短歌と私 | まさや爺さんの贈り物

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このブログは、家庭菜園とフォルクローレを趣味にして、つれづれなるままに、書いたボケ防止の練習ブログです。

先日の飲み会で、反省。自宅謹慎中。何気なく朝TVを見ていると、ちょっと気になる短歌が、特選に選ばれた。

アメリカのオハイオ州の人が投稿した。『吐く息の 白きを見つめ 落ち葉踏む 小径横切る コヨーテ 二ひき』。


 歌い手が「広大な森林地帯をコヨーテが二匹(夫婦?)白い息を吐きながら、自分の前を横切る。子供たちは、すでに巣立ち、アメリカに来て二人っきりになったけど、コヨーテもこんな荒涼とした自然の中で、淡々と生きている。素晴らしいなぁー」と言ったか、言わないかは、判らないけど、荒涼とした冷たい大気とそこに生きる動物たちと人間の程よい関係伝わってきた。


 この日の選者は、ゲストの名前を5文字折り込んで短歌をプレゼントしていた。これを折句と言うのだそうです。私は、年に1回だけ短歌を作ります。そして年賀状に書きます。今年の句は、『立冬や あやにしげれる 龍神に 優しさ戻し 希望に燃える』と言う、下の二句に孫の名前を入れました。


 有名な折句に「かきつばた」を折り込んだ伊勢物語の『らころも きつつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞおもふ』である。ちなみに昨年は、『竹林が「コレ・カラ・ダヨト」音を出し 祝う颯に 木漏れ日揺れる』でした。これも孫の颯くんが生まれたのを歌にしたものでした。


 子供の頃は、家では、花札はやりましたが、百人一首はしませんでした。ただ床の間に、二宮尊徳がわらじを編んでいる博多人形がありました。その尊徳さんが、読んでいる本には、『ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる』と書かれていたので自然に覚えました。


 それから親父が、朝早く起きるまじないとして、『○○時に、起こしてください。「アブラ・オンケンソウカ」×4回唱え、「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれ行く舟をしぞ思ふ」』と一句唱えると、願い事がかなうそうです。


 それ以外の短歌としては、受験のときに、石川啄木の「一握の砂」との出会いでした。意味がわかりにくい万葉集、古今和歌集などから、とても判りやすい短歌に思えました。世界一短い詩は、俳句ですが、このものすごく古くからあるロマンチックな短歌は、日本独特のもので、これは下手でもいいからやってみようと思いました。


 好きな句は、「たわむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」「怒る時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九割りて死なまし」


そして職場が大阪のときに出あった記憶に残る歌碑は、難波橋(ライオン橋)の「西ひがし みな見にきたれ なには橋 すみずみかけて 四四の十六」と梅田の露天神社の「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思いいずれば」でした。


 日本で一番古い短歌は、日本書紀に載っている八岐大蛇を退治したスサノオの尊が歌った「八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る 其の八重垣を」と言う句だそうです。

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