病院の読書(転がる香港に苔は生えない) | まさや爺さんの贈り物

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分厚い本を買うと、どうしてもかなりの時間がかかり、途中で休息も入り、2年がかりになることすらある。でも読みきる本も数少ない。そんななかで、自分が感じてきたのは、どうも女性作家のほうが好きなようだ。男性より女性のほうがわかりやすいし、的を得てる。


 病院では、呉善花さんの「なぜ世界の人は日本のこころに惹かれるのか」の読み残しと星野博美さんの「謝々チャイニーズ」それに五木寛之さんの「親鸞」などを読んでました。最近の動向でちょっと気になっていたのが、香港の学生の民主化運動のデモです。


 そのため読みかけの分厚い582ページのドキュメンタリーを読むことにしました。この本は、香港の返還前後を書かれた本で、1996年から2000年までの4年間香港で暮らした星野博美さんの「転がる香港に苔は生えない」というノンフィクションで大宅壮一賞に選ばれている。自分も返還前の香港に行って、あの東アジア特有の感覚を体感したことを思い出した。


 この女流作家の文章は、歯切れがよく、男っぽい女性の描かれた文章なので、読みやすい。この本とであったのは、とある古本屋で、100円の棚にあった。最近韓国・中国という国に大変興味を持ち、自分が以下に知らないかを知らされたので、日本のことを知るには、この二つの国を知らないわけには、いけないと思い、読みたい本で、安い本を買いだめしている。


 西日の差し込む本の棚の前で、その日の気分によって、ページをパラパラめくり、もっと知りたいと思ったものをチラ見して、引き込まれれば、読むという世界がとても好きです。この本を開けてみると、香港へ行ったときのことがはっきりと蘇ってくる。


 自分があのビクトリアピークにバスで登っているような錯覚を覚えた。冒頭の香港の啓徳空港へ降りる描写を読んで、すぐにこの本を買うことを決めた。あの香港の町並みに突っ込んでいく光景は、どんな遊戯器具よりスリルがあるのもである。し


 かしもうその啓徳空港はないという。またこの本に書かれている貧民窟のジャングルといわれている九龍城砦ももうないという。香港の偽者には、腹が立つより笑ってしまいます。自分もセブンスターが10本輪ゴムで留められて売られているので、買ったことがあった。


 また時計で、中身は日本製と言われ、「日本製は間違いない」と念を押され、「なかなかええこと言うやん」と買わされて、すぐ壊れたときも悔しさは、ぜんぜんなかった。この本には、鉛筆がバラで売られており、Bから4Bまで同じ濃さだったというから面白い。これは象形文字を作った民族のDNAなんかも知れない。


 よく書評には、密航者に香港は、どういうところと聞いたら「このまちここは最低だ、でも俺には、ここが似合っている」と言われ著者は、自分にはこんな愛に満ちたセリフがいえるだろうかと書かれてある。しかし自分は巻末の日本のことについて書かれてある部分が心に残る。


 日本では、誰としゃべらなくても物は買えるし、何も自己主張しなくても日常生活には、支障はきたさない。一日を終わる時、自分が今日一日何をしゃべったか考えてみる。スーパーの店員に向って一言「袋要りません」といったことに、とても寂しかった。


 香港が懐かしかった。と書かれてある部分は、子供たちが独立して、夫婦二人きりの高齢者の寂しさにも通じるものがあるような気がしてならない。今回の香港の民主化運動のデモは、そんな騒動には、ならない気がしていました。


 香港は、アヘン戦争以来いろんな国に統治され、中国人でありながら多民族なのですが漢民族が多いのではないかと思われ、他の地区での民族闘争なんかとはちょっと違っているように感じました。病院では、謝々チャイニーズにも面白い記述が乗っていた。


 日本も昔はそうだったのですが、ゴミ箱の観念がなく、中国ではビルの谷間にゴミを捨てるので、一階の人は、窓を開けるとごみが入ってくるので、開けられないときもあるらしい。その話を友人にするとまたいいかげんなことを言うと叱られた。日本も昔は、同じ時期もあった。