ヴィパサナは、Oshoによると庶民の使うバーリ語で、
25世紀前に生きたゴータマブッダは、バーリ語を使っていたので
サンスクリット語のヴィパッシィヤナーとはいわず、
ヴィパサナと語っていたという。
意味は見ること、見守ること、観照することです。
見る対象(客体)は、思考、感情、気分、身体の感覚・・・・
巻き込まれず距離を置いて見守ります。
しかし見る者(主体)と客体が、同化していて、距離を置くこと自体が難しい。
最初の面倒な関門となる。
そこで、呼吸を見守ることとなる。
呼吸を見守るには、鼻孔や腹に意識を置いて見守ることもできます。
呼吸に意識を同行させて、たどる方法があります。
呼吸が鼻孔から体の内側に入っていくと、意識も体の内側に入っていきます。
呼吸と意識が距離を置かず同化しているかのように進行します。
すると意識が体の内側に置けるようになります。
すると、体の内側に
呼吸がたどる経路とは違う別の経路の存在に気付きます。
内側にずっとあった下から上に突き上げ流れるもの
に気付き、意識を置き、見守る・・・
瞑想すると、突き上げ流れるもの(エネルギー?)の勢いが増してきます。
ところで心身は、
これまで生きてきて受けた多種多層の傷が、無意識となり、
あるいは麻痺し、ブロック(塊り,障害,防御)となって抑圧潜伏しているのです。
瞑想が進むと、勢いを増したエネルギーが、
心身に潜伏する無意識、麻痺、ブロックを解こうと、揺さぶりをかけます。
それが解けていく過程で、痛みや不快がともなうことがあります。
痛み・不快が高じる時、しばらく瞑想を休みます。
このまま瞑想をやめてしまうと、瞑想は怖いとか、先入観を抱かれてしまうこともあります。
続けることが肝心です。
2,3時間、1日‥‥適宜の間を置きます。、
痛み・不快が高進し、新たなダメージを心身に与えないように注意します。
高進したら無理せず瞑想を休み、そしてまた再開することを注意深く繰り返します。
すると痛みや不快の症状が変わっていくのが分かります。
いつの日か、痛みや不快は消え、心身のその部位が生き返り、甦ります。
瞑想によって湧く尽きぬエネルギーが、無意識、麻痺、ブロックを
完全に解くとき、歓び・至福があふれでるのを感じるでしょう。

こうしたことが次々起こります。
そのたびに、心身が軽やかになり、輝きがますのを感じます。
瞑想は長い巡礼の旅です。
ただ今この瞬間を十全トータルに生きるだけです。
瞑想のときも、何げないときも
内側でエネルギーが下から上に突き上げているのを見据えていると
自らが光り輝いているのに気付きます。
ある日、内側だけでなく、外側の一木一草、生きとし生けるすべてのもの、
内も外もへだてなく光り輝いているのに気付くのです。
※呼吸を見守る妨げとなるものは、
見る者(=主体)と同化した思考、感情・・・(客体)です。
思考、感情・・・を距離を置いて見守れるようになるに従い、
見る対象を選択する余地が生れます。
選択できるのであれば、呼吸を選びます。
呼吸を通して、内側に入り、内側を見ることになります。
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