こころ禅…365日『一🍓一🖼️』日めくり言葉 R24. 6―12

 ほりさんの笑顔の『一期一会』

 【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ、思いをお届けします。

 《心に響く…禅のことば》

 【美しい四季の香り…『一🍓一🖼』禅】

 禅は“こころ”です

 🪷竹有☆*~🧘‍♀☆*~🪷上下節☆*~

 「松無古今色」
  ❲松に古今の色無く❳

 『竹有上下節』
  ❲竹には上下の節有り❳

 と対句になっています。

 「松の緑は春夏秋冬、一年を通じ、季節の変化に変わることなく、常に青々とした葉を茂らている…」
 
 【竹もまた、常緑樹でありながら、はっきりと上下の節があり、違いがある】

と云うことです。

 🪷竹有☆*~🧘‍♂☆*~🪷上下節☆*~

 まとめますと…
 【一見、変わらない松の緑と…

 一見、上下の違いが有る竹の節とは…
実は、その裏には何の違いも無いこと】

を言い表しています。

 けじめをつけながら、人生を突き抜けて生きなさい云うことですョ。

 「竹に上下の節有り」が先で「松に古今の色無し」が後のようですが、いつの間にか入れ違ったようです。

 どちらでも、同じ意味ですから構(かま)いませんネェ。

 《松の緑》は「不変」と「変化」が同時に存在しながら【平等】を表し。

 《竹の節》は、上下の「違い」がある【差別】を云っています。

 「平等」と「差別」が同時に存在することを表現していることです。

 🪷松無☆*~🧘☆*~🪷古今色☆*~

 これを対比する形で表していることは…
 つまり、この禅語の教える言葉の意味は…

 「不変」と「変化」の【平等】と、
 「上下の違い」の【差別】と、

 そのどちらにも偏(かたよ)っても人生は上手(うま)く行きませんョ❗と諭(さと)しています。
 
 例えば…
 何らかの平等(男女)の権利を主張することに偏り過ぎるのでも無く。
 又、親子だからや、老若男女の違いを受け入れることなども同じです。

 どちらの側面も自然としてあるものですから、平等でありながら同時に違いが存在することを認める見解こそが、真理であるということを云っています。

 捉(とら)え方によっては違和感が生まれて来ます。
 間違えないようにしましょう。

 🪷竹有☆*~🧘‍♀☆*~🪷上下節☆*~

 目出鯛(たい)しるしの『松竹』で「有・無」を表し、『古今』で「上下」の差を並べて対比させる句は…

 両者は表裏一体であり、【差別即平等】と【平等即差別】が真実の姿で有ることの意味が込められています。

 別け隔ての無い世界へ導き〜誰にでも等しく接することの出来る心を忘れずに生きて行きましょう。

 ✨あなたも🙏ほりさんも、松も、竹も…

 ある細胞が、この瞬間に死に、また新しい細胞が生まれて来ます。

 すべての生命は…
 “皆んな違って皆んな良い”。
 同じだョと言うことですネェ。(笑)

 🪷松無☆*~🧘‍♂☆*~🪷古今色☆*~

 「松に古今の色無し」『竹に上下の節有り』の御託(ごたく)を並べて来ましたが簡単に云えば…

 「松は、古い葉と新しい葉が、いつの間にか入れ変わりる〜だから、いつも緑したたる色をしていて、古い新しいと云う差別がない」。

 人の心も、いつも「無事」であるように教えてくれています。

 『竹には、上下の節があって、人生には、けじめが大切なことを教えくれています。

 そこには、一本のしっかりとした幹が突き抜けていて、統一を保って乱れるところが無い』
と教えています。

 人生も、松や竹のように、こだわりなく無心に生きたいものですネェ。

 🪷竹有☆*~🧘☆*~🪷上下節☆*~

 松も竹も縁起のよい植物の代表です。
 これに梅を加える「松竹梅」になります。

 「梅自発清香」
 〔梅は自ずから発(ひら)いて清香あり〕
 (うめは おのずからひらいて せいこうあり)

 昔より「歳寒の三友」(さいかんのさんゆう)として『松竹梅』は、目出度(めでた)さの象徴とされてきました。

 その松と竹のありようを「有と無」、「古今と上下」の対比をもって、仏教の妙理〔みょうり=仏さまから与えられた利益(りやく)〕を示したことばです。

 茶掛けなどに…

 「松に古今の色あり」
 「竹に上下の節あり」
 「梅は自(おの)ずから発(ひら)いて清香(せいこう)あり」

と、それぞれに独立した禅語として用いられることが多いですョ。

 🪷竹有☆*~🧘‍♂☆*~🪷上下節☆*~

 昨日に引き続き、少し難しくなって来ましたネェ。
 聞き流す程度でよろしいと思います。
 
 「松に古今の色無く 
 竹に上下の節有り」

 「色」は 「変化」の意味なので、そのまま訳すと…

 「松の緑は時が経ても変化することがない」

 「竹には節があり上下の違いがある」

と云うことです。

 昨日と今日が、常に同じだと思ってはいけません。
 割り切って別々に考えましょうネェ。

 ✨あなたも🙏ほりさんも…
 周囲に惑わされることなく、変わらない心で生きたいものですネェ。
 
 禅は“こころ”です

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~

 私たちの人生は、一生のうち、どれだけの出会いを経験するでしょうか⁉️。

 人生を変えるような大きな出会いも、勿論(もちろん)あるでしょう。

 でも、ほとんどが意識すること無く、小さな出会いで終わってしまうことでしょう。

 朝のウオーキングで出会って挨拶する人…

 犬の散歩で時々会って挨拶する人…

 知人を介して一度だけ話した人…

 いつも同じ通勤電車やバスで乗り合わせる人……

 顔を知ってる程度で、ほとんど意識することもない関わりも有ります。
 
 そして、こうした出会いも「一期一会」です。

 🪷一🍓一🖼☆*〜🧘‍♂🪷一期一会☆*〜

 《一期》(いちご)とは…
 人間の一生です。

 《一会》(いちえ)とは…
 ただ一度の出会いを云います。

 元々は茶会の心得を説いた言葉です。
 現代は、人と人の出逢いについて広く使われています。

 【そもそも茶の湯の交会(こうえ)は、一期一会といひて、たとへば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会は再び帰らざることを思へば、実にわれ一世一度の会なり】
       井伊直弼「茶湯一会集」より

 茶会に臨むときは、それが一生にたった一度の機会と心得、亭主・客ともに互いに誠意を尽くしなさいと説いています。

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘🪷一期一会☆*~

 出会いは一生にただ一度きり、だから儚(はかな)いものだと言うのではなく、「ただ一度しかない出会いだからこそ、今という時の巡り合ったご縁を大切にしよう」

 それが「一期一会の心」です。

 毎日のように顔をつき合わせる家族や、友人、同僚などの会話も、私たちは当たり前のようにしています。

 でも、今日と同じ日は二度と来ません。

 お互いに「おはよう」と交わす言葉もその瞬間は「一期一会」です。

 今日✨あなたは誰に、どんな風に挨拶しましたか⁉️。

 禅は“こころ”ですョ

 🪷一🍓一🖼☆*~🧘‍♀🪷一期一会☆*~