子供の勉強を傍らで見ていると、どうしても気になることがあります。
それは、
子供って、とにかく「終わらせる」ことを自己目的化してない????
ということです。
ところが、最近子供の勉強をよく見るようになり子供の視点に立って考えてみると、むしろ、このような子供の態度は、親に対するある種の防御反応であって、口うるさく勉強しろと言う(特に、私みたいに、日常的な会話の二言目には、そんな発言をしてしまっている親)が惹起してしまっている事象なのではないかとすら思うようになりました。。。そうなんです、今更遅いんですけどね笑
改めてよく考えてみると、
「勉強しろ」だの
「やることやったのか」だの
「宿題は終わったのか」だの
「宿題やらないんならゲーム無しだぞ」だの
毎日毎日、要するに、「さっさと終わらせろっ!!怒」という、勉強のプロセスよりも、与えられた課題の範囲を終えたかどうかという結果を重視したしかり方を、日常茶飯事に、かつ、無為無策に(少なくとも子供からはそう見える)されていると、子供としては、「勉強して有用な知識なり知恵なりを身につける」本来的な目的よりも、「とにかく親がうるさいから黙らせる」ことの方が重大な関心事になってしまうことは、容易に想像できます。。。(いままでは、全然想像できなかった。むしろ、「正しいことを言って何が悪いんだ」とすら思っていました)。
実際に、子供の中で、「終わらせること」が自己目的化してしまうと、
答えを写すようになる
「理解しよう」ではなく「覚えてしまえ」となる
短時間で無理矢理処理しようとする
分からない問題は、すぐに諦めるようになる・・・
など、およそ、何のために勉強を始めたのか分からなくなってきてしまいます。
スロー学習とスピーディー学習
私が理解したところを、一言で要約するならば、
「反射神経を鍛える勉強と、思考力を鍛える勉強とは、意識的に峻別して計画を立てよう!」
ということです。
スピーディー学習に向く勉強とスロー学習に向く勉強
ここで、「スピーディー学習」とは、単位時間あたりの単純なアウトプットの量を高めるための勉強です。
典型的には、算数の計算問題や、理科・社会の知識問であり、サピックスに通われている方は、算数の基礎トレが、これに当たると考えて間違いないと思います。
そして、「スロー学習」とは、未知の問題に対して、「脳みそから汗が出るくらい」考えて考えてする勉強のことです。応用問題や発展問題に取り組むのが、この種の勉強と考えて間違いないと思います。
しかしながら、個人的には、子供の学習歴や得手不得手によって、「何をスピーディーとして位置づけるべきか、何をスローとして位置づけるべきか」については、相応に個人差があるべきだと思っています。
例えば、国語の漢字/用語演習が良い例です。
国語の漢字と、算数の計算問題は、よく「点数を落としてはいけない」問題として、並列に取り扱われることが多いと思います。しかし、うちの子供は、「習った漢字は一応書けるものの、知らない熟語の意味を考えて、それに合うような漢字を推察したり、知らない熟語の漢字の意味から考えて、その熟語がどのような意味かを推察する」ということが得意ではありません。また、同音異義語などの問題が出てくると、漢字本来の意味を考えないまま、暗記してしまおうとすることがよくあります。
このような態度で勉強していても、さしあたり中学受験までは、ひょっとすると、うまく行く場合もあるのかもしれませんが、今後より高度に抽象的で複雑な概念を日本語で扱おうとするための準備としては、かなり心許ない事になってしまいます。
そこで、我が家では、国語の漢字問題は、「スロー学習」として位置づけ、漢字の練習問題でできなかった問題の復習などは、ノートを用意し、分からなかった漢字や熟語の意味を辞書で調べたり、同音異義語を追加でメモしたりするなどして、はじめて勉強が終わることにしています。
細かく記せばきりがないのですが、このように、子供の得手不得手等によって、「最低限の時間だけで習得すべき事」と「最大限時間を費やしてでも習得すべき事」は、相応に個人差があるはずですので、このあたりを、親がうまくナビゲーションするのが大事なのではないかと、最近考えるようになりました。
勉強の仕方〜国語編で書いたことは、実は、このような事を考えてのことだったのですが、今後も、子供をある程度ナビゲートするにあたって、こんな事を考えながら、じっくり向き合っていこうと思っています。
おつきあい頂けると幸いです。