先生のエピソードを話していたのだが、共に大正生まれの先生、共に中国へ従軍した先生、何の矛盾もなくご長男さんは、「そう父は中国へ従軍しました。」と笑って頷いておられました。

 

主語が変わっても話の辻褄があってしまう大正生まれの男性の共通体験とは、戦争。

 

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1,348万人という数字は、大正生まれの男の人数である。

そして大正生まれの男たちの戦死者の数は、およそ200万人にのぼる。

 すると、同世代の約7人に1人が戦死したことになる。

 

昭和20年8月の終戦時、大正生まれの若者は、18歳から33歳だった。大正8年生まれの私の父は、26歳だった。(顧問先生、U氏は24歳)まさしく最前線で戦った戦争の主役世代であり、戦後復興の主体でもあった。

ちなみに、大正15年(昭和元年)生まれは、今年92歳になる。

 

 ノンフィクション作家門田隆将氏は云う。

~大正世代は、多くの若者が、世の中のなんの楽しみも知らないまま死んでいった。そして大正世代を「他人のために生きた世代」と思っている。~

 

 来る終戦記念日は、大正時代に生まれ散華した200万人の英霊に思いを手向けたいと思います。

 

 

名誉顧問から頂いた句にいつも励まされました。

 

 

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