イギリス式学問 | 019|まる・いち・きゅう

019|まる・いち・きゅう

丸い地球をまわりながら考えていることの記録

$毎日が宝探し
イギリス式といって連想するのはやはりスコーンかもしれないが…。

「イギリスの大学に行っています」というと十中八九聞かれるこの質問。「なんでイギリスの大学にしたんですか?」色々な理由があるし、他のどの選択肢と比べるかによって答えは変わってくる。でも聞かれる回数が増えるたびに次第に考えるようになったのはイギリスにおける学問の在り方。あるいは知識の位置づけや学問へのアプローチともいえるかもしれない。

 同じ英語圏ということで比較されることが多いということもあるのか、アメリカとイギリスの違いはよく聞く。大雑把にいえば、アメリカではリベラルアーツと呼ばれる教養要素に重点が置かれるのに対して、イギリスは専門知識に重点が置かれるため、学ぶ内容もそれに準じて若干幅広いか、狭く深く掘り下げていくかの違いがあるというようなことを私も大学入学前からよく耳にしていた。実際その違いは健在なのだと思うが実際に自分自身がイギリスで学び段々とわかってきたのはイギリスのセオリー(Theory)重視の姿勢である。どうもイギリスでは Theory、つまり学説や思想に非常に重きが置かれているように感じられる。

 イギリスではまずはじめにその学問分野における学説や思想を学び、それらが実際にあてはあるのはどのような現象かを考える。現象を分析し、どの学説や思想が当てはまるかを考えるのではない。前者も後者も結局たどり着く結論は同じかもしれないが方向性と順序が逆なのである。政治で例えれば、前者(イギリス流)であればとりあえず最初はホッブスだったりウェーバーだったりといった思想家の原書(あるいは訳書)をしっかりと読み込む。それが一番重要でそれが実社会のどのような現象に当てはまるか考えるのはそれからだ。対する後者は実際の政治的事象の分析から切り込み、必要であれば思想に立ち返る。

 このセオリー重視の「知」の扱い方は非常に興味深くなかろうか。イギリス流学問は流動的で一過性のものに左右されないもっと大きな人間社会の流れがあるという確信に基づいているのだろう。この考え方はもしかしたら経済至上主義、大量消費社会の今、過去に増して重要なのかもしれない。長い目で、社会・世界の動向を捉えようとすること。決してその場凌ぎの説明で満足せず、もっと汎用性の高い法則を見つけ出す。つまりは万象に通ずる「ルール」を導き出すことで知の蓄積に貢献しようというのが、もしかしたら英国流の学問の在り方なのかもしれない。

(機関紙:ねっとわーくSAITAMA10月号から)