$ほっこりlanlanの☆いいこと日記

和暦 神無月朔日
ツォルキン KIN4(黄色い種 赤い龍 銀河の音4)
13の月の暦 自己存在の月 変容の週 17日 GAMMMA

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和暦(旧暦)でもようやく月が替わりました。神無月。
そして、西暦(新暦)では11月3日は文化の日。

11月3日、もともと明治天皇の誕生日だったとされているわけですが、
これは一体、旧暦換算なのか?新暦なのか?

で、今更に
明治5年の改暦の騒動が知りたくなってググってみました。

Wikipediaによりますと…

日本で、従来の太陰太陽暦を廃して太陽暦を採用することが公布されたのは
明治5年11月9日(1872年12月9日)。

施行は、西暦1873年1月1日にあたる明治5年12月3日。
つまり、明治5年12月2日までが天保暦(旧暦)で、
翌12月3日から明治6年1月1日となったというわけです。

12月3日から12月29日生まれの誕生日の方たちのお祝いは
どうしたのかしら~( ̄□ ̄;)
混乱したでしょうね~

ここで、太陽暦=西暦を採用するのはよしとして、
なんでまた和暦をゆがめる無理やりな改暦が必要だったのか。

アジア各国では、今もそれぞれ旧暦と併用しているわけだから、
日本だって併用の道もあったのではないの??

と、私も常々思っていたわけですが、
やはり「改暦」には時の為政者の都合が絡むわけですね。

明治の改暦の裏には、政府の財政事情があったようです。

つまり、旧暦のままだと
明治6年は閏月があるため13か月となりました。
すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を
1年間に13回支給しなければならない。

これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ。
また、明治5年も12月が2日しかないので、
11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる。

さらに、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、
これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算である。
新暦導入を機に週休制にあらためることで、
休業日を年間50日余に減らすことができる。

なんだかなぁ~・・・( ̄_ ̄ i)


で、明治天皇の話に戻ります。
生年月日は1852年11月3日。
旧暦換算では、明治天皇の誕生日は9/22。

明治天皇の誕生日=文化の日というのはたまたまそうなっただけで、
本来文化の日は日本国憲法が公布された日なんだそうです。
因みに、憲法施行されたことを記念した日が5/3の憲法記念日です。


さて、ここで何となく、
自分の誕生日が旧暦でいつなのか知りたくなって
新暦・旧暦変換で調べてみました。

私の誕生日、新暦では2月11日ですが、
旧暦では、1月10日なんだそうです。

夫はというと、新暦1月16日ですが、
旧暦では前年の12月11日…
すると干支まで変わるんですよね!?
寅と思っていたら、本来は丑~!?Σ(・ω・ノ)ノ!


何だか、あらぬ方向に飛んでいってしまった取り留めのないお話に
最後まで、お付き合いありがとうございました。


三連休中日の日曜日、晴れてきました。
さて、今日は何して遊ぼう(*゜▽゜ノノ゛☆