「○○のために」頑張る養護教諭へ。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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以前書いたこの記事↓

 

北海道の浦河町にある診療所のお医者さんのお話。

私は「○○のために…」と思った時に、

いつもこのお話を思い出すようにしています。

 

「あのね、

「相手のために全力を尽くしたい」

と思った時ほど、

「相手50、自分50」だよ?

「相手のため」と思う時ほど、

「どうして自分は「相手のため」って思うのかな?」

って自分にきちんと聞いてみる。

そういう時ほど、自分の声に耳を傾けるんだよ。

そうするとね、

大概そういう時って「自信がない」時なの。

「自信がない」から、相手からの「ありがとう」が欲しくて。

それを「自信」に変えたくて。

それってさ、

本当の意味の「自信」なのかなぁ?

本当の意味で「相手のため」なのかなぁ?」

 

 

そのお医者さんも、

若い頃は医者としての「自信」がなくて、

地位や名声が欲しくてたまらなかった時期があったそうです。

だけど、そう思えば思うほど、上手くいかない。

患者さんとの関係が築けない。

「先生のおかげです」

という言葉が欲しくて欲しくて。

そんな時期があったそうです。

 
「子どもたちのため」
「学校のため」
「保護者のため」
「担任の先生方のため」
「地域の方のため」
そういう「○○のため」に頑張る養護教諭、多いと思います。
(もちろん先生方や多くの皆さんもきっと同じだと思う)
ついつい頑張りすぎちゃって、
何だか目の前のことに対して本末転倒な時もあったりして。
でも、「ありがとう」は欲しいし、
頑張らないと「自信」なんてつかないし…。
自分がこの学校にいるのは「誰かのため」でしょう?
なんて言い聞かせたりして。
(だってこれまで大学ではそうやって教わってきた)
 
「先生のおかげです」
私もこの言葉が「支え」だった時期が長かったです。
そう言われたら、
この学校にいていい気がして。
そう言われたら、
養護教諭として一人前な気がして。
そう言われたら、
私の存在価値がある気がして。
 
だからその言葉が欲しくて
(それはきっと「評価」や「承認」が欲しくてってことなんだろうけれど)、
むしろその言葉を言われることが目的になっていた時期もあったと思う。
だから、
自分としてはとっても頑張って対応したのに、
子どもからも、保護者からも、担任からも
「先生頑張ってるね」とか、
「先生のおかげで回ってるよ」とか、
「先生のおかげで元気になりました」とか、
そういう言葉がもらえなかった時は、
「自分はこの学校で役に立てていないんだ」とか、
「どうして認めてもらえないんだ」とか、
自責だったり他責だったり、
とにかくそういう気持ちで「葛藤」していました。
(書けば書くほどおいおい…と思う人が多いかもしれないけれど、
これは「本当」のことです)
 
でも今なら分かります。
そうやって、
自分の「自信」のために、
「誰か」を軸にして、
いつも土台が揺らいでいたこと。
挙句の果てには、
私はきっと「誰か」のエネルギーを吸い取っていたり、
「誰か」の厚意を「利用」して、
自分を保とうとしていたんだろうな、と。
そしてそんな気持ちを「相手のため」とすり替えていたんだな、と。
 
今でも、
「○○のために頑張らないと」って思ったり、
「自信がない…」と落ち込んだ時は、

「相手のため」と思う時ほど、

「どうして自分は「相手のため」って思うのかな?」

って自分にきちんと聞いてみる。

そういう時ほど、自分の声に耳を傾けるんだよ。

この部分を思い出して、
自分が「本当」に欲しいもの、
「本当」に大事なことは何だろう?
と立ち止まるようにしています。
 
 
 
 

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