高岡駅前にある「大伴家持」像です。

 

家持は「万葉集」に最多の歌を残し、編者のひとりとも言われています。風景と情感を調和させた繊細な歌風で、代表的な万葉歌人です。

 

因みに、この左手から出入りする路面電車を「万葉線」と称しています。

 

古代の「越(高志)の国」は7世紀に、越前、越中、越後に分裂しました。家持は8世紀に「越中国司」として赴任し、業務の傍ら「霊峰立山」などを詠んだ歌の多くが、「万葉集」に収載されています。越中国府があった場所は、もう少し海寄りの、現在の高岡市伏木と言われています。

家持の足跡の多くは、「越中国府」があった高岡市伏木地区、あるいは氷見市などです。少し長くなりますが、羅列してみましょう。

 

①西魚津にある「魚津水族館」敷地内に「大伴家持歌碑」があります。この歌碑には、家持が越中国府から国内の巡視に出て、馬で早月川を渡ったときに詠んだ歌が刻まれています。

 

②高岡市伏木にある「気多神社」の境内に、大伴家持を祀る「大伴神社」があります。

 

③氷見市内にある「田子浦藤波神社」には、越中国司である大伴家持が所持した太刀を、御神体として祀っています。そのため、「劔の宮」とも称されています。

 

④氷見市内の「布勢の円山」という処に、大伴家持も館があったらしい。万葉故地とも言われるエリアがあり、多くの文人が訪れたそうな。布勢神社脇には「大伴家持卿遊覧の地」との碑も立っている。

 

⑤氷見市に阿尾城跡という海岸の景勝地が有り、時代は前後するが、この辺りで家持が、「英遠(あお)の浦に寄する白波いや増しに  立ちしき寄せ来東風(あゆ)を いたみかも」と万葉集にて詠んだ故地とのこと。

 

伏木から氷見にかけての旅は、国宝:勝興寺や雨晴海岸などもあり良さそうですが、電車で出掛けるには本数が少なく、実際問題としては、なかなか厳しそうです。

 

                                         (青竹:NO.3677)