抗生物質の蔓延来、ずっと懸念され続ける項目でしたが、「なまじ応じきった」せいで、事態が複雑化し、勢いづかせたのが「手を打った側のせい」なるいたちごっこさ。
過去にも治療において手を打たねば大いに亡くなった数値も跳ね上げたろうが、返せば未来にわたって「より大希望な一斉の絶滅」の種を洗練鍛錬しまくってる途上に過ぎない、のかもしれない。
こう思うとき、生命種というのは「死するときは死しておくべき」だけで済ませておく勇気がいるのかもしれない。
ただ、大掛かりに揉め出す事柄の多くは、「それそこまで存(ながら)えさせた」なる事実が先にあるのが常だ。
背景を網羅し始めるにはいいイントロに思います。