Alamak! シンガポールの風 on the web ① あらま、12階のカンポン | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

いつからだろうか。エレベーターで12階を通過する際に、エレベーターホールをチェックするのが日課になった。

なぜならこの12階のエレベーターホールは毎回期待を裏切ることなく「何かおかしい」様相を呈しているからだ。

ちなみに今日はこんな感じ(写真参照)。完全にエレベーターホールが私物化されている。
(えぇ、わざわざエレベーターを途中停車させて写真をとりました!)

洗濯物が「見て下さい」と言わんばかりに干してあり、


家に置ききれないのか子どもの遊具まで・・・。



でもこれはまだかわいい方。ある時など、家から延長コードで電源を引っ張ってきてエレベーターホールで鍋パーティーをやっていた。嘘ではない。これにはさすがにたまげた。

先日シンガポールのとある公共政策大学院(といってもおそらくシンガポールに公共政策大学院は1校しかないが)で公衆衛生や医療経済を専門に教える教授にこの話をしたところ、「それはきっとカンポン文化の名残だよ」と言われた。

カンポン(Kampung/Kampong)とは主にブルネイ、インドネシア、シンガポールやマレーシアの「村」を指す言葉だ。マレーシアでは1万人以下の自治体にしかカンポンという呼称は当てはまらないことからもわかるように古くからある規模の小さなコミュニティのことを言う。これらの国々においてカンポンは発展とともに必然的に少なくなり、特にシンガポールではPalau Ubinなどの島を除いてカンポンはほぼ残っていないようだ。

とはいえ40年も歴史を遡ればシンガポールもカンポン(特に漁村)が溢れていたという。それが独立後の経済成長とともに、カンポン暮らしをしていた人々も徐々に公営住宅に移るようになっていった。当初、カンポンでの暮らしに慣れ親しんでいた村人たちは突然公営住宅に移っても部屋で寝るのが窮屈に思えて廊下で寝たりしていたそう。空間の公私の区別に関する感覚も薄く、公共スペースが私物化されることもしばしばだったとか。

もうおわかりだろうか。その教授は私の棟の12階の住人はきっとカンポン文化を今も踏襲しているのではないかと言いたかったようだ。

なるほど。にしてもなぁ・・・。

私は明日も、そして明後日も、きっと12階をチェックする。