AIを試し使いしながら、色々やっていたら、話題のobsidianというアプリケーションに辿り着いた。もう、鉄道模型のブログというよりは迷走に次ぐ迷走だが、既に工作方法を全て習得した上でやっていないわけで、何をするにも調べながら覚えていく作業になる。で、最新技術が各方面から登場している現状、最大のものはAI様ということに今はなってしまうわけで。

 

結局、写真から3Dモデル化して、それを編集する作業は止まってしまってます。すると本来、人に聞かずに自分でゴソゴソやり始める人生を送ってきた自分としては、AIに辿り着いてしまうわけです。AIにも畏れというか、人間に対するものと同様な警戒心、恐怖心を持っていますが。どこまで言って大丈夫なんだろうとか。言葉使いを乱暴にしたら、こいつはスネルんだろうかとか。いやぁ、しかし、AIと結婚するというニュースがあったという話は、さもありなんだが、まさか本当に起きてしまうとはね。2次元アニメのファンはキャラクターが生きているかのごとく扱って、作品世界に没入している。だからと言って、2次元キャラが生きているとかいう話ではない。生きているのはその視聴者であって、全ては種明かしをすれば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なのだ。自分の話で恐縮だが、幼少期、私は時代劇を見ると「江戸の人」と言って、まさか俳優が演じているのではなく、あのような格好をしている人が世界のどこかにいるのだろうと考えていたようだ。ヒーローや怪獣、かわいい動物の着ぐるみなども全部、実際にああいう生き物がいると思っていた。チャックが背中にあるという事実に気づき、受け入れるまでは。模型関係の動画を見ると、作品に「この子たち」と呼んでいる人が多いのも、対象への愛情の延長だろう。だけど、AIと結婚の話はちょっと検討課題があって、実際にAIがプロポーズしたらしいのだ。うーん、これは無生物である模型やアニメキャラに惚れているようなものとは本質的に違うのかもしれない。

 

そうやって、うだうだ考えながら、悩みながら、ほとんどITデバイスの中で生活しているわけだが、そうすると大量のスクリーンショットでダウンロードフォルダーが溢れかえってしまう。これは重要だと思ったからスクショを撮ったのだが、放置されてしまうと、一体それは何の目的だったか忘れてしまうようなものもある。すぐに思い出せないのは、中身がすぐに見れないからなのだが。

 

多分、ここのブログで書いた(もしかしたら駅メモ!の方だったかも)はずだが、ファイル管理やファインダーに新しい技術が欲しいみたいなことを言ったと思う。MacOSが好きなのはファイルにマウスを当てると小さいながらもプレビューしてくれるから。物真似Windowsも似たようなことやると思うが、何か使い勝手が微妙に違ってしっくり来ない。スクショには本当は私のその時の相当な思い入れがあって、わざわざ残している情報なわけで。少ない操作で中身が見えてくれるのは結構重要。

 

問題はその先で、動画を見て「お、ここ重要」と思って最重要ポイントを押さえたとしても、それに付帯する情報が漏れてしまったり、メモ書きできたら嬉しいというような情報はたくさんある。実際にブログを書くなどという作業も、工作の途中経過や結果を元に付帯する情報を書き込んでいることなのかもしれない。情報の入力の末、自分の加えた付加価値の部分、それを出力している作業。そうした情報処理のプロセス、これを効率化、支援してくれるような環境は誰もが本当は渇望しているものだろう。ITデバイスのみならず、情報整理法、文房具、収納術などが人気なのも当然だ。

 

そのような中、最近出会ってしまったのが、Obsidian。いや、これは決定打じゃないだろうか。Notionというのも一時期インフルエンサーが騒いでいたのをうっすら知っている。が、当時はOneNoteでいいと思っていた。実際、あれには不満があるのだが、慣れてきていいなと思う面もあるから、使い続けていた。結局、私たちはマルチメディア(死語)の中で生存しているわけで、あらゆる種類のファイルにアクセスして、編集し、それらを一元管理したいのだ。が、そうしたコンピューター上での作業はアプリケーションと独自のファイルフォーマットで分断されている。だが、どうも、最近は専用アプリの呪縛からようやく人類が解放されつつある?と思わせるような事態になってきている。やつらはサブスクモデルで自滅するのかもしれない。Adobeがいい意味でも悪い意味でもそうしたトレンドの象徴なのだろう。いくらなんでも高すぎるだろと。そこにどうもMSが続くようにも言われているし、あの企業への信頼性もだいぶ落ちてきている。いや、自分の払っているMS Office 365、クラウドストレージ付きだが、最初は900円程度で始まってたのに、気づいたら1750円とかになってた。いや、やばいでしょこれ。Windows OSがサブスク化したら、やっぱ相当な反感を買うと思う。ユーザーを振り回し過ぎだろうと。アップデートにまつわる不便さと例の「致命的な欠陥」の狂想曲。何かワクチン商売と同じだな。これがユダヤ商法というものなのか? 藤田田の本でも読んでみるか。

 

そろそろ、結論を言わないとならないが、OneNoteはObsidianに移行していきます。ちょっと試しに同じフォルダー構造を実現してみて、試したら、普段やっているウェブ情報みながら勉強して、あーでもない、こーでもないと考えている作業がすんなり表示されるということを確認した。実に軽くてスムーズ。ストレージはOneDriveなんだが。いよいよMS Officeともお別れか。1700円以上払ってるのはかなり負担だ。実は使ってるのか使ってないのか不明なサブスクがAmazonとかAppleにもあるんだけれど。ヤフオクの旧システム利用料、あれも邪魔くさいよねぇ。一種の民間企業に対する税金だからね。


Obsidianの画面がこれ。右のペインはAIに作業をやらせておく場所になっているみたいです。ユーザーがコミュニティプラグインというChromeの拡張機能みたいなものを作っていて、それが使える。左がMacのFinderでありMSのエクスプローラ、真ん中がエディターで表示させた所。要するにOneNoteにAI機能が追加できるということで、もしかしたらCopilotをEdgeに表示させた画面と近いかもしれないが、ブラウザはどこまで行ってもブラウザ。情報収集から情報保存、そして情報管理、情報編集というローカル領域での作業に移行していかざるを得ないわけで、そうした後工程を意識した仕組みこそ、ユーザーが求めている環境だろう。

 

ファインダーアプリであり、さらにマークダウンMDエディター。Tagなどのプロパティは自分で付加するものらしい。上ではトップに表示してみたけど。で、本文にYouTubeスクショ時の動画タイトルをコピペして、PNGファイルを埋め込んで、表示。下に説明文を自分で書いてみた。何かブログ記事書くのと似ているが。そこまで大袈裟ではない。電子的にメモする、ちょっとした作業だと思う。忙しければ別途、貯めてやってもいい。面倒ならプロパティなんか省略してもいいのかも。入れないとObsidianならではの情報同士のリンク図みたいな表示が不完全かもしれないけれど(おそらく、あれの説明がインフルエンサーがご熱心にやっていると思うが、私は基本的なファイル管理アプリとしての性質、その上、どうやらデータベースとしての利用もできるらしい---Baseという機能、に惹かれた)。

 

Obsidian用に今回用意した保管庫(Vault)のフォルダー構造(左ペイン)も下に行くに従って自分の付加価値が多いものになってはいます。一番下のが個人的には最終アウトプット段階のもの(最近、そこまで到達しない)。0がClippingsで、この操作が非常に軽い。OneNote Webclipperが他のChrome機能拡張とコンフリクトするのか、1年くらい前から使えなくなってしまった。代替法を探していたが、巨大な縦長の画像ファイルにスクショされたりして、いや、これはいくら何でも見にくいだろと。何でまた分割作業しなきゃならないのか。

 

日常やっている作業はWeb見て学んだり、あーでもない、こーでもないと考えたり。その合間に生活のための諸々の作業や仕事やったり。そういう自分というものを成り立たせているあらゆるものが、網羅されている。日付管理だけにすべき、フォルダー分け邪道説(つまり超整理法)はあるが、例え私がながら作業が大好きで、ベッドの上で飯くいながらブログ書いたりYouTube見ているダメ人間であろうとも、やっぱ自分の中では事物や現象はこのように散らばって、併存しているように見えます。その上で検索も可能なのだから、見つからないものが出ようはずはない。逆にテーマなりでフォルダー分けしないと、常に左のペインには年月日のフォルダーが並ぶことになるんじゃないだろうか。Obsidianのデイリーノートというのを理解していないけれども。何か寝る前の作業で区切って思考の履歴が完全保存されるというようなストイックな方針でやっている人もいるみたい。翌日は前日の最終ファイルの複製から始めてるんだと思う。

 

だけど、やっぱ、当面やっている日常作業とかメインの関心事が真ん中にきているこれで良いと思う。そこに5鉄道_模型と5鉄道_駅メモ!という2つのフォルダーがある。鉄道模型でも鉄道_模型でもどっちでもいいけれども。これらはPC上には最終的には存在し得ないわけです。だから、下の方には来ない。まぁ、車両やレイアウトが完成したら写真撮ったりはすると思うけれども。自分による自分という存在の認識が、ここには表現できていると思う。そういう点では第二の脳、脳内の鏡にはなっていると思う。脳内鏡は無機質なファイル名の羅列や、日付であってはならないと思う。「8分析」というフォルダー名はセンス悪い気もするが、作品というか製品にした方が近いかもしれない。「6情報」で「7調査」というのも謎だけれど。情報は情報収集とか学習に近いわけで回り道や予備的な無駄作業も含んではいる。調査は具体的なテーマのための突っ込んだ活動。それを経て、「8分析」に至るのは、それが最終アウトプットに関するものだということを意味はしている。中身はお恥ずかしくてもあるけれど、企業秘密だから見せられない。

 

ObsidianとかNotionはマークダウンという方法で記述する。HTMLはマークアップ言語だから、それとは違うという話だったと思う(詳しくは忘れたということ)。昔、小説書こうとして失敗したが、AtomというエディターでWindows上で作業していた。縦書きで文庫版とか新書版の大きさで印刷させる方法をLinuxで公開している人がいて、それに倣おうとしていた。ひょんなことからMac OSに戻ってきてしまったけれども。で、同じ環境をOSX上でやろうとしたら、インストールできなかったという(知識不足のため)。

 

Obsidianではマルチメディアにファイルを差し込んで表示できる。HTMLのように。そのための指示方法が簡単。自分で<table></table>とか書くより、--|--で枠になる方が楽。Obsidianの仕様では次のファイルが表示できるらしい。

  1. マークダウンファイル: md
  2. 画像ファイル: pngjpgjpeggifbmpsvg
  3. 音声ファイル: mp3webmwavm4aogg3gpflac
  4. 動画ファイル: mp4webmogv
  5. PDFファイル: pdf

mdのマークダウンファイルがあるってことは、既存のテキストファイルを読み込んで、コピペや元ファイルの変更なしに再利用できるということだ。もし元ファイルを別途変更したら、その作業は当然、読み込んだ現在のファイルにも反映される。これをコピペの方法でやったら、元ファイルが変更されるたび再びコピペをやり直さないとならない。これは膨大な作業をする場合にはたまらない作業負荷。そして、画像にとどまらず、音声、動画、PDFまで。それこそマルチメディアのファインダーアプリ。Obsidianはファインダー(エクスプローラー)アプリとしてもめっちゃ優秀。その一旦を、上の画面1つで私が全部表現できたかはさておき、htmlもObsidianは許容するようで、YouTube動画の埋め込みもできるらしい(おいおい、やって見せないのかよ)。

 

でも、これでほとんど行けるんじゃないだろうか。xlsとかcsvが読めるのかという疑問もあるが、まぁ、テキストとして覗ければそれでもいいかも。おそらく、その辺は世界の誰かが解決しているはずだとは思う。要はね、DTP意識だと、ああいう特定アプリを使うんじゃなくて、直接TeXで文章書けってう人たちもいるのを私は大昔の職業上、良く知ってはいます。私はHTMLどまり、それもweb1.0という当時のWindows XPのインターネットブームの技術どまり。ああいう人たちって、結局、高級言語じゃなくてアセンブラーで書けとかいう話と同じでね、はいはいそうですか、私は何も知りませんよと。はい、バカにしてくださいと、縮こまってましたよ。

 

だからAIが、ああいう技術ヲタクの強弁をあっという間に消し去るものならば大歓迎する。どうやら、時代はこっちのフェーズ(IT for the rest of us)に入りつつあるようだ。PCの導入が結局は残業してゲームやってる輩の増殖だか何だかでホワイトカラーの生産性が大問題だったわけだが、どうやらそれらも解決の目処がたち、むしろホワイトカラー労働そのものが、機械に肉体労働を奪われてしまった人間に危機意識を再燃させているようだ。

 

でも、これは模型界にとっては(業界ではなく、消費者も含む)、チャンスだと思う。豊悦がノーコードで業務アプリと宣伝しまくってるように、AI化はノーコードで3Dプリント、ノーコードでDTP(てか、出版業界の主流はWYSIWYGという皮肉)、ユーザーにはノーコード(&ノー知識)でDTM、ノーコード(&ノー知識)で動画編集・映像制作というような方向で、非常に人間とのインターフェースが柔軟で人に優しい(技術ヲタクの素人への蔑みとは違って)環境が到来しようとしている。一方でAIエンジニアリングという基礎数学だか統計学だか哲学だか、天才達が躍動する小難しい世界が拡大している。その辺りの業界構造、社会構造の変化はこの記事の対象ではないけど、まぁ、いろんな変化は起こるだろう。

 

起こってなお、日本の鉄道模型界隈、変わるんでしょうかね。その前に、自分を変化させることですかね。