『沈まぬ太陽 一 アフリカ篇(上) 』 の読後、下巻を買い損ねたのをきっかけに、案の定の寄り道をしたパンダですよ。
初めて読む重松清氏の小説です。
「村松先生」という吃音のある非常勤講師(オジサン)が赴いた先、様々な中学校を舞台とした八つの短編から成っています。
これ、本当に「出会えて良かった」と思えた一冊です。
というか、比較的最近書かれたものであるから共感できる事も多いだろうし、この年代(中学生や高校生)の方々に読んでもらって、その感想を聞いてみたいな、とも思いました。
時に被害者であったり、時に加害者であったり。
或いは、被害者の家族であったり、加害者の家族であったり・・・。
立場は違うのだけど、それぞれのお話の主人公である子どもたちは、それぞれの心に「モヤモヤ」を抱えています。
お話の中には、いつだったか、私たち自身も抱いたことがあったような妙な「違和感」もあって、主人公もまた、同じように「違和感」を抱きます。
そして言葉にできない「モヤモヤ」や「違和感」、「劣等感」、「虚無感」に支配され、結果、自身を追い詰めてしまいます。
村松先生は、寄り添うことで、それをそっと解放してくれます。
そして、間違っていることは、間違っていると。
「ひとりぼっちが二人いれば、それはもう、ひとりぼっちじゃないと思うんだ。
先生は、ひとりぼっちの子のそばにいる、もう一人のひとりぼっちになりたいんだ。
だから、先生をやっているんだ。」
先生は、話すことが得意ではないから、特に大切なことを話します。
「嘘をつくのは、ひとりぼっちになりたくないからなんだ。」
「間に合ってよかった。」
ただし、誰もが、この主人公たちのように、すぐに心を開けるわけもなくて、それなりの時間だとか経過した後に、立ち止まり、過去を振り返り、やっと村松先生の言葉の意味がわかることもあると思います。
それはそれでいいと、私は思います。
妙に突っ張って、素直になれなくて、「そんなのは綺麗ごとだよ」と言ってしまう時期もあるからね。
不器用なんですよ、それはみんな、そう。
「いい子」になるのが、物凄く「怖い」と感じる時期って、きっとあるから。
だから、ここにあるお話しのように上手く行くことばかりじゃないと理解した上で。
ここには言葉では説明し難い、不安定な子どもたちの心の声、葛藤、悲鳴が活字になっているので、それがストレートに私の胸に突き刺さりました。
そして、その不安定な子どもたちの心が、ふと解放された時の安堵を感じ、安心して読み終えることができましたよ。
ちなみに、私は「カッコウの卵」で、泣きました。
