上田早夕里「華竜の宮」- The Ocean Chronicles | 019|まる・いち・きゅう

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丸い地球をまわりながら考えていることの記録

小説は好きだけれど、SFが特に好きなわけではない。ミステリーも進んで読むわけではない。歴史物もあんまり。どれもどちらかというと敬遠しがちである。純粋な(?)小説が好きだ。

でもどのジャンルでもたまにびっくりするくらい素敵な出会いがある。最近読んだ上田早夕里の「華竜の宮」そんな一冊。

叙述される情景は思わず読むのを一瞬やめてしまうほど美しく、未来の地球と人類の姿はぞっとするほど恐ろしくでもリアルだ。SFでありながらも現在の国際政治や環境問題、科学技術(宇宙工学、遺伝子工学など)への作者の思いが端々に見られる。

人間の生と死、人間と自然の関係、そして人生の儚さについて考えた。

人間は自分が死にたくないから、多くの死、多くの悲しみに触れるたびに動揺する。自分もまた、いずれは死ぬ存在なのだと実感し、恐怖する。(Ueda, 2011:133)

自分の愚かさに、泣きながら笑いそうになった。人生とは、こんなものなのかもしれない。物事は、いつだって順番通りには来ない。人は、いつも何かに後悔し続けるのだ。
(Ueda, 2011:136)

「だからおれは、人間という奴が大嫌いなんだよ」ヨーワは吐き捨てるように言った。
「自分の罪を平気で他の生物になすりつける。いいか。本当に、本当に、彼らは、ただ生きようとしているだけだ。海上民が海で生活しているのと何も変わらない。陸上民がうまいものを食いたがり、自分の尊厳を傷つけるものと闘おうとするのと同じだ。獣舟を殺し、アカシデウニを殺すことに何の抵抗も感じないなら、人類の未来は決して明るくはないぞ。その発想は回り回って、いずれ人類全体の首を絞めるに違いない」(Ueda, 2011:247)

人間の姿とはいったいなんなのだろうか。これまで進化してきたように、我々は今後も進化し続けるのだろうか。「人類」とはいったいなんなんだろう。

春原はつぶやいた。「ひとつだけ断言できることがある・・・。いまの姿を保っているからこそ人間だ、これが人間の最も理想的な形なのだ、という価値観は、これからの時代、幻想に過ぎないわ。もちろん、思考は身体の形状に影響される。体の形が変化すれば、感受性も考え方も、すべてがいまのままではいられないでしょう。でも、一個の生物としては、だから何だという肝するの。(省略)」
(Ueda, 2011:274)

そして、交渉の美。

《陸だの海だのという区別は、住んでいる場所を言い分けているに過ぎない。みんな同じ人間だ。だからこそ、私は彼らと交渉する。基本的な知性の構造が同じなら、論理でなんとかできる部分のほうが大きいからだ。価値観の違いなど、些細な差に過ぎないんだよ》
(Ueda, 2011:339)


《いいかい、セイジ君。私だって、最初から質のいい人間だったわけじゃない。本省で役人として働いていた頃には、そりゃもう、鼻持ちならない偏見持ちだったさ。それがいろんな場所へ行って、いろんな人に会って、いろんな意見を聞いて、ショックを受けたり、感動したりして、だんだん変わっていったんだ。もちろん、突然変わったわけじゃない。カメのような遅い歩みで、ゆっくりゆっくり変わっていったんだよ。だから他人もそうだろうと信じられるんだ》
(Ueda, 2011:339-340) 

—《交渉というのは、価値観の異なる他者との対話だ。だから、ときにはまったく解決がつかない場合もある。どこまでいっても、平行線にしか見えないことも・・・》

—《けれども、それに対して知恵を絞り、言葉を絞り、体力を振り絞って、両者が進むべき道を模索しなさい。その行為は、人間が最も知的である瞬間なんだよ。たとえその場で、どれほど乱暴な、どれほど感情的な言葉が飛び交ったとしても、最後まで決してあきらめるな。間接的な効かせ方とはいえ、言葉は、暴力を止められることもある。それを忘れては行けない》
(Ueda, 2011:480) 

人と人の間に信頼関係を生むものとは何なのだろうか。

青澄とツキソメは、しばらくの間、無言で見つめ合っていた。お互い、どこまで信用するのか、しないのか。ここまで来たらもう理屈ではない。お互い、自分のためにしてもらった行動を思い出しながら、ただ直感的に相手を信じるしかなかった。絶対的な保証がないからこそ、信じるという行動しか選択できないのだ。
(Ueda, 2011:501)

人と人を結びたいという思いを海外にでるようになってから抱えてきた。そんな私の心に深く刻まれたメッセージがたくさんあった。