H7N9型鳥インフルエンザについて考える | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

背景:H7N9の流行拡大

日本でも徐々にニュースになっているようだが中国でインフルエンザA(H7N9インフルエンザAH7N9)が静かに広がっている4月8日の時点でのWHOの報告によると、これまでに、中国でインフルエンザAH7N9)に感染したと確定された患者は21人。このうち6人が死亡し、12人が重症で、3人が軽症だという。

ちょうど最近「
H5N1:強毒性新型インフルエンザウィルス日本上陸のシナリオ(岡田晴恵・国立感染症研究所研究員/著)」という本を読み感染症対策の重要性を再認識したところだった上、仕事で感染症関連のプロジェクトに関わっているので、この本やその他の情報をもとに所感をまとめてみようと思った次第だ。

久しぶりに真剣な長文になってしまったがご容赦願いたい。

感染症の脅威:感染症は怖い

SARS
の恐怖がアジア地域を襲ったのはもう10年前になるが、じりじりと迫ってくるような見えない恐怖は記憶に新しいのではないかと思う。とにかく新種の感染症は恐ろしい。鳥インフルエンザの場合、もともとが鳥のウイルスであるあため、この新型インフルエンザに対しては誰も免疫を持たない。このため、ウィルスにさらされればほとんどの人は感染する。

今回の
H7N9は、ヒトからヒトへの感染がまだ認められていないというが、一度ヒトからヒトへ感染するようになってしまえば、接触、飛沫、空気感染という強い伝播力によって、特に人混みで爆発的に拡大する。短期間に集中して大勢の人が感染して発症する結果、まず医療サービスの維持が不可能となり、二次的に食糧やエネルギーなどのライフラインの確保も困難となるなど、社会機能・社会活動の低下・破綻をもたらす(Okada, 2007:234)

ヒトからヒトへの感染が始まった場合、現代社会でどのような勢いで感染拡大が起きるかは想像したくもない。岡田さんのもう
1つの著作である「H5N1型ウィルス襲来」は、地球のどこであっても新型インフルエンザが発生すれば、数日のうちで世界中に広がるだろうと予測する。そしてひとたび日本国内にウイルスが侵入すれば、全国に広がるまではあっという間だろう。

私たちが暮らす社会における人口密度と人の移動を考えてみてほしい。もっと具体的に、もし自分がインフルエンザに感染していたとして、今日
1日で一体どれだけの人にうつし得たか考えてみてほしい。家族や職場の同僚だけではない。通勤に利用した(満員)電車に乗っていた人や、お昼を食べに出た先に居合わせた人など、数え始めると、事の恐ろしさを実感するだろう。

危機管理とは

危機管理とは、事前のリスク評価と、最悪のシナリオに対応した事前準備を行い、さらに実際に起こった際の緊急対応計画をたて、これをいつでも実行できる状態にしておくことに尽きる。

新型インフルエンザ大流行による膨大な健康被害と、二次的な社会・経済活動の崩壊を防ぐポイントは:

1. 新型インフルエンザの発生を防止する
2.
 健康被害を最小限にとどめる
3.    
社会・経済機能の崩壊を防ぎ、社会生活を維持する

3点に要約できる。(Okada, 2007:283-284)

1に関しては研究者に任せるとして、2、3に関しては専門家でなくてもできることは多い。特に行政の危機管理体制は非常に大切だ。

岡田さんも紹介しているが、
行政の危機管理の重要性を浮き彫りにしたいい例としては1918年のスペイン風邪がある。この時のセントルイスとフィラデルフィアでの被害の差は歴然。報告書によると、都市別の死亡率では、フィラデルフィアが0.73%、セントルイスは0.3%であり、セントルイスは、フィラデルフィアの半分以下、大都市の中で最低の数値に押さえられていたという。

そしてこの差は、行政の対応によって説明できるようだ。
セントルイスでは、市内に最初の死亡者が出ると、市長はただちに緊急事態宣言を発動し、1週間以内に全学校、劇場、教会、大型販売店、娯楽施設などを閉鎖、集会(葬儀含む)を禁止した。会議もフットボールの試合も結婚式も延期された。このような社会規制には、商売に影響を及ぼすとして市民や企業家から大きな反対もあったが、市長は「私は市民が死亡することを望まない」として、社会規制を決断した。市中の発症率がまだ2.2%の早期に実施した結果、セントルイスでは大流行のピークは生じず、患者数は平坦なカーブを描いて、医療サービスや社会機能の破綻も起こらず、犠牲者も少なくて済んだ。これに対して、社会活動への介入対策が遅れたフィラデルフィアでは、市中発症率が10.8%となってからようやく規制が開始された。その結果、8週間にわたって新型インフルエンザ大流行の波が襲った。市民の多くが同時に発祥したため、医療サービスはもとより社会機能全体が破綻して、少なくとも15000人が死亡するなど大きな被害を出してしまった 

日頃からの主体的な新型インフルエンザ対策の重要性

とはいえ、備えていなかったことを実行するのは容易ではない。繰り返しになるが、危機管理とは、「最悪のシナリオに対応した事前準備を行い、さらに実際に起こった際の緊急対応計画をたて、これをいつでも実行できる状態にしておくこと」なのだ。ちなみに、準備していないことはできないというのは東日本大震災後の医療チームを指揮した当時石巻赤十字病院所属の石井正医師も言っていたことだ(準備していたことが全てそのままうまくいくこともないとも言っていた)。

ただ、ここで重要なのは、新型インフルエンザ対策は誰しもが主体性を持って取り組むべきということだ。新型インフルエンザが流行した場合、企業、学校、家庭など、さまざまなレベルで冷静に対応することが求められる。そのため、それぞれの社会ユニットが緊急対策をきちんと準備しておくことが大事だ。

WHOからのガイドラインさえあればどうにかなるという問題ではない。グローバルから、ローカルへ、「お上」からの通達をどんどん具体化していく作業が必要だ。

例えば品川区。
品川区は、2005年秋から新型インフルエンザ対策に精力的に対応してきた新型インフルエンザ対策の先駆的な存在とされている。これは今は亡き高橋久二区長が「品川区民の命は区が守る」と力を入れてはじめた取り組みだというが、200511月には、やがて来るべき新型インフルエンザから区民を守るため、品川区では自治体としては全国で初めて、独自に区の判断で使用できる3000人分のタミフルの備蓄を決定し、薬剤師会の協力のもと翌年3月までに備蓄量を確保した。また、区のホームページを見てみると、会社が、学校が、どのようなことをしたらいいかが記されている。

東京都と地方だって同じ地方自治体でも対策は全く違うものとなるべきはずだ。
特に地方では、高齢者(独居老人)対策なども欠かせない。新型インフルエンザ対策のガイドラインとして、国が公開した備蓄リストだけで、市(町)民の外出制限の実践は可能かという問題だけとってみてもそれは明らかだ。たとえば2週間家からでなくても最低限持ちこたえるための缶詰やチョコレート等の食糧パックがセットになって入っており、さらにスポーツ飲料の粉末、おかゆのパック等の体調不良を伴った時に役立ちそうなものも入った非常袋をお年寄りに配布する計画を立てるのもありだろう。

いつ起きるか、あるいは起きるかさえも定かでないとはいえ「だからこそ」それぞれの行政官が責任と自覚を持って感染症対策に取り組むことが地域住民の命運を左右するのだ。

リーダーシップ

責任と自覚といえば、今回色々と読んでいて、感染症のような危機への対応の成功の是非はリーダーシップに委ねられているところが大きい印象を受けた。リスクに関する限られた、不確定な情報から何を信じると決めるのか。そしてその信じたことに対してどこまで毅然とした態度で具体的な行動に移していけるのか。指導層の優柔不断を許すほど感染症拡大の速度は緩やかではない。

199712月末、香港では衛生部保健局長マーガレット・チャン
H5N1の感染が見つかった際に、迅速に1500万羽の家禽を処分している。彼女のこの決断は基本的には拡大を押さえたとして国際社会では評価されているようだ。拡大し始めの時にそのような勇敢な決断ができるかはリーダーの手にかかっている。

ただ、リーダーシップを考える際には、国際的なダイナミクスも考える必要がある。同じ家禽処分に関しても、東南アジアでは不十分な補償体制や、情報伝達の遅れ、さらには貧困階層の数少ない財産である鶏を強制的に処分することへの抵抗などから、封じ込めに失敗した経緯がある。結果として鳥インフルエンザはアフリカや欧州まで広がってしまったわけだが、これに関しては国家を超えた国際的なリーダーシップが必要だ。先進国とは違う事情で新型インフルエンザ対策が比較的難しい国をどう支えていくか。そのビジョンを掲げるグローバルリーダーが必要である。

ワクチン開発に関してもグローバルリーダーシップの問題は鍵だ。

象徴的なのは20071月、インドネシアがそれまで香港や米国の
WHO検査機関に対して行っていた患者検体の提供を、全部中止してしまった件。その理由は、途上国がWHOに提供したウィルスが、ワクチンメーカーや外部の研究者に無断で分与されており、ワクチンンメーカーの経済的利益や研究開発に利用されていること。しかも、こうして作られる高価なワクチンを途上国が購入することは不可能であり、新型インフルエンザの危機を前にして、このようなやり方は不公正であること。このような不公正を解消し、途上国にも入手可能なワクチンを公平に供給する体制の確立が約束されない限り、WHOにはウィルスを提供しないというものであった。結局、再三の国際的な要請と説得、WHO総会での協議を経て、インドネシアはWHOを中心とした先進国のワクチン開発供与支援などの合意を取り付け、円滑なる検体と情報の提供を再び開始することとなった(Okada, 2007:80-82)。このウィルス検体(人類の命)を人質とするような交渉のやり方に対しては批判も多かったが、「公衆」衛生だからこそ、国家の利害を超えた協力システムを構築しなければならないと思う。

ワクチン備蓄

最後にワクチンの備蓄について少し。

この
H5N1型備蓄ワクチンは20076月現在、日本では備蓄場所は非公開だが、1000万人分を製造して国家備蓄している。とは言え、1000万人分では、国民全員に打つことは不可能だ。そのため、このワクチンの接種には、医療従事者や社会機能の維持に不可欠な職種に従事する人びと、すなわちライフライン維持者、市町村長、国会議員など、パンデミックの時の必要に応じて、備蓄ワクチン接種の優先順位を国が決めているのだ

ワクチンの備蓄に関してはスイス方式と米国方式があるそうだ。

プレパンデミックワクチンは、事前の予測に基づいて作成するものだ。新型インフルエンザに対して完全に効くものかは、実際に新型ウイルスが出現してみないと分からない。このため米国は、新型ウイルス出現後に完全に適合したワクチンを生産する能力を増強する戦略を採用しており、新型ウイルス出現から半年で全国民への接種体制を整えるとしている。米国政府はワクチン接種の準備が整うまで、各家庭で極力感染を防ぎ持久生活をするよう、国民に呼びかけている。カナダは米国よりも人口が少ないせいだろうか、ウイルス出現後4カ月でワクチンを用意する体制を整備している。

一方、スイスや英国などでは、この備蓄ワクチンの国民全員分を既にストックしている。岡田氏は、国土が狭く交通機関が発達している日本では、
スイス式の全国民分のプレパンデミックワクチン備蓄が有効だとする。

体内でのインフルエンザウイルスの増殖を抑える「タミフル」という薬がある。こちらも
2007年度末で、政府備蓄1050万人分、都道府県備蓄1050万人分、民間の流通備蓄400万人分の計2500万人分が備蓄されるとしている。この件に関しても、岡田氏はニュージーランド、スイス、韓国などでより一層の備蓄が進んでいることを指摘している

おわりに

感染症対策に関してはリスクコミュニケーションが大事だ。
リスクコミュニケーションとは、専門家による「リスク評価」の結果を行政、一般、専門家に知らせることと、行政対応である「リスク管理」について一般、専門家に知らせるという、両方向の情報共有活動である。特に重要なのは、科学的な「リスク評価」と一般の人々の感じる「リスク認知」とのズレを埋めることであり、正しい「リスク感覚の共有」をすることである。普段からこの関係を構築し、専門家による科学的な「リスク評価」と、行政対応である「リスク管理」の間で、お互いの理解のズレが広がらないように、またこの溝を埋めていく努力が必要である(Okada, 2007:289)

その第一歩として、やはり一地球市民として、感染症にかんするきちんとした知識を身につけることを怠っては行けないと感じた。

そして、文中のこんな言葉が非常に心に残った。

「・・・準備されたワクチンが使われずに残った時、日本人はなんでこんな無駄をしたんだって、そういう世論が必ず出るでしょう、しかしね、使わずに済んで良かったというのが本当で・・・。感染症対策は、命の危機管理ですから、その最たるものが新型インフルエンザです。」
(Okada, 2007:267)