永遠を一つの図像に | ひろあきのブログ

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人間には時間の流れのなかでしか見えてこない毎日が、全て一括して与えられているような領域があるという。

例えば、10年,  100年,  1,000年という歴史が一つの図形のように(もしくは静止画)のように見える領域。
且つて人間も個体化される以前はこうした次元にいたという。 ###



普段の日常のなかで、ふと この全体領域の感覚が甦るときがある。

楽しかったことや辛かったこと、人生の様々な出来事が、毎日の暮らしが全て一つの小さな図形の中に集約されていくような感覚。

私の命の一生を形作る数々の出来事が ほんの小さな空間として集約され、
この小さな一粒が1ユニットとして見られる感覚があるなら、ほとんどのことは気にならなくなる。

そしてどこか儚いような侘しいような感じがしてくる。 ###


でも、この毎日の出来事の詳細がどんなに取るに足らない小さなものでも、価値が無いということにはならない。

そして小さな領域から→大きな領域に移行するとき以前にいた領域のことは忘れて見えなくなってくる。
地面を這う蟻たち🐜の興味深い動きが、鳥にとっては、ほとんど何も見えないように。

このときに起きる忘却というものに、私は刹那さと哀愁を感じるのかもしれない。