台風の行方が気になり、被害が出ないようにと願う日ですが、こんな自然災害への脅威は、昔と変わらなくて怖いままなのかとは思ったりします。

もちろん、台風はある程度の進路や大きさがわかりますが、けれども本当にどうなるのかは実際にはわからない。


「台風一過」でホッとした記憶もありますが、やはりそれは過ぎてしまわないとわからない。


先日の南海トラフの注意報が無事に終わったものの、いつどこで揺れても不思議ではない状況は続いています。

もちろん、そういう注意報が出たり、スマホがびっくりするような警告音をくれるというあたりは「進歩」なのかもしれませんが、それがどこにいる時で、どんな状況の中で起こるのかはわからないまま。

 

けれど、先日つけていたニュース番組の特集で偶然目にして驚きましたが、先の戦時中は、情報を伝える為に、伝書鳩で送っていらしたとか!!

 

そこから考えると、今の時代の即時に状況がリアルタイムで、映像つきで見ることも知ることも可能になっていることの「進歩」には改めて驚いてしまいます。

 

それでいて、

AIなども進化してきていて、情報によっては、「本当に本当の正しい情報なのか?」を気をつけないといけないくらいの状況には戸惑いを感じたり。

それに、人の手で作りだされるものの良さがなくなっていくような怖さも感じます。

 

また、情報量が多すぎて、タイパなどという行動が当たり前になってきてて、昭和時代の人間としては、どこかで何かが忘れ去られていくような危惧を感じてしまったりも。

 

何か調べたりする時に、紙の重たい辞書で一生懸命に調べたりすることによって、けれどそこからは得るものは多かったような気もしますし、記憶も鮮明に残るような気もします。

とはいえ、今ではすっかり私自身もネットで調べてしまっていますが。

 

それに、また接客業を始めたということで英語の学び直しもしようと思い始めた時、辞書で調べていた頃の方が・・・・・という気持ちがあったりもしますが、

実際にはなかなかで。

アプリなどを使っては、簡単に勉強したつもりになっているような気もするので、やっぱり真面目にラジオ英会話(これもスマホで聴いていますがあせる)のよさに戻ってきます。

 

それにしても、このすごい「進歩」の中であっても、変わらないものが自然災害への脅威だという事には、なんというか、考えさせられるものがあるようにも思えてしまいます。


今は、台風が被害が出さないで無事に通り過ぎてくれるように、南海トラフが起こらないでいて欲しいと願う、のみの私ですが。





さっき通った道では、百日紅が揺れていました。

その様子を、ただ素直に綺麗だと思える状況が続いて欲しいです。