父親の症状が何かよくわからん。まぁ、どちらの親も平均寿命ぐらいはもう生きているので普通の高齢者であります。今まであの人の手術・入院で見舞いに行ったのは私が30代後半の頃で、切除した脂肪肝を見せてもらったけな(何かキノコみたな気持ち悪いやつだった)。

 

それ以来、私には心配かけないようにか、母親と父親で済ませていたのだけれど。ちょっと今回は事情が違うというか。変な話なんだよ。腰が立たなくなってトイレ行かれなくなって、深夜にお漏らししたか何かで、歩けない状態になって入院したって話を聞いたんですよ。先月末に。そうなっていった状況といのは相変わらず酒量が多く、ベッドで寝ずに椅子に座ってパソコンで何か情報見てるのか、勉強しているのか、遊んだりしていて、そのまま寝落ちして腰痛めたってのが遠因としてあるらしい。それを悪化させて晴れて自立歩行できずに救急車のお世話になったわけです。

 

私は特に深刻には考えずにいた。だって、腰痛で人は死なないでしょ? 痛いけれど。自分も腰痛で救急車呼んだことあるし。おはずかしながら。坐骨神経痛でもう炎症すごくて、ついに歩けなくなったわけで、数時間前に整体に歩いて行ったんですよ、それで治らなくてというか、寝て起きたら余計に悪化してて、こりゃダメだと。自分で救急車呼んで、マジで床を這いつくばって玄関まで行って待機してた。よく鍵開けられたと思う。初冬ぐらいの時期で玄関で寝ているのが寒くてたまんなかった。だから担架に乗ってる時、足が寒さで痙攣してる動きをしてたので、野次馬的に集まってた近所の人はあ、こいつ死ぬか?と思ったんじゃないだろうか。

 

ところがですよ、1週間経ったら、肺に水が溜まってるとかいう話で手術する、太り過ぎだし年齢も年齢だから覚悟しておくようにとか言われたという電話が母親からあった。前日、仕事で外出中に着信があったことに気付いたが、追って電話しても留守だった(病院に行ってたらしい)。翌日に電話かかってきて、その際も私の悪口をあーだこーだと言われて、電話口で相当私は口汚く罵りました。で、この母親というお方が私が高校生の時、心を病みましてですね、精神科に入院したことがあるんですよ。以来、眠剤とか安定剤がないと日常生活送れない人になっております。アル中の父と精神病の母、私と弟の4人家族。弟は障害児なのでいわゆる禁治産者で要介護、老夫婦が面倒見てるわけです。

 

この家族の話、やっぱ私は小説に書きたいなんて思っているわけですよ、昔から。ずっと自分の境遇について考えてきた。忘れろったって忘れはしない。学校から帰ったら親父がいて、母が入院したと聞かされた。数日前から私は何かまた夫婦喧嘩でもやってんだ、ぐらいに思ってたら、精神病院でした。20世紀の1980年代ですよ。精神病って今はポピュラーというか、社会の理解もそれなりにあるようになったと思いますが。そのような私の境遇については省略。だってキリがないから。

 

で、今回の父親の入院。胸水の治療で手術をした。腰からどうして胸に水が溜まるって話になるんだろう。意味わかんないでしょ? どうも入院中に「胸が痛い」と本人が言ったそうで、検査したら胸水てことだった。それで、「覚悟しろ」みたいなセリフを母親は言われたもんだから、もう、この世の終わりかみたいに動転しちゃって。

 

感染症の時期、私はあの感染者のグラフが急増して第X波とか言われているのに辟易してたところ、母親から私を心配しての電話がかかってきて、「外に出かける仕事はやめろ」みたいなこと言われたんで、激怒して電話切ってから実家とは絶交状態だった。正直私は別に親の死に目に会いたいとは思ってないので、誰がどうなろうともう知ったことじゃないと、そんな気でいましたね。

 

会社辞めてからうだうだしてた頃に思ってたのは、一体、親が高齢になるにつれ、私と弟はどうやってその後暮らすんだろう。これでしたね。だって、かわいそうじゃん。何のつながりもない訳のわからない私と一緒に暮らすのは。だから何とかつながりを持とうと、努力したけど。まぁ、弟の障害の症状、そうなった原因とか、これも、まぁ結構説明するの面倒。このブログのテーマでは全然ない。まぁ、難しいよ。そういうことを私は本当に一人で考えてきた。で、色々と自分は何のために生きてるんだろうとかね。いや、自分には何かやらなければならないことがあるのではないかとかね。

 

で、結局、ナーンにもならんかった。いや、小説ってのは「自分」を書きたいんだってわかって、自分を主人公にしたものを何かダラダラ書いていきましたよ。ところがくだらないことでページ数ばっかり埋まって、大量の削除が必要になった。要は起きたことをずらずら書いていくことしかできない、しょうもない野郎だったという話です(簡単に言えば小説家の才能なんてないっつうこってす)。

 

 

そうそう、父親の話だった。胸水でネット調べると、何でこれが命に関わるような病気なんだか、ちょっと私は理解できないわけです。母親は理解して手術に承諾したたんだろうか。まぁ、OKせざるを得ないんだろうけど。いや、だから、本当に現代医学ってのは「対症療法」なんです。今年の6月ぐらいから私が体調悪くなった時のような「建築基準法が義務付ける通風口フィルター目詰まりによるアレルギー発作」、これと腰痛の時に飲む薬が同じなんだから。部位が違うだけで「炎症」だから抗炎症剤のロキソニンを投与して、緊急なら点滴で入れられる。

 

そもそも、何で胸水溜まったんだろ? って話と、それを予防するにはどうしたらいいかとかって話はなかなか出てこないわけなんですよ。

 

私、今回、病院3回行って、1週間前と、おとといの夜と昨日の朝連続。というか昨晩行ったら、もうICU出て一般病棟に移ってて、声出せたんですよ。1回目はわりと手術直後で呼吸器入れてて喉を切開しているから声がでなかった。筆談させようとしたけど、何か字になってなかった。色々書こうとしてたんだけど。で、どうも母親の面倒を私に見てやってくれと頼んでるってことだけはわかった。それがおとといの夜は話もできて、本人は「早くて今週の土曜には帰れるんじゃないか」みたいなことまで言ってた。病室出てすぐに、実家にいる母に電話すると、ものすごい落ち込みようだった。

 

要は父が自分で理解している状態と、病院側から母親に伝わる情報が結構乖離しているわけです。で、とりあえず、治療が終わったら病院側はでていってもらわないとならないわけで(病院の役割分担というか、そういう仕組みのため。厚労行政がそうやってるってことなんだと思うけど)、1)このまま自宅に戻るか、2)介護施設に行くか、3)リハビリのために期限付きで別の病院に転院か、の3択が迫られた。家族で介護するなら、その際は治療器具の扱いを家族が学ばないとならないとか結構脅されるわけで、一体どういうことだったんだろ。

 

いや、その時は、どうも父親は自分の症状を楽観視していて、もしかしたらの認知ボケも加わってか、昔の入院時の話と混同しているのか、言っていることもちょっと時々変というか、微妙に何か食い違ってるんだなあと、そういう空気があった。でも、落ち着いて振り返ると、何か腑に落ちないんですよ。

 

まいったな、これ。いや、程度は違えど、基本は「腰痛」ですよ。これで死んだりはしないよ。例えば坐骨神経が炎症起こして、立てなくなっても、炎症治れば歩けはしますよ。それにリハビリがいるなら、ある程度は必要なんだろうけど。いやいや。私が腰痛で入院した時は、ロキソニンの点滴投与で回復していきましたよ。何日入院してたか忘れたけど。3、4日だったかな。今回父親の件は2つの症状が同時に起こっているわけですが。一体、どっちの原因で介護施設行きだとか、リハビリだって大袈裟な話になってくんだろうな。母親としては2、3回、父親の排泄の不始末をやったわけで、尿瓶は家で用意したそうなんだけど。

 

何か不思議なんだよな。明日も朝から役所に介護の申請か何かで大変だわ。うーん、こりゃやっぱ模型どころじゃないのかもなぁ。模型鉄道幼稚の整備に邁進しようと思ってたんだけどなぁ。