さて、音楽と言えば幼き頃よりクラシック一辺倒な桃豹、学生時代からコンサートに足運んだり、ご招待される機会には嬉々として出かけたりする時期もあった。
声楽より器楽を断然好む傾向にあるのは、正直なところ、あまり上手くないピアノならば我慢して聴けるが、歌となると無理!という単なる我儘から来るものである。


声楽の華と言えばソプラノなのであろうが、キンキンした甲高い声がダメで、とりわけ下手くそな歌を聴くのは大の苦手である。それゆえ、音大に行った友人たちから、声楽の夕べなんかにご招待される機会があっても、謹んでご辞退申し上げることが多かった。
美術にしろ音楽にしろ、一流のものを知ってしまった目や耳には、水準に達していないものは毒でしかなかったからだった。


他人がどう評価しようが、自分の感性に合うか否か、要は好き嫌いで選り分けたと言っても過言ではない。その替わりと言っては何だが、取り敢えずは試してみようという気はあった。しかし、好き嫌いの判断は即断即決だから、可否は一瞬にして決まり、結果は動かし難いものとなったことは言うまでもない。
そもそも音楽は神への捧げもので、楽器の発明より先に祈りの詞や詠唱があった。グレゴリオ聖歌やコーランの詠唱などを聴くと、魂が開放されてトランス状態に陥ってしまう所以である。

小1から特別な用事がない限りは図書館で数時間過ごすのを日課にし、プルターク(対比)英雄伝との出会いから伝記の面白さを知り、小2の時にはナポレオン1世の伝記を読んで、彼の遠征経路を介して、脳内時空間は一気に広がった。彼の遠征の成果(収奪した美術品)により、ルーブル美術館が一層充実し、見応え抜群の図版は目を愉しませ、心躍らせた。図版と読みもの双方から、ヨーロッパの歴史と宗教との繋がりが切っても切り離せぬことを理解し、美術や建築に対する興味は更に広がり、宗教音楽への陶酔へと連鎖してゆくのに、さして時間はかからなったのである。




キリスト教誕生より更に旧いユダヤ教でも聖歌隊があったらしいが、その歌い手は男子であった。9世紀〜10世紀にかけて伝承したモノフォニーのグレゴリオ聖歌は、記譜とポリフォニーの発展の礎となり、教会では男子に謳われた。
ポリフォニーは男声とそれより高い音域の少年の声により形成される。11世紀になるとモンセラート修道院やライプツィヒのセント・トーマス教会などが誕生する。


ソプラノとは異なる澄みきった、そして深みのある声に魅せられたのは何時の頃からだろうか。中学生の頃、美少年好きのクラスメイトたちはウィーン少年合唱団にキャーキャー言っていたが、束の間の栄光を誇る彼らよりもっと病的なものに惹かれるヤバイ趣味趣向の桃豹としては、技術的に完成された
カストラート(去勢男性歌手)のほうが余程興味深かった。


かなり前だが、1994年製作のジェラール・コルビオ監督、スティファノ・ディオニジ主演の『カストラート』を覚えておられる方もいらっしゃると思う。第52回ゴールデングローブ賞受賞作で、伝説的存在であるカストラートのファリネッリ(1705〜1782)の伝記映画である。





イタリア+ベルギー+フランスの合作で、IRCAM (イルカム:フランス国立音響音楽研究所)が、当時最高の技術を駆使し、ソプラノ+カウンターティナー歌手の声をミキシングして3オクターブ半あったと言われているファリネッリの歌声をつくり上げた。

ファリネッリが活躍したのはバロック期で、ヘンデル(1685〜1759)の時代と重なる。当時はプリマ・ドンナはソプラノ歌手、プリモ・ウォーモは現在みたいにテノール歌手ではなくてカストラートだった。テノール歌手は高音はファルセットでしか出せないために、地声で高い音域のカストラートのほうが大人気だったからである。中でもソプラノ・カストラートは希少で、ファリネッリは今で言うソプラニスタの音域を有していたのである。


ヘンデルも自作オペラでよく主役を歌わせたセネジーノ(1680?〜1759)やファリネッリと並び称されたカッファレッリ(1710〜1783)、年末のペルゴレージ初のオペラ『サルスティア』リハーサル中に倒れて年明け早々に亡くなったニコリーニ(1673〜1732)、セネジーノの代打のクニザーノ(1705〜1760)などのカストラートを多用した。


また、ヘンデルは我儘三昧カストラートのカレスティーニの後釜として招いたジッツィエッロ(1714〜1761)の音域に合わせて、1736年プリンス・オブ・ウェールズ結婚記念作品『アタランタ』では、1幕アリアに今までにない高音を入れている。ジッツィエッロがソプラノ・カストラートだったからである。

映画版『カストラート』では、ファリネッリがヘンデルの初オペラである『リナルド』2幕の"Lascia ch’io pianga“(涙流るるままに)を歌う場面があるが、1711年の初演にはニコリーニが演じている。
ファリネッリのデビューはその9年後の1720年だった。




ART FILTER使用のイラスト



カストラートがかくも大人気を誇った理由は、女声のアルトもしくはソプラノ音域をもち、かつ男性の肺活量により強靭で美しい声を有していたからだろう。ファリネッリの舞台では失神する女性たちが続出したと言われている。
タイム・マシンで18世紀始めに行き、その美声を是非聴いてみたいものだ。

その後、カストラートは道義上の理由から廃止された。記録上の最後のカストラートは、「ローマの天使」と呼ばれたアレッサンドロ・モレスキ(1858〜1922)で、20世紀初頭にグラモフォン社による録音が残っている。アッチャッカトゥーラ(短前打音という装飾音)や現在にはない高低アクセント歌唱法で耳慣れないせいか、正直なところ違和感があってかなり気色悪い(ーー;)。ま、バチカンの宝とか何とか言われちゃいるみたいだが、興味ある方は聴いてみれば?という程度である。


現代にカストラートは存在しないが、我が国が世界に誇るソプラニスタに岡本知高氏がおられる。ビジュアルとお衣装のご趣味はちょっとアレ(笑)だが、極めつきの美声である。

桃豹は疲れた時には、カッシーニのアヴェ・マリアをコーピング材料にしている。女声版より耳に心地よいカウンターテナーがお気に入りだ。純然たるオペラ歌手でなくても、声質が良ければ構わない。
男声の高音はファルセット一辺倒だと聴くのが辛いが、神さまからの贈り物で奇跡の声の持ち主がいる。但し、あまりに細かったり安定感に欠けたりすると、これまた耳障りである。


海外のwebサイトでたまたま見つけたのが、2017年リリースのDiMaioディマイオのアルバム『Debut』のAve Maria di Caccini だった。
ディマイオはイタリアのカウンターテナーであるが、ピアニスト&エレクトロニカミュージシャンであるDardustダーダストとのコラボで、面白いアルバムだった。
何だか随分古めかしいサウンドと時代考証不能(笑)の映像、そしてディマイオのいやに本格的な歌声のミスマッチ具合に却って魅せられた。

これだけ透明感があり、素晴らしく伸びがよく潤いのある声は、そうそうあるものではない。

他のアルバムも聴いたが、なかなかの出来で、すぐにお気に入りになった。

…但し、彼のコスプレは…できひんわww




一時期どハマリしたディマイオ
カッチーニのアヴェ・マリア


次いで、その後、同じくweb海外サイトでDimash Kudaibergen&Igor Krutoyディマシュ・クダイベルゲン&イゴール・クルトイによるAve Mariaを見つけた。お耽美劇場第四十五夜で取り上げたボーカリストには、この曲で初めて出会ったのである。







この曲は2021年リリースで、2022年北京冬季オリンピックで、女子フィギュア優勝者アンナ・シェルバコワのエキシビジョンの際に歌われたので、ご存知の方もいらっしゃると思う。






初めて聴いた感想は…、実はイマイチだった。高音に艶がなく、掠れ気味だったためだ。しかし、ディマシュがカザフスタン国立芸大でクラシック&ジャズ&ポップスを修めた本格派で、レパートリーが広いために中国で大人気と知り、俄然興味が湧いた。



モノクロ画像をポスター風にイタズラしてみたww



驚異の6オクターブ半の音域(これは流石に大袈裟だろうww)を活かした他の曲も知り、単なるソプラニスタじゃなく、これなら何でもかんでも歌えるやんと期待し、年々進化する声と表現力に何処までいけるのか期待が膨らんだのだ。



今回の一推し動画 
ララ・ファビアンの持ち歌 Adagio

超高音をご堪能戴けるOpera2

哀切なウィスパーボイスが心揺さぶるS.O.S.
大した歌詞じゃなくても
ディマシュにかかると途轍もない名曲になる

いやはや…すんごい音域やわ〜
バスからソプラノまで出せるんだから
オペラ独演会できるなww



カザフスタンのオペラハウスであるアスタナ・オペラの歌手だった彼は、クラシックを脱ぎ捨てて見事に世界に羽ばたいたのである。

不肖桃豹、決して彼がイケメンだの身長191cmだのという観点から、ファンになった訳じゃないのであるww

因みに、学生時代のディマシュは、直毛でかなりイケてないし、そのファッション性もヤバすぎるww


グランドピアノが小さく見えるほどデカいディマシュ…あの強靭な声は、恵まれた体格によるところが大きいのだろう。弱っちい桃豹なんかがコスプレしても、線が細すぎて到底無理というものである。

桃豹、ファルセット駆使しても、Opera 2の最高音はキツすぎてムリやわ〜(TдT)。町田駅チカにボイトレスタジオあるから、半年ぐらい通って鍛えなあかんわ〜。