加納有輝彦のブログ
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2018-08-17

感傷の雨・・・追憶の穴沢利夫少尉

テーマ:ブログ

 かつて岐阜護国神社の宮司が、終戦直後の護国神社の「荒廃」ぶりを書いていたのを記憶している。

 

 当時の世相として、とりわけ、特攻隊員の生き残りに対し「特攻崩れ」と白眼視し、命を捧げた者に対して「犬死」と侮蔑した・・・。

 

 終戦を機に、180度価値観がひっくり返った。

 

 もちろん、死を覚悟し生き残り、戦後の社会に身の置き所なくヒロポンなどに溺れてドロップアウトした若者もいたという。

 

 しかし、知覧特攻平和記念館の展示室等で出会う若者は、極めて優秀な方々だ。

 

穴沢利夫少尉。・・・過去、何度か書いたが、8月15日になるとどうしても思いを手向ける方。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 23歳の若さで特攻に散った穴沢利夫少尉

 

 知覧特攻平和祈念館の展示室に黄ばんだ切り抜きの一文(穴沢少尉が出撃を目前にして書いたもの)がある。

 

 多くの方に感銘を与え続けている。

 

 

~夕べ、大平、寺沢と月見亭に会す。

 

憶良の「酒を讃える歌」を思い出す。たまにはよきものなり。

 

 春雨が降るからとて何もセンチになる必要はないぢゃないか

 

 今更センチになるお前でもあるまい

 

 明日、明後日のいのちぢゃないか

 

 愚かな、もの思いはよせ

 

心の隅でいくらこのような声がきこえても、やっぱり俺は感傷の子さ。

 

しっとりと雨に濡れる若葉の道を一人歩いてみれば、

 

本燃の性格が心の中で頭をもたげてくる。

 

忘れて了ふには余りにも惜しい思い出の多くが俺の性格のかげから一つ一つ覗き出る。

 

過去のない男、世の中にそんな男があれば春雨も降りはしまい。

 

若葉も南国の春を伝へまい。~

 

 

詩人・福島泰樹氏はこの手記に感動した。

その感動をこう書き記した。

 

「爽やかな感性が降らす豊饒の雨だ。出撃を前に、悲愴感の欠片もありはしない。せめて感傷の雨となってわが身を存分に濡らそうというのか」

 

 

穴沢利夫少尉の「婚約者への遺書」がある。

 

 

~今更何を言うかと自分でも考えるが、

 

ちょっぴり欲を言ってみたい。

 

1.読みたい本

「万葉」 「句集」

「道程」

「一点鐘」「故郷」

 

2.見たい画

「ラファエル 聖母子像」

「芳崖 悲母観音」

 

3.智恵子。

 会いたい、

 話したい、

 無性に。~

 

 

一昨日の朝、

岐阜護国神社に降っていた雨は、

あるいは、爽やかな感性が降らす豊饒の雨、感傷の雨だったのかもしれない・・・

 

穴沢利夫少尉

 

 

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2018-08-16

英霊の涙・・・平成最後の終戦の日

テーマ:ブログ

  昨日は、岐阜護国神社に参拝。岐阜市、西濃中濃東濃と街宣を致しました。


 お盆の最中、街を歩いている人は通常と比べれば少ないようでした。
 地上の人々だけでなく、先の大戦で散華した御霊に向かって感謝と決意を手向ける思いで街宣させて頂きました。

 

 平成の御代最後の終戦の日

 

 私たちの先輩達の諸々の思いの中から、最も崇高な部分のひとつであろう「アジアの同胞の植民地支配からの解放」この志を今一度受け止めた時、現在只今アジアで起っている人権侵害に対して、我々は、先輩方のように立ち上がらなければならない・・・そのような思いが強く湧いてまいりました。

 

 ウィグル自治区等で起っている人権侵害に対して、私たちの先輩は必ずや立ち上がっていたであろうと思いました。

 

 NHKが昨晩、終戦の日に、「ノモンハン」を特集し陸軍幹部のどうしようもない責任転嫁、組織の腐敗を炙り出していました。辻政信氏に対する「憎悪」が再び再燃するのを気遣ってか、政信氏の次男まで取材し、弁明の機会も与えていました。

 

 しかし、番組後に残るのは、深いため息のみ。やるせなさ。

 

それは確かに、最前線で人間でなく駒の一つとして扱われた歩兵の恨み節を代弁していたのかもしれません。

 

しかし、未だ、なにゆえに戦い死んでいったか理解できずにさ迷える御霊を供養するためには、感謝の心を手向けなければなりません。

 平成の御代、最後の終戦の日に特集すべきは、腐敗した部分でなく、崇高な志の部分(アジアの解放)を取り上げ、300万の御霊に感謝の心を手向けて頂きたかった。

 

 少なくとも、ほんの一滴ではありましたが、私たちは、感謝の心を手向けさせて頂きました。

 

 そんな気持ちを受け止めて頂けたかのような不思議な事も起こりました。慰霊塔の前で、同志が参拝すると、風もないのに隣のご神木が揺れ始め、葉っぱについていた雨粒がしばらくの時間、地面に落ち続けました。

 

英霊の涙の如く。

 

 その現象が、2回続きました。次に参拝した同志の時も起こったのです。

 
私達の赤心は間違いなく天に届いていると思いました。

 

幸福実現党の戦いがいかに困難を極めようと地上に生きる人間のみならず英霊のためにも、神々の期待を裏切るわけにはいかないと思いを新にいたしました。

 

写真撮影:山田グラフィックデザイン 

 

参拝時には雨がやみました。

 

慰霊塔

 

 

 

大川談話を読誦奉納

 

 

 

新岐阜にて

 

大垣駅前にて

 

党美濃加茂市代表 木村すみえ後援会と合流

 

 

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2018-08-14

朝丘雪路さんと苅谷鷺行氏(苅谷深隍)と・・私

テーマ:ブログ

 先般、津川雅彦さんの逝去に伴い、実妹の加藤勢津子さんの事を少し書かせて頂きました。
実は、津川さんより先に逝かれた朝丘雪路さんにも、人の縁の不思議を感じる事があり、書かせて頂きます。

 

 先般、ある新聞社の記者から、私が過去ブログで取り上げたある人物について照会がございました。その人物について調べているようで、結局、私の手持ちの資料を記者に送りました。こういった形でお役に立てたなら、故人にとってもよろしかろうと思いますし、後世の人々のためにも何某かのお役に立てられたならこれに勝る喜びはございません。
 そのような意味において、これから書く内容も、あるいは将来、何らかの研究に資する可能性がなくはないと思い、書かせて頂きます。

 実は、私がいつもポスター等のデザインでお世話になっている「山田グラフィックデザイン」の山田さんの母方の祖父は、朝丘雪路さんの実父・美人画で高名な日本画家・伊東深水氏の一番弟子の苅谷鷺行(かりやろこう)さんその人でした。

苅谷鷺行氏は、大正末期から昭和初期にかけて博文館系の雑誌などで、苅谷深隍(かりやしんこう)の名で時代小説の挿絵を描いたことで知られています。特に、『ポケット』誌上では大佛次郎(おさらぎじろう)とコンビを組み、「鞍馬天狗」「艶説蟻地獄」「幻の義賊」「春宵和尚奇縁」などを描きました。代表作に佐々木味津三作「右門捕物帖」などがあります。小説の発表の場は朝日新聞、報知新聞など日刊新聞紙上がメインでした。
 

 苅谷鷺行氏は、本名を重三といい、東京箱崎町で父・重太郎、母・ふくの長男として生まれました。重太郎の祖父は、岐阜城で祐筆という役職にあった士族でした。

重三は幼少時に母を失いました。また、父重太郎は、日清日露戦争で乃木大将付きとして手柄をたて、小さな勲章を二つ持っていました。重太郎は商人には向かず店を閉店し、重三が十七か十八の時に、病気で亡くなりました。 重三は、早くから深川で炭屋を営む小川貞吉に育てられました。


この小川貞吉と、伊東深水の養父とが友達の間柄だったようで、重三14歳の頃、炭屋の店先で写生している姿をたびたび深水先生が御覧になり、一度連れてきたまえと小川貞吉に言ったことがきっかけとなり、以後、深水先生の内弟子となりました。

 10代で既に名を成していた伊東深水氏は、苅谷鷺行氏を一番弟子として大変可愛がられたそうです。
 伊東深水氏といえば、朝丘雪路さんの実父であることも広く知られた事実。

 

祖父の血を引いたであろう山田さんは、女性ならではの美的センスに満ち、繊細であり、かつ力強いデザインで、長年にわたり政治活動を助けて頂いています。


 もちろん、私は、山田さん自身の才能の恩恵を受けているわけですが、山田さんに流れる「血」の恩恵、つまり先祖の恩恵も受けていると思えば、時空間が広がって重々無尽の人の縁の不思議を感じます。

 NHKの、ファミリー・ヒストリーという番組がございますが、しばしば、出演者の才能が、肉体先祖に由来していることが発見され感動を呼びます。

 このように、私が恩恵を受けている「才能」は、山田さん本人のものであることは当然ですが、山田さんの祖父の才能も流れていると思えば、感謝の念はさらに深まると思うと同時に、歴史空間・時間がぐっと広がっていきます。

 津川雅彦さん、浅丘雪路さんご夫妻の帰天に伴い、不思議な人の縁と紐解いてみました。

 

 

苅谷深隍氏の挿絵  

 

大佛次郎氏とコンビを組み挿絵を描いた。 

 

挿絵 苅谷深隍氏

 

ポストカード 苅谷深隍氏画

 

小説家・劇作家長谷川伸の姿もみられる。  辰見×→辰巳〇

 

若き日の佐藤慶(俳優)の姿も。顎に手をあてているのが苅谷鷺行氏(苅谷深隍)

 

会津魁新聞社時代の名刺

 

朝丘雪路さんのご尊父 伊東深水氏画集

 

山田グラフィックデザインの山田さん(向かって左)

 

 

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2018-08-13

「大正」は遠くになりにけり

テーマ:ブログ

昨日(8/12)は、善川三朗名誉顧問先生の命日。

 

昭和が終わり平成に変わってすぐ、短期間であったが聖地徳島にてお仕えさせて頂いた。実際は、お仕えしたのではなく逆にただただ、ご迷惑心配をおかけした半年だった。

 

 その半年は、痛恨の極み、しかし、顧問先生を初め関係者の皆様(新谷さん等FBフレンドにもいらっしゃいます)の「情」「愛」「許し」により今、こうして元気に生きております。感謝あるのみです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 先日、党美濃加茂市代表の木村すみえ氏に同行しU氏宅を訪問した。

 木村氏の後援会活動の間に、支援の気持ちを表明して頂いた方。もちろん私は初対面であった。

 

 話が横道にそれて私の故郷の話となり、U氏の名字が比較的珍しい姓だったので、同姓の私の中学の恩師の思い出話を何気に語った。

 すると、そのU氏は、私の恩師のご長男さんであることが分かり、びっくり仰天!!!しかもご健在という。

 

 もう40年以上お会いしていない。その恩師は、当時退職まじかのベテラン教師(教頭)だったので、まさかご健在とはさらに驚いた。

 

 大正10年生まれ、御年97歳で頭はしっかりしていらっしゃるという。(善川名誉顧問先生も大正10年生まれ。)

 

 私は、恩師にまつわるエピソード話を二つ三つ語った。

 

しかし、後で、よくよく考えてみると記憶が混濁していたらしく私が語ったエピソードは、小学校の時の教頭先生(別人)のものだった。

 

 「先生は、授業中、よく脱線して、戦争従軍中の話をされて、よく中国語を教えてくれました・・・不振(ぷしゅん)、独身(とぉーつぅいん)とか今でも覚えています・・・」

 

 私は、別の先生のエピソードを話していたのだが、共に大正生まれの先生、共に中国へ従軍した先生、何の矛盾もなくご長男さんは、「そう父は中国へ従軍しました。」と笑って頷いておられました。

 

主語が変わっても話の辻褄があってしまう大正生まれの男性の共通体験とは、戦争。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

1,348万人という数字は、大正生まれの男の人数である。

そして大正生まれの男たちの戦死者の数は、およそ200万人にのぼる。

 すると、同世代の約7人に1人が戦死したことになる。

 

昭和20年8月の終戦時、大正生まれの若者は、18歳から33歳だった。大正8年生まれの私の父は、26歳だった。(顧問先生、U氏は24歳)まさしく最前線で戦った戦争の主役世代であり、戦後復興の主体でもあった。

ちなみに、大正15年(昭和元年)生まれは、今年92歳になる。

 

 ノンフィクション作家門田隆将氏は云う。

~大正世代は、多くの若者が、世の中のなんの楽しみも知らないまま死んでいった。そして大正世代を「他人のために生きた世代」と思っている。~

 

 来る終戦記念日は、大正時代に生まれ散華した200万人の英霊に思いを手向けたいと思います。

 

 

名誉顧問から頂いた句にいつも励まされました。

 

 

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2018-08-11

「20世紀史上最強のポジティブ・ソング」

テーマ:ブログ

 今朝、阿川佐和子さんのトーク番組に、布施明さんがゲスト出演していた。

 トークの中で、2曲、ゲストの想い出の曲を紹介されていた。

 九ちゃんの曲と、植木等氏の「だまって俺について来い」だった。

 

 「だまって俺について来い」は、知らない歌ではなかったが、歌詞のテロップ付きで久しぶりに聴いて、ネットに誰かが書いていた表現だが「20世紀史上最強のポジティブ・ソング」、なるほど、いい歌詞で、いい歌だなな~って改めて思いました。 

 確か、景山民夫さんは、放送作家の草分けの青島幸男さんを尊敬されていたと記憶していますが、クレイジーキャッツのヒット曲をたくさん書いておられたんですね。

 

 この歌詞にあるように自然は私たちの癒し、勇気、希望、インスピレーションの源泉だったと思いますが、近年、自然、自然現象が「恐怖」の対象となりつつあります。

 

 この意味を深く考える必要があると思います。

 

もう一度、この歌のように、自然がおおらかな癒し、勇気、希望の源泉となるように、私たち人間のお立て直しが必要かなと。

 

 その点、そんな端緒となるようなことが・・・。

 

豪雨災害の被災地の方のインタビューの映像が流れていますが、こんなコメントを放送されるのを観ました。

 

「もうあとは、神頼みしかありません」(避難所に避難している方:NHK全国放送)

 

「もう祈り続けるしかありません」(被害を受けた農家の方:民放東海地方)

 

 群馬県では8月7日、4年に一度の脚折雨乞が行われ、今年は酷暑の空梅雨で、海外でも大きく報道されました。その後、本当に雨が降りました。(ちょっと降りすぎましたが)

 

 通常ですと、神頼みとか、祈りとかいう言葉は、オウムのような犯罪報道やお祭り等習俗以外で、通常のニュースで流れることはあまりありませんが、明らかに異常な自然現象が続くと、許容されてくる・・・・何かの端緒になればいいのですが。

 

だまって俺について来い

 

 作詞:青島幸男  作曲:萩原哲晶

 

銭のない奴は俺んとこへ来い

俺もないけど心配すんな

見ろよ青い空 白い雲

そのうちなんとかなるだろう

 

彼女のない奴は俺んとこへ来い

俺もないけど心配すんな

見ろよ波の果て 水平線

そのうちなんとかなるだろう

 

仕事のない奴は俺んとこへ来い

俺もないけど心配すんな

見ろよ燃えている あかね雲

そのうちなんとかなるだろう

わかっとるね わかっとる わかっとる

わかったら だまって俺について来い

 

 

 

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