文先生がダンベリーに入った時に、多くの統一教会員はショックを受けました。その前には、文先生の次男が事故死しました。その背後には、霊的な事情があったのを文先生は説明しました。共産主義と民主主義が冷戦でぶつかっている時代でもありました。こういう危機感を感じやすい時には、むしろ祝福家庭には強さが出るかもしれません。

 

しかし、一見、全てがうまく行っているように見える時にショックを受けるようなことが起きると、祝福家庭の弱さが出てしまう可能性が増える、と思われます。そして、ショックなことが起きると、ダンベリーの可能性が出た時に、祝福家庭に亀裂が入り、様々な思惑が交錯したように、それまで溜まっていたものが表に出るようになる可能性もあります。そこでただの人間的な強さではなく、神様が働くことができる強さに転換できるかどうかは、その人次第であると同時に、人を勇気付けることができる人が必要になります。

 

文顕進会長が繰り返して教えていることに、「リーダーは、危険な状況の中で、安らかでいることができなければならない」ということです。それで、危険なオートバイ登山とか、そういう訓練もされます。

 

私たちは神様を信じていると同時に、霊的サタンが存在することもはっきりと知っている人たちです。そういう人たちの観点は、この世の観点とは違います。それは、神様の目的と業、サタンの目的と業を認識できるからです。

 

昨日は、文顕進会長を中心として、とても素晴らしいお祝いがあったのですが、その家庭のお祝いの中にも、はっきりと神様が祝福できる原理が働いています。お祝いの席で、親子の関係こそが神様と人間の関係を理解することができるようになる出発点であることを文顕進会長は語られましたが、文顕進会長の家庭においても、文顕進会長が家庭的基台を築く努力を続けるように、私たちもそのような家庭的基台を築く努力を継続する必要があります。サタンは、それを破壊しようとするのは間違いありません。

 

これを読む祝福家庭の皆様は、文顕進会長とどこまでも行こうと思うでしょうか?文先生が存命だったころ、祝福家庭は、文先生とどこまでも行こうと決意していたはずです。現実的に、真の家庭の基準を持っているのは、文顕進会長の家庭しかありません。それがわかったら、自分の選ぶべき道もわかります。

 

今の状況の中で、サタンは、過去の心の基準以下で乗り越えることを許すでしょうか?サタンは、神様の真の家庭を全て消し去ることを意図しています。それができれば、あとのことは思い通りになるからです。それに対して、神様は真の家庭を守ろうとします。そして、真の家庭にも、人間の責任分担があります。これから書くことは、身近に感じるのが難しいことがかもしれませんけれども、今起きている問題の根本と、その解決の道を示すために書きます。

 

では、私たちが至るべき世界への道を知るために、私の文章を書き始めます。

 

皆さんは、理想家庭がどのように見える家庭なのか、自分の目で見たいはずです。真の父母と真の家庭の定着は、文先生の家庭にかかっています。今は、文顕進会長の家庭しか、真の家庭の基準を持った家庭がない、というのが現実です。だから、文顕進会長は、お子さんたちに、「一つになって、理想家庭の前例を立てなさい」と言われるのです。

 

文先生の家庭には、二世代にわたる問題が生じました。これは、エデンの園でのアダム家庭と同じことです。文先生の家庭で、親の世代においては、男性と女性の役割の違いを正しく認識できなかったことから問題が生じました。男性と女性、半分ずつの存在がどのように一つになって生きるのでしょうか?でも、わかれてしまいました。そこから、子女の分裂が生じました。

 

高い理想を生きることは重荷であると同時に、とてつもなく贈り物でもあります。祝福家庭とは、真の家庭の拡大家庭です。だから、真の家庭でのお祝いは、ともに祝うのです。

 

真の家庭とは、先祖の家庭です。他の家庭とは違います。それを祝福家庭においては、正しく認識できませんでした。姻戚関係によって、真の家庭に問題が生じました。腐敗、政治などによって、汚染されました。そうであってはならないのです。真の家庭と結婚した人は、男性でも女性でも姓が変わります。もはや、自分が生まれ育った家庭の人ではありません。また、子供が姻戚関係を結んだ人は、真の家庭の全員が理想に従って生きることができるようにしなければならないのです。もし姻戚関係を結んだのなら、子供が姻戚関係を結んだことに対する正しい理解と伝統を持った良い家庭を築かなければなりません。

 

韓国には縦的な愛の伝統があります。それは歴史的文化の中で天の伝統に最も近いものです。原理の最も根本は、親子の関係にあります。それが理解されなくては、孝子、忠臣、聖人、聖子の道を理解することができません。どのようにして神様を代表するのでしょうか?それは、縦的な愛を相続することから始まるのです。

 

祝福家庭が受ける祝福というのも、配偶者を見つけるためのもの、ではありません。神様から出発するのです。祝福とは神様に対する供え物です。もしそのように考えるのなら、誰とでも祝福されることができます。もしも横的な観点であるのなら、限界を設けることになります。もしも絶対的なものに基づかなければ、何かの障害があった時に、結婚は壊れるようになります。祝福とは供え物をすることであり、神様との関係を結ぶことなのです。縦的な秩序が、永遠を構築するものであり、その実りが子女です。

 

 

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