パパ50歳 白血病M6との闘い -俺は歌舞伎役者じゃない!やさぐれパンダの闘病日記ー無菌室よりー

今まで病気とは無縁だったパパが、2011年11月1日 突然. 急性骨髄性白血病 M6と診断されました。
白血病の中でも、特殊な白血病で最も生存率は低く、国内での症例もほとんどなく。。。。。
ですが、家族の愛と、父の前向きな姿勢が病気に打ち勝ち、毎日 笑顔で白血病と闘っています。

突然の白血病。パパも私達 家族も何が何やら分からず、、、、、。何を食べれて、何を食べてはいけないのか?何をしたら良いのか?ダメなのか?
本当に手探りの毎日でした。病院の先生や看護婦さんにとっては当然の事でも、私達家族には始めての事だらけ、、、。毎日、専門書を読み、家族なりに勉強して、やっと白血病が理解出来ました。

このブログが、白血病患者の皆様、そしてご家族の方の支えや力になる事を願って、少しづつ更新出来たらと思います。病気に負けないで、共に闘いましょう!
パパが入院して以来、朝から夜までパパの付き添い、二人三脚での闘病生活ですが、パパの娘で良かった、絶対に治って欲しい、その一心でパパのそばで私も頑張っています。
一人では乗り越えれなくても、きっと支えがあれば乗り越えれると信じ。

苦しく辛く孤独な闘病ですが、皆様の光になれば幸いです。

そして、移植がゴールと思っていたのですが、移植がどれだけ大変な治療で、命を掛けての闘いなのか、御本人、そしてご家族の皆様に真実を伝えたい、、、、そう思っています。
本当の闘いは、移植後でした。
世間の皆さんは、移植出来た!=完治 周りの人の簡単な励ましに心を痛めた日もありました。
移植という大きな峠、少しでも白血病に関わりのない方にも、この大変さを伝えたい!知ってもらいたい!強く願っています。

人生はひとりひとりの人が、それぞれ生まれた時より背負った荷物があります。
人生はその荷物を自分で下ろし、進むものだと信じております。宿題の真っ只中の私達、家族でありますが、右往左往することなく、悔やむことなく、果たすべき宿題を果たしたいと思っています。


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  • 01Jun
    • 奇跡の男⭐️

      大学病院に転院し、私たち親子は初めて無菌室に足を踏み入れました。二重になっているドアが開いた時、ドキドキというか大きな不安は今でも鮮明に覚えています。外の世界とは隔離された場所で、、、、言葉では表すことのできない場所ですよね。ドラマで見たことはあるけれど、実際の無菌室にまさか入る事になるなんてきっと誰も想像してないですよね。色んな有名人の方が白血病で、無菌室で戦い、、そして亡くなった事が頭をよぎり、、特に私は本田美奈子さんを思い出しました。白血病は不治の病というイメージが強く、無菌室に入る時、いよいよなんだな、、と覚悟しました。父は無菌病棟に入り、数日で菌が出てしまい病室から出る事が禁止になり、、、結局その後の、9ヶ月間父は病室から出たのは数回の外泊だけでした。他の患者さんとの交流もなく、ただただ孤独との戦いだったように思います。菌が出る前、病室から出れた数日の出来事ですが、父が帰る私を無菌室の扉まで送ってくれていました。寂しげな顔、、、そして扉が閉じる瞬間まで手を振る父の姿を見る度に、無菌室を出てから私は毎回涙していました。なんと言えばいいのでしょう。隔離された場所、無菌室の二重扉はとても重くそしてなんだか悲しく感じさせていたように思います。私たち親子が入院した大学病院は、無菌室に入室できるのは家族のみ、友人や職場の方のお見舞いは控えて下さいとのことでした。最初はびっくりしましたが、菌を持ち込まないための一つのルールだったように思います。父の退院後、一度だけ病棟の扉の前を通る機会がありました。そしてもう二度とここに来ることはない。そんな思いで扉を後にしました。。。。。そう強く信じたい自分がいたように思います。きっと二重扉の向こう側には、様々なドラマがあり、、、、父は病棟で退院が決まり、沢山の方から奇跡の男 と呼ばれていました。というか、移植後多分先生ももう無理だと思われた日が何度もあり、、、、私たち家族も覚悟を決めた日もありました。でも、奇跡の復活をしてくれました。沢山の方々に感謝の気持ちを忘れずに、今を元気に精一杯生きています。元気に過ごしています。皆さんの希望の星になれたらと思います。

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  • 31May
    • ♠︎気持ちのすれ違う事も

      父がM6という、とても完治の難しい白血病でしたので更新しない間に様々な心配をおかけしてしまった事をお詫びいたします。今は医学も進みフル移植出来る年齢も上がったとのことを知りましてとても嬉しく感じています。本当に移植までの道のりは様々なことがありました。そして退院してからも1時間半かけての外来が週に三回の頃は、父もとても疲れており精神的にも参っている様子でした。なかなか退院してすぐに父の笑顔がみれたかというとそうでもなかった気がします。家族は退位後は嬉しい気持ちがとても大きかったのですが、父本人としてはGVに苦しみ体力もなかなか回復せずに気持ちの上でも一番きつい時期だったのかもしれないです。家族は心配し、ついつい父を自由にしてあげれない感じもあり、本人はしたい事の半分も出来ていなかったと思いますが、これは患者さんと家族のお互いが大切な故に過剰になってしまい、気持ちがすれ違う事もありました。母は初めて私の前で泣いたのは、父の白血病を告知された日の家のリビングでした。。。気丈な母の涙を見たのは、その日と退院してから3回ほど父の気持ちと大きくすれちがった日でした。。。、父は何にも出来ないジレンマ、家族にも食事の面でも負担を掛けている、そして言葉には出来ない再発との格闘、、、、そんな思いもあってか、俺は自分のことは何でもする!迷惑は掛けない!そんな言葉を発した日もありました。母はそんな父の言葉にショックを隠せない様子で病気は人の心までも奪ってしまうのかと考えた日もありました。父はよく喋り、よく笑う、明るい人でした。ですが、やはり病気をしてからの数年間はなかなか元の父には戻ることはなく体調が安定しない日が多く、今日はどう?と聞くと、うーーーんという返事が多かったように思います。そんな長い長いトンネルから抜け出したのは移植5年目だったかと思います。本人も再発への心配というか、ずっとずっと気にしていたことが少し不安が薄れ、、、そして移植5年目の外来の日主治医の先生のに言われた言葉も大きかったです。「よく、五年間踏ん張って頑張ってこられましたね。僕は何にもしていなく、〇〇さん、そしてご家族の皆さんが頑張った証です。本当にお疲れ様でした。まだ再発の可能性はもちろんゼロではありませんが、限りなくゼロに近づいたと考えて下さい」そんな先生の言葉に、今までのいろんな苦しみがスーーっとなくなったような気がしました。闘病は、患者さん本人、そして家族にとっても戦いの日々ですよね。そして少し歯車が狂うと、元気な頃よりもなかなか元に戻らなく辛い思いをしたりもしますよね。何にもお役に立てませんが、私でよければお話は聞けますのでこれらも御気軽にメール等いただけましたら幸いです。父は先日の88ヶ所のお参りから帰っても、お陰様で元気にしております。

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  • 15May
    • 告知から治療スタートまで

      病院でさらっと告知を受けた父は、その時50歳でした。担当の先生曰くフル移植をする年齢としてはギリギリ、、、との事。そして、最悪なことに敗血症を起こしてしまっていて、一週間が山です。。。とあまりにも現実的ではなく、本当にドラマのワンシーンのような告知でした。すぐに治療を開始します、、、との事。一刻の猶予もないまま抗がん剤治療を開始。主治医の先生に言われたことは、今回の治療で寛解するかどうかが今後の大きな治療の分かれ目です、、、と。寛解すれば、移植への第一歩になりますと。その時はよく分かりませんでしたが、寛解という事がどれだけ白血病で大きな分かれ目なのかということを後で知りました。抗がん剤治療がスタートして数日目、父は意識が混濁し始め生と死を彷徨う日々。熱は体温計を振り切る程で、家族へもいつ何があってもおかしくないと、、、、一度はショック状態に陥り、もうダメなのかな、、、と諦めた程です。そして、そんな中家族は抗がん剤をストップして家に連れて帰りたいとの思いが強くなり、、、、主治医に相談しましたが抗がん剤は途中ではストップ出来ない、、、、と。あまりにも苦しそうな父を見て、治療のストップを考えた程ですが、、、生きるか死ぬか、、、、究極の治療絶望的だった父の状態でしたが抗がん剤が終わり、なんと寛解したのです。近所の信頼するホームドクターが、白血病は治る病気です。大変な、大変な治療だけどうまくいけば生きることが出来ます、、、だから諦めずに治療して頑張って下さいと。この言葉は今でも忘れられません。寛解出来ずに、ホスピスへの移動を進められる患者さんもたくさん見てきました。治療がこれ以上ないと、この先を考えて下さいと言われた人たちを。父は治療できて、そして移植が出来たことは今でも奇跡だと思っています。きっと数年前だったら父を助けれなかったと言われました。医学は進み、進化しています。50歳は移植出来る年齢のリミットですが、きっと数年前でしたらフル移植は厳しかったと。。。。。人生は選択の連続です。最初の病院では臍帯血移植を勧められたのですが私たち家族は父のフル移植を希望して、もっと高度な医療を目指して転院をしました。どうしてもフル移植にこだわったのは、やはり生存率。五年生存が10%と言われても、それを乗り越えたいと強く思ったからです。

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  • 27Apr
    • 白血病から退院後

      たくさんの方に見ていただき、メッセージありがとうございます。闘病中の方やご家族の方より退院後はどんな風に過ごせば良いか?とのご質問をたくさんいただきました。私の父の事、そして同じ無菌室で戦った数名を実際に間近で見ていた方の事を書きたいと思います。退院後は、きっと白血病を知らない方、知っている方でも思うと思いますが退院はゴールであり退院後は全てやっと元通り、、とのイメージが多いと思います。周りの方もそんな風に父を思ってありました。ですが、実際に退院が決まりましたが長い闘病で痩せ細った身体と筋肉がなくなった身体は本当に日常生活をするのもやっとでした。現在闘病中の方、希望をなくしてしまったらごめんなさい。退院後、1年間くらいは数値の変動、体調の変動も大きく、外来も多い時は週に3回ととても慌ただしい日常でした。父も退院したら、全ては元どおりの生活と夢馳せていたので精神的にもコントロールが難しく、不機嫌になることも多かったように思います。退院後3年間はそんな感じの体調で、外来は2週に一回となりましたが、仕事のできる様な体力はなく、簡単に言えば家での闘病生活といった感じでした。無菌病棟の仲間もやはり同じで、張り切って仕事復帰したものの、体調を壊して入院し、しばらくは家で闘病中と言っていました。なので、退院=完治ではなく、主治医の先生からも退院してからが本当の治療ですよ、、と言われました。5年間は再発のリスクもとても高いので、5年間は戦いと思って良いのだと思います。五年の闘病なんて、、長すぎる、、と思われると思いますが、人生の中の5年間、神様がくれた休暇をしっかりと身体のために取ることをお勧めします。退院後は特にしたいこと、やりたい事が沢山ありますよね。でも無理をして行っても体調が悪くなりまた自信を失うだけなので、本当は少し先に伸ばして万全の体調でする事が一番良いのではないかな、と思います。抗がん剤や、様々な薬のダメージは計り知れません。退院後は、ゆっくりのんびりと先ずは日常生活を取り戻し、その先に仕事が待っているのではないかな、、と思います。これはあくまでも私の父と、私が見てきた白血病の方々の退院後の様子です。きっともっと早く復帰された方もいらっしゃると思います。でも先ずはゆっくり疲れたボロボロになった身体を休ませてあげて下さいね。父も移植六年目にして、やっと筋力とちょっとばかりの脂肪がつきました(^^)長い長い休暇から目覚めようとしています。

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  • 26Apr
    • 6周年の今の父の様子

      久しぶりの投稿にも関わらず、たくさんの方々よりメッセージいただきありがとうございました。現在の父の様子についてのメッセージを多くいただきましたのでお知らせさせていただきます。父は今年に入り免疫抑制剤をストップしました。最後の調整は体調を崩したりしつつも大変でしたが、主治医の先生の思い切ったストップでしたがどうにか乗り越えることが出来ました(^^)現在は月に一回の外来で、クレアチニンが高かったり白血球、赤血球、血小板もまだまだ正常値には遠いですが、元気に過ごしています。透析をしないといけないほど、入院中は数値が悪かったので、クレアチニンの変化には主治医の先生も気をつけてあります。どうにかこうにか、クレアチニンはギリギリのところでお陰様で持ちこたえていますよ。移植後六年を迎えましたが、今でも本人はもちろん、家族も風邪やインフルエンザには最新の注意で、家庭内には菌を持ち込まないよう頑張っています。家族も未だに外出時はマスク着用です。笑せっかくドナーさんの骨髄で繋がった命、大切に大切に毎日を過ごしています。当たり前のことですが、食事は栄養をきちんと取れるように母と協力し、今でも献立にはあれやこれやとお互いの力を合わせて頑張っています。父は除菌に手洗いにマスク、ちょっとした事でしょうが今でも体調を崩さないようにしっかりと予防しています。ちょっとした事でやはりひどくなりやすかったりしますので、気をつけるに越した事はありませんね。でも本当に元気です!朝、父と一緒に食事をする時にとても幸せを感じます。移植後の4ヶ月間は特に苦しく、39度を越える高熱が出続け、薬の影響で腎機能も弱っていたのでロキソニンを飲むこともできず、、口の中は口内炎のお化けみたいなものができて腫れ上がり吸引をすると血だらけの液体が出てきていました。激痛で、水以外は口に出来なり真っ暗な病室でただただ痛みに耐えた父を知っているので光が差し込む部屋で食事をしている父の姿は今でも夢のようです。健やかに毎日を家族と過ごせることを、父自身もとても喜んでおります。皆さんの希望になれるよう、時々はブログ更新したいと思いますのでよろしくお願いします。

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  • 25Apr
    • 移植をして6周年

      何年振りかの更新になってしまいました。今日は父が先日 移植をして6周年を迎えられた事を報告したくブログを書いています。あの移植の日を今でも鮮明に覚えています。飛行機で運ばれて来た骨髄液、、、主治医の先生の信頼してある後輩の先生が前日より現地入りして朝、摂取した髄液を大切に大切に運んで来てくださいました。直接お会いすることは出来ませんでしたが、大切に運んで来てくださり本当に感謝しております。そして何よりも、お会いすることも話す事も叶いませんが、提供してくださったドナーの方、そしてご家族、職場の皆様本当に本当にありがとうございました。季節は巡り、発病してから6回目の春を迎えられたのもドナーの方がいらっしゃったからです。父の型は、とても珍しく私も適合せず、バンクからの移植になりましたが一致した型は日本で僅か6名でした。。。。。無理なのではないか、そんな思いもよぎり海外のバンクからも視野に入れていたのですが本当にありがたい事に、移植同意のお返事を頂きました。過酷な治療の中、長い期間生と死を彷徨った父でしたがドナーの方の骨髄のお陰で今しっかりと生きております。ずっとこのご恩は忘れる事なく、家族共々生きて生きます。ドナーの方も移植の日を思い出していただいてるのではないかな?と移植6周年の日、空を見上げました。手を合わせて ありがとうございます  と。綺麗な雲がきっと伝言を伝えてくれるような気がしました。そしてドナーの方への感謝と共に、無菌病棟で共に戦い、先に空へ旅立った戦友の顔を思い浮かべて、パパは生きているよ!みんなの分までしっかりと!伝えました。父の病室に寝泊まりし付き添っていた10ヶ月間。無菌病棟で、私の同じ年、それよりも下の年の戦友とはよく話をしました。何にも出来ないけれど、そしてみんなからしたら病気ではない私だったのにみんなは受け入れてくれ、そしてそっと寄り添ってくれました。そして悲しいけれど戦いの末に、一足先に旅立った戦友たち。。。。。私にできることは、唯一出来ることは忘れずにいることだな。。。と思っています。最後の姿は辛かったけれど、戦って戦って頑張った戦友の勇姿を忘れてはいけないと。無菌病棟だったので友人がお見舞いに来るわけでもなく孤独な病棟で共に戦った仲間たち、、、、いつまでも忘れないそしてみんなの分までしっかりと生きたいと思っています。父の移植から6年という月日が経ち、父の外来の日数も減り体調も落ち着いてきたので、これからは少しでも白血病の患者様そしてご家族・ドナー登録など何か自分が出来ることから始めていきたいと思います。無菌室は辛い病棟だったけど、みんなで笑った日もありました。食べたいものの話をした日もありました。そして過酷な治療を乗り越えた方もたくさんいらっしゃいます。白血病だったけど、様々な治療を行い、そしてドナー提供をしていただいて元気に回復されている皆さんもいらっしゃいます。現在闘病中の皆さま・白血病の方のご家族・バンク登録者の方へ向けて何か出来たりしたら素敵だな、、と思ったりしています。ドナー登録には、やっぱりご本人達の話があれば一番説得力があると思いますし。何か一緒にしても良いよ?という方がいらっしゃれば是非メッセージお待ちしております。一人ひとりの小さな想いや力でも、力を合わせたらきっと大きな大きな力となって何かを変えることが出来ると信じています。福岡県だけではなく色々な所で、活動できたら嬉しいです。最後になりましたが、父が生死を彷徨い意識も遠のき 辛いだろうな、、、と思いながら夜中には夜空を眺めていました。でもいつもこれだけは思っていたことは、、、、明けない夜はない必ず朝日が昇るそれだけはずっと自分に言い聞かせていました。現在闘病中の皆様にも必ず燦燦と差し込む朝日が昇るので絶対に諦めずにいてください。

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  • 15Oct
    • 生きる為には

      最初の告知の際、M6はかなり生存率が低いと言われました。白血病もM0〜M7までの種類がある事すら知らなかったので、M6といわれても、、、という感じでしたが。M6は白血病の中でも珍しく、東京ドームに人が満杯に入って一人いるかいないかと言われました。ネットで見ると必ず、M6は良後不良で生存率は5年後は10パーセント良後不良?ってなんだろうと、ずっと調べていましたが先生曰く、それだけ困難な白血病の型であり、治療で完治は難しいとの事でした。でも、生きるには移植しかない!そう思い、ただただ前に進みました。

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  • 14Oct
    • ありがとうございました♠︎

      四年ぶりの更新でしたが、沢山の方よりメッセージをいただき、待っていてくれた方がいらっしゃったのだな、、と感謝の気持ちでいっぱいになりました。私が担当の先生から言われた言葉ですが末期癌だったらどんなに医学が進んでも助けれない。でも白血病は違う。医学が進み新薬が開発され、どんなにドン底の状態でも助けれる事がある。でも治療の結果は1かゼロであり、どちらかしかないのだと。医学が進んでも最後は神のみぞが知る領域があると。先生に血液内科をなんで選んだの?という問いにこう答えてくださいました。私も約1年間、白血病ではありませんが無菌室で過ごし沢山の白血病患者の方に出会いました。そして1かゼロこの病気の厳しさを目の当たりにしましたが、希望がある未来に向かって進む事が生きる希望なのかな、と思います。沢山のメッセージの中に家族としての注意は?とのご質問がとても多かったです。私?というか、我が家で気をつけたことはとにかく父の病室に菌を持ち込まないことは徹底しました。手洗いうがいはもちろんのこと、外で来ていた服は脱いでロッカーに入れていました。風邪やウィルス、僅かな菌が無菌室では命取りとなります。神経質になるくらい、すべてのものを除菌して病室に持ち込むこと。後は食事というか差し入れもお店で店頭に並んでいるパンなどは絶対にダメです。梱包された物を買いましょう。白血病の父本人も、もちろん手洗いうがいは頻繁に行い僅かな傷も付けないように生活していました。鼻毛を抜くのが癖だった白血病の患者さんが抜いた毛根より菌が入り亡くなったとの本を最初に読んでから白血病が悪くなり、容態が悪化することはあっても絶対に怪我や菌で病気をひどくすることだけは止めよう。防げることは徹底的に防いで白血病と闘おう家族、そして父本人と誓った約束でした。防げることには全力を尽くそうと、、、ちょっと大袈裟?に感じる方もいるかもしれませんがそのくらい思っていなければこの世の中は菌だからです。白血病の患者さんにとっては、ちょっとした傷や菌で、病気が悪化してしまいます。どうぞご家族の方は細やかに気遣ってあげてください。

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  • 13Oct
    • あれから四年

      今でも毎日ブログに100名程度の方が観覧に来てある事をしりながらも、更新をしないまま四年の月日が流れました。何度も書こう、伝えよう、そんな思いがあったのに、色んな方の言葉で、父の病気を通し傷つき、心を痛めいつの日か、自分と家族の中で色んな思いを閉じ込めよう、、そんな思いがありました。どうせ、分かってもらえないなら言わないでいよう、、、でも、今回そんな私の心を動かしたのは小林真央さんと、お姉さまの麻耶さんのブログを拝見し、心が動きました。私にも伝えるべき事があるのではないか、、と。父が白血病で、しかもかなり難しい種類の白血病で治療は難しいと宣告された日私がamazonで取り寄せた白血病関連の本は10冊以上でした。本の中の一冊は市川團十郎さんの白血病との闘いの体験記でした。すべての本を徹夜で読みましたが、唯一父に見せたのは、團十郎さんの本だけでした。何故ならそこには、常に前向きに戦う團十郎さんの姿があったからです。他の本は悲しい内容が多く、父の為には見せるべきではないな、、、と。なんでサブタイトルは、歌舞伎役者という言葉が入っています。笑團十郎さんの本はずっとずっと病室の窓際に飾っていて、何度も何度も読み返しました。いつか生還し、團十郎さんと対談する!そんな夢も出来ていたのですが、團十郎さんが亡くなった時は涙が止まらず、受け入れるのに時間が掛かりました、、、。團十郎さんは白血病のフルコースを味あわれており、治ったかと思えばまた発病、、、本当に大変な治療だったと思います。そして御家族にとっても長い長い闘いだったと。團十郎さんは父の中で、スターでした。でもスター亡き今、父の経験が何かしたらお役に立てたり、御家族の力やよりそう事が出来たなら幸せだと思います。團十郎さんが亡くなり、海老蔵さんがいつかバンクの活動や赤十字の広告塔になってもらえたら、嬉しいな、、なんて思っていた矢先に、奥様の真央さんが乳癌との会見にただただ、本当に驚きました。そして、ブログを開始された日からずっと拝見していますが、伝えることで誰かにもしかしたら勇気や、何か分からないけど伝えれたら嬉しいです。毎日、毎日約100名に観覧していただき、白血病の方、御家族の方かもしれないし、バンクのドナーの方かもしれません。少しずつですが、日記や今の思いを加えながら書いていけたらと思います。

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  • 17Jun
    • パパ元気

      Day 33昨夜、大将より、K病院のI先生が父の主治医より直接、連絡を下さいとの事でした。といよいよ、転院まで動き出しました今日は主治医の先生とのアポ13時に合わせて家をママと出発セカンドオペニオンは、取り消しにしてもらい転院願いをお願いしまし早速、病院に着くなりお部屋に。主治医の先生に転院のお願いをするとあっけなく『わかりました』と。パパは『俺、明日から家に帰りたい』と笑。えらく元気になり、家も大部屋も一緒なんて言って逆ギレパパの勝手な妄想は続くの巻でした。笑主治医の先生よりI先生に二回連絡してもらったけど、連絡が取れないと。大将より、相中に入っていただいている先生に確認してもらったところ、ちょっとI先生は多忙な為に、明後日の月曜日に再度、お願いしますと。なので、月曜までは、『待て』の状態になりました今日は久留米駅までパパが食べれそうなモノを色々と買い出しに回転焼き、助六、パン助六と、回転焼きを沢山食べてくれて一安心いつまでも、良い状態が続きますように

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