私はアニメファンと言えるのかしら? | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数十年前のエッセイです)

 

同世代にあっては私はアニメを見ている方になると思う。

それでもこのごろのアニメの多さには弱ります。

アニメファンなんだから多けりゃ喜んでもよさそうなものですけど、んー、まーなんといいますか、素直には面白がれない作品も増えました。

アニメアニメと言ってる方の人ですけど、アニメっつーよりも「映像」のひいきの人の訳です。洋画も邦画もひけめなしにアニメが並んでると考えるわけです。
物語を、心自由にたっぷり楽しみたい時に、洋画よりも邦画よりもアニメがぴったり、という加減の「好きさ」なので、アニメファンと言えるかも少しあやしい手合いのファン、なんでしょう。

アニメ、といっても、外国のアニメとの比較でよく分かるんですけど、日本のアニメって「動画」というハチャメチャさよりも、その初期「鉄腕アトム」からもうとっくに「物語」部分の威力がすごいわけです。

アニメは「絵が動いてる」に端を発するものではなく、どっちかっていうと「マンガ」という「ストーリーテリング」、「絵」そのものより「物語る力」が小さい子に語りかける「童話」のように親和性があるんです。

絵がかわいい、とか萌える、とかいう次元ではなく、「物語る」力に期待をする次第です。

CGがすごくても、美男美女が出てても、あまり重要でないのはやっぱり「物語り」が面白くあってくれなくちゃ、基本的にはガッカリしちゃうんです。

「アニメ」がすごく「映像」としておもしろいのは、「物語り」が上手に発揮されてるときに「いいなあ」って感じられるわけです。
返せば、「物語り力」(?)が強力なものであれば、芝居でもマンガでもいいわけです。
小説でも音楽でも、その媒体が強力な「物語り」を放っていれば、どんな媒体であってもかまやしない訳です。

ジャンル、とか媒体、が「好き」なわけではなく、「物語り」が素敵に面白いことが「なにより」でしょ?それが比較的アニメ、というジャンルでははずれの数が少なかった感じがしてたんですけど、昨今のなにか、時代に便乗してるだけの作品が急増してきてて非常に「ジャンル」そのものががっくりしてくるわけです。うん。なんだかね。

NHKラジオとかで時々民話をそれはもう上手に話してるおばあさんや、名人の落語など聞くと、ツマンネー映画やアニメ1本見てるよりエキサイティングしたりしません?
CMひとつが映画を凌駕するパンチを放つこともあるでしょう?
「物語り」のうまさ、というのは、どこか「人間力」の素敵さに触れている感じを自分は受けるんです。作り手、発信者の「生き方の素敵さ」すら感じます。
凡庸ななにかではなく、一瞬光る鋭さ、目線の良さ、思考の中で起きる落差、艶、そうした洗練された「センス」を知る手立て。

んー
とか言っときながら、「DAICON4」見て芸大行くこと決めてるような人なので正確には「物語り」が決定打、ではないとは思うんですけどね。
今までの自分を、さっさと、スポーンと打ちまかし、コテンパンな気分でその作品世界に自分を迷わせてくれる、身を委ねさせてくれるセンスってものに、たったの一度でも出会えたと思えた人とできる会話って、もうそれだけで楽しいもんです。
そういうものを知ってる人は豊かな表現するでしょう?そのまぶしさと言ったら。もう。

どんだけ長く、そうしたつややかな会話や思考にまどろみ、たゆたい、ホンローされてるかがものすごーく大事なんですよ。すっごくそれは大事なんですよ。生きてる時間の内にその状態で長く過ごすことを目論むわけですよ。
すると「ピロウズの音楽を聞いてる間」とか「後藤ひろひとの芝居を見てる間」とかはうっとりしてるわけです。目線のよさ、世の中ってものへの解釈の良さに惚れていられるんですよね。

生きてる時間を上手に日々惚れていたいわけです。
アニメを比較的多くみてるのはその頻度が比較的高かったからなんです。
でーすから昨今のアニメってーものには、少なからぬ「がっかりだー!」をぶつけてもいいですよね。でもまあ人によっては今のアニメたち万歳!なケースもあるので、そうそうネット上でワタクシごときがホザいても、ま、許しなさいな。

まぁそういう訳で、アタクシごときは厳密にはアニメファンじゃないんでしょうけど、そんなこたー大事ではありませんね。惚れさせろ!ん。一言につきるね。ンム。