十字路の意味を知っているかい?
何故、彼が悪魔を十字路で呼び出したのかを知っているかい?
悪魔主義者は私に聞く。
私は答える。
「あなたの言う通り、彼が呼び出したのが、キリスト教の悪魔ではないのだとしたならば、十字路は異界との境目と言う意味があるでしょう」
私にも、最低限の知識はある。
こういったことを調べ始めた時から、出来きる限り知識は仕入れている。
彼は正解、と言って笑った。
道と道が交わる。
あちらからきたモノとこちらからきたモノが出会う。
つまり、十字路を世界が交わる象徴だと考えられていたんだ。
意外にも十字架は関係なかったりするのは、キリスト教の考えではなく、他の大陸から来た考え方だからなんだね。
そして、恐らく彼が呼び出したのは、彼は悪魔と呼んだかもしれないが、大陸では精霊と呼ばれたものだったんだろう。
十字路を司る精霊がいるんだよ。
彼はこの世と、あの世の狭間の門番でもある。
奇妙な話だと思わないか?
アメリカ大陸に、アフリカの精霊達は、連れてこられた人々と一緒にやって来ていたんだよ。
ここで僕が言いたいのは、キリスト教の悪魔ではなかったから、悪魔が現れたでもなく、
アフリカの精霊がアメリカに現れるのがおかしいっていう話でもないんだ。
キリスト教の悪魔は日常的には姿をあらわさないものだ。
具体的な形では。
しかし、アフリカの精霊は少なくとも、それを信じている人々の間では日常的にその存在は感じられる。
憑依などとして。
精霊などが現実として信じられている世界では憑依は特に不思議な現象ではない。
人々は自分の内から、精霊を呼び出す。自らをよりしろとする。
つまり、人間が自分の中からとりだしやすいものとして存在していると言うこと。
長い歴史の中で、その文化の中で、人々は自分達の中からひっぱりだせるものとして、ソレを見つけだした。
もしくは作りだした。
天才ギタリストは、
彼は、憑依や儀式が、生活の一部にある人々の一人だったと言うことだ。
憑依、これもまた、深い催眠状態にも似ていて、自分の中に降りていく術だ。
そして彼は芸術家でもあった。
恐らく、憑依と音楽への没頭の両方が、彼を深い深い意識の底まで降ろして行った。
そして、彼は通常では潜れなくなる場所まで潜り、
そしてそこで確かに何かに出会ったんだ。
そこから、何かを持ち帰った。
僕はそう考えた。
そして、それを再現出来ないかと考えたんだ。
ヒントは充分にあった。
悪魔主義者は、微笑んだ。
でも、今日は、ここまで。
#ふしぎな話