エヴァンゲリオンがテレビでヒットしたとき、その最初は「人が寂しがる」を感じる、その解消に触れに行ったSFなるメタファーが、アニメファンだけでなく、主に芸能界や世界に伝播する原動力になった。アーティスト気質の人らが、好んでコメントし始めたアニメでもあった。
TV版は明らかに最終回で力尽きた有様を晒して終わった。
劇場版でエスカレーションを試みれたことで、四半世紀を費やすことにもなっちゃった。
それくらいは、誰もに「さみしさ」は喫緊で切羽詰まったモチーフだし解消を試みたい糸口なのだろう。
ココロの渇望感は「話せる相手がいる」で幾ばくかの解消をはかれもする。
黙って過ごすのは修行に等しく、誰もがそう臨むスタイルでもない。
されど誰か彼かに際限なく語っていくような風潮はない。話せる相手は、ココロ許せる相手であってほしい。されど現代にあっては、そうした相棒や異性を必ずしも見つけられる気配でもない。なんなら人生の終焉までそうした縁のなさを予感できそうなほどには個人が個人であることも叶いかねない。
記事にいう「AI彼女」なるものによって、喋れないでいたことを喋れるまでには能動を許しています。ここのボーダーラインにすら今まで届かないでいた。
「バーチャルな彼女ではありません。ユーザーが好きなもの、ユーザーが嫌いなものをユーザーから学ぶ彼女です」とヴィッタート氏は言う。
「AI彼女に調子の悪い日や何をやってもうまくいかない日はありませんから、男性は完璧な恋愛が手に入ります。実際の恋愛に付き物の浮き沈みに対処する必要もありません」
完璧かあ・・・
ここが怖いんです。
完璧な外野を感知して体験してしまった人が、完璧でないをどう見渡すのか。
「こうしたAI彼女が若い男性の間に見られる孤独の静かな蔓延を可能にしています」とヴィッタート氏は言い、アメリカでは独身女性よりも独身男性の割合が高いと指摘した。
「女性の方が親しい友人が多かったり、友人グループが幅広かったりします。女性はこうしたAIのライフスタイルに男性ほど心理的に取りつかれることはなさそうです」
この書きようは🐼は懐疑的にみています。
ネット世界でも女性自身が自我を満たすためのアイテムは充実してるし、抵抗感のあるものにも感じません。互いに「個の確立」が成立してしまうのは、さほど抵抗のあるものではないのでしょう。
満たされる
人のこの、前頭葉あたりを特にターゲットとした的を射るのは果たして正解なんでしょうか。
際限のないなにかへ向かいそうな畏怖があります。
理解者、さみしさ、孤独
ここへの正規な向かい方を探りに行く契機とできます。満足だけが答えではなさを覚えもします。人によって腑の落とし方が違う局面で、一概なことはいいにくさがありますね。

