法事の食事(法話とお斎) | まさや爺さんの贈り物

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 梅雨時の赤いアジサイ

 靄に霞むハルカス

 ハルカス


先日おばあさんの3回忌に行きました。おばあさんは、田舎育ちなので、畑で採れたものをお供えとして持っていきました。高速道路は、休日のため混んでいましたが、思ったより早く現地に到着しました。1時間も前についたので、横になりお寺さんを待ちました。近くの甥もきていたので、にぎやかでした。


 いつものとおり三回忌の法要が営まれ、お寺さんの法話を聞きました。「おばあさんもなくなられてから3年たちましたが、こうやって皆さんが集って、故人を偲び、語らうことは、色々と死について考える良い機会です。


 人間として、自分のことだけを考えないで、人のことを考えて、人と比較しないで、「何故、自分だけが蜂に刺されないかんのや」と考えがちですが、それではいけません。」と先日蜂なさされた自分も引き合いに出されてしまいました。


 自分が死んだらどこへ行くんだと思いますが、仏教の特に浄土真宗は、お題目を唱えると誰でもあの世で仏様になれるので、ちゃんといくところがあります。帰るところがあるということは、ありがたいことで、帰るところがあるから旅にでれますが、なければ家出と一緒ですから寂しいものです。」とわけのわかったような解らないような法話を聞いて、お昼のお食事となりました。


 法事の食事を「お斎」というそうで、「おとき」と読むそうです。何故そんな風に言うのか調べてみました。斎という字は、セイの省略形「斉」と示の会意文字だそうで、省略形の「斉」は、祭祀に奉仕するときの三本のカンザシを並べている婦人の髪飾りを表していて、「示」は、祭りのときに使う祭卓だそうです。


 ちなみに「祭」と言う字は、左上の月が肉片を現し、右上の又は、手の形をあらわしているので、、祭りの字は、机に手で肉を盛ってみんなで騒ぐような意味がこめられているそうです。ですから法事のときの食事の「お斎(おとき)」は、祭卓の前で、祭祀に奉仕する婦人達を意味しているのだそうです。


 今回は、立派な懐石料理が出ました。これこそユネスコ無形文化遺産に登録された「和食」です。新鮮で栄養バランスの取れた季節感を表現したものでした。手間がかかっており、季節をあらわすものとか、縁起物のものとか少しずつ沢山の品数が折の中に盛られていました。


 ご飯も黒豆の入った「おこわ」でした。「おこわ」は、祝いの席の御馳走で、精進料理として、僧侶に好まれたそうです。ところがこのおこわの硬いこと。曲げワッパの中にはいっているのですが、なかなかここから取り出すのが大変です。昔の人は、あごが強かったのかも知れません。


 すると誰から言うともなしに、「吉野家の牛丼の方がよかった」という声が若い人から出てきました。そこに甥が、マクドナルドのワールドカップのハンバーガーを抱えて帰って着ました。みんなそっちの方がいいと睨んでいます。


 自分もそう思いましたが、でも和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことだし、このような特別の食事は、やはり懐石料理がいいのではないかと思い直しました。手間がかかるので、どうしても高価になりますが、やはり、もうちょっとリーズナブルになればと思いました。


 いろんな外国資本のファーストフード店が出てきましたが、日本には、日本らしい季節感のある懐石ライスバーガーなんかがいいのではないかと思いました。ロンドンの地下鉄の売店では、おにぎりの専門店があるそうで、繁盛しているそうです。


 お昼が済んで、腹減らしにシティウォーキングをしました。ところが、あまりの暑さに、パチンコ屋で涼もうと入ると、ポケットにある小銭で、遊んでしまいました。何十年ブリのパチンコです。ところが中にはいると見たことのないものばかりで、5円スロットがありました。


 今までは、1000円で50枚ですから一枚20円が5円ですから四分の一で遊べるようです。パチスロの吉宗の前に座りました。すぐビックボーナス確定になりましたが、押し方を機械が生意気にも指定してくるとは、知らなかったので、一つもそろえることが出来ません。


 隣の人が、真ん中から押してくれてそろえてくれました。自分が押す順番を間違えたりすると、「もったいない」とつぶやいてくれました。すると何かわかりませんがプラス500とか色々でてきて、隣の兄さんも「この台すごいぞ」と言っています。


 結局4回連ちゃんが来て、そろそろ帰る時間なので、やめてしまいました。メダルを二箱獲りましたが、もともと四分の一なので、しれていました。今回は、自分が勝ったのではなく、特別におばあさんが勝たせてくれたので、調子に乗らないようにと思いました。お寺さんの言うように、どうしても他人と比較してしまう人間の欲望を利用したのがパチンコのようです。お寺さんの法話が身にしみた一日でした。