4月23日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」のシスコシステムズ鈴木みゆきアジア代表の記事の中で、「オーセンティシティー」という言葉が目に付いた。僭越ながら、私もここ数年ずっと大切にしている言葉である。それがカッコで「信頼性」と書かれていたのは、ちょっと残念である。オーセンティシティーという言葉に馴染みのない人が見たら、あれ、意味が伝わらないんじゃないか。
 ということで、今回は鈴木さんに成り代わって(?)「オーセンティシティー」について説明したい。

 英語でAuthenticity。辞書を引くと「信頼できること、確実性、出所の正しさ、真正なこと」とある。なるほど、記者さんは、最初の言葉を引用したのかな。せめて4番目の「真正なこと」をピックアップしてほしかった。
 Authenticityの由来は古代ギリシャ哲学に遡る。“be true to oneself”=自分自身に対して真実であれ、という意味の概念から来ているという。平たく言えば、「自分らしくあること」。
 それがどうして「信頼できること」に繋がるの? あ、そうか、いつも自分に正直な人は、きっと人にウソついたりしないから、信頼できるよね。…というほど単純な概念でもない。

 Authenticityは、一義的には他者の存在を前提にしていない。「他人にウソをつかない」ためには、当然「他人」が目の前にいないといけないが、Authenticityは、他人がいようといまいと関係ない。あくまで自分自身との関係が問題なのである。
 自分が、自分自身の関係において、本当に自分らしく、真の自己であると言えるか、胸に手を置いて考えてみて、「確かに自分は自分にウソをついてない」と言えること、それがAuthenticityなのである。
 ダイエット中に誰も見ていないところでポテチ一袋一気喰いしたのに「このカロリーは例外ということで」と自分を胡麻化したりしない、といったことはもちろん、悲しいときにその感情を無理やり押さえ込んだりしない、へたな忖度は組織を滅ぼすと思ったら勇気をもって行動する、など、自分自身の内面の思考や感情と一致するやり方で自分自身を表現し、行動することなのだ。
 本当の自分に、本当に正直になるのって、実はけっこう難しい。


 でも、それって、つまり自分の好き勝手、我儘放題に振る舞えばいいってことになりませんか? 

 はい。鋭いご指摘、ありがとうございます。ここからが難しいので、よーく注意して読んでくださいね。
 

 いくらAuthenticityが他者の存在を前提にしない、といっても、この世に生きている限り、他者の存在そのものを否定することは出来ない。だから「自分自身」とか「真の自己」と言ったって、「社会的な関係を丸っきり無視した自分」というのはあり得ないわけだ。つまり、自分が「真の自己」として振る舞うときでさえ、社会や他人の影響から逃れることは不可能なのだ。
 ただそのとき、「社会の要請に応じて仕方なく」あるいは「社会の圧力に屈して嫌々ながら」振る舞ったりしたら、それはもう「自分に正直」とは呼べない。となると、社会の要請に応ずるべき、他者との関係において本来望ましい在り方については、あらかじめ「自分自身」にembedしておく必要がある。社会的な望ましさを無視した天衣無縫、勝手気まま、我儘放題は、「自分自身」から排除せざるを得ない。
 だから必然的にAuthenticityは、抹香臭い言葉で言うと、道徳的、倫理的なものとなる運命を背負っている。


 かくして、このような「Authentic」なリーダーに対しては、人は必ずや信頼を寄せるに違いない。これが、鈴木氏が「リーダーはAuthenticでなければいけない」とおっしゃり、Authenticityが(長々しい説明をはしょりまくって)「信頼性」と訳される理由なのである。
 子供の頃から海外生活の長い鈴木氏は、「金髪の子ばかりで『自分だけ違う』と感じる中で、Authenticityを身につけてこられたのではないかと拝察する。

  Authenticityは、「誠実さ」と訳されることもある。日本語で「誠実」というと、他人に対して誠実、優しい、滅私奉公、みたいなイメージが浮かぶけど、それとはちょっとちがう。「自分に誠実」であることは、「他人に誠実」に振る舞うことよりも難しい。でも逆に言えば、「他人に誠実」であるためには、まず「自分に誠実」であることが肝要なのだ。

 ちなみに、心理学の世界では、Authenticityは「本来性」と訳される。立派な心理学用語なのです。


 そして今、Authentic Leadershipという概念が、欧米で注目されている。