往年の女優 加藤勢津子さんのこと | 加納有輝彦のブログ
2018-08-09

往年の女優 加藤勢津子さんのこと

テーマ:ブログ

 津川雅彦氏がお亡くなりになられた。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

日本映画の父、マキノ省三氏の四女・マキノ智子さん(女優)の次男、マキノ家の一員であることはあまりにも有名。
 実兄は長門裕之氏であることもよく知られた事実。

 

私は、津川雅彦氏にまつわる忘れられない想い出がある。

 

 昭和60~61年あたりの事だったと思う。
当時、FBフレンドの今城啓子さんと同じKDD(国際電信電話㈱)に務めていて、沖縄県南城市玉城百名に海底ケーブルの中継所を建設するために、ちょくちょく沖縄に出張していました。

 

 そんな折、沖縄市だったか宜野湾市だったか、たしか那覇市ではなかったと思います。ある小さなスナックに行きました。

 名前は、記憶を辿ると「グランママ」みたいな名前?の店。

 

 ママさん一人の店だったような記憶。

 

 私は、ママさんの顔を見るなり「どこかで見たことのあるお顔、誰かに似ているなあ・・・」
 鷲鼻ではあるが鼻筋がはっきり通っている・・・う~ん、そしてハタと気付いた。


 俳優の津川雅彦さんだ!!!

 

 女性であるママに、二枚目とはいえども男優の津川雅彦さんにソックリ!と言うのは失礼と思いつつ、おそるおそる聞いてみた。

「あの、俳優の津川雅彦さんにとても似ていらっしゃるのですが・・・ご親族とか何か・・・?」

 

 するとママは、即答で「はい、妹です。昔、加藤勢津子という名前で女優してました。」と言われ、びっくり仰天!

 

 よく見ると、店には、女優として活躍しておられた頃の週刊誌、雑誌がいっぱいあった。
 大変な売れっ子女優さんだったようで、多くの雑誌の表紙を飾っていた。

 

 当時(1950年代~60年代)は、長門裕之、津川雅彦、加藤勢津子といえば、長門三兄弟(兄弟姉妹)という事で一世を風靡したという。

 

 店には、私とあと一人か二人くらいでしたので、いろいろ身の上話を伺いました。

 

 どうも、日本の映画界を代表する「名家」の一員のプレッシャーに反抗心が芽生えたようで、ご本人曰く、「流れ流れて・・・・」※沖縄の方には若干失礼な表現と思いますが、そのままの言葉です。お許し下さい。

 

 当時、加藤勢津子さんは、40代半ば。そう言われてみれば、女優のオーラ・華を感じたことを覚えています。

 

 ご本人は、沖縄の気ままな生活を楽しんでおられたようでした。

 

 大スター一家のついこの前まで売れっ子女優さんと沖縄の小さなスナックでお会いした事に、当時、大変驚きました。

 

 長門裕之さん、津川雅彦さんはもちろん知っていたのですが、私は、加藤勢津子さんは知りませんでした。
 帰ってから調べると、確かに売れっ子女優さんでした。

 加藤勢津子さんも2003年10月18日、61歳という若さで他界されておられます。

 

加藤勢津子さんの事は、忖度すれば、マキノ家にとって、あまり知られたくないことかもしれません。
 ただ、長門氏、津川氏、南田洋子さん、浅丘雪路さん皆鬼籍となり、書いてもいいかなと思いまして。

日本映画界の名家、マキノ家も、ほとんどの方が鬼籍となられました。合掌。


 
写真は、週刊読売昭和40年6月20日表紙を飾った加藤勢津子さん

 

 


南原宏治主演の「無法松の一生」(テレビドラマ1964/04/15~1964/07/08:13回シリーズ)、松五郎(南原宏冶)を慕う元・芸者で瀬戸物屋を営む女タミを演じる加藤勢津子さん

 

「無法松の一生」(テレビドラマ1964/04/15~1964/07/08:13回シリーズ)、松五郎(主役)を演じる南原宏冶さん

 

 

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