色々気功もスピリチュアルみたいに
伝授とかが一般的になって来た。
伝授される前をわかっていると、
伝授された後に出来る様になっているのがわかる。
逆に言うと、伝授される前にできないのがわかってないと、伝授された実感にきずきにくい。
比べる対象が無いと、伝授前後を分けられないから、わからない。
で、今後どんな方向で妄想気功を伸ばしたいかと考えた。
お金を出せば、すごい伝授はいっぱいある。ただ、気になっているのは、その伝授の元の気は何処から来るのか?ということだ。
臨場感を使う方法は、実感が強くてやった気になるけど、カジュアルな普段使いには重い感じ。
ついつい、凄い結果を求めたくもなる。
でも、気功なんて実に大したことが無い。
例えば、お腹が痛くなってトイレで苦しんでいても、ドアが空いたら痛みなど消し飛んでしまう。
これは気が大きく変化している事だが、
このレベルの変化を起こせる気功ってなかなかない。あったらすぐ習いに行きたいwww
しかも、ドアをノックもせずに開けた人は、気功師でもなければ、誰かがいるとさえ思っていない。
自分が安全だってリアリティが、揺さぶられた事で、気が大きく変化したんだ。
で、そんな時に安心という気をかけても、安心できないだろう。
だが、概念として危険や恥ずかしさを変えたら、他人とすれ違うのと同じになってしまうかもしれない。
裸慣れしている人だったら、ビビらないかもしれない。
大丈夫な概念がみについていたら、勝手に安心の気が出るんじゃ無いだろうか?
気を気で変えるのは、同じレベルの変化だから、大きなエネルギーがいるが、元の概念を変えたら、気は勝手に出てくるのかもしれない。
料理の味を具体的に変えるのは難しかったが、うまいという概念を入れたら、確かにうまかった。
本気でうまいと感じているんだけど、味はぜんぜん変わって無いし、どーでも良くなってて、関係なかったwww
マルチの勧誘で後から紹介される凄い人の凄さの様に、味の根拠のないうまさは、なかなか新鮮な味わい。
つまり、気を練り続ける伝統的な方法よりも、概念の次元に入って、練られた気を扱う方が、楽なんじゃ無いだろうか?という話。
それができればね。