最近、初めてお会いする方が増えてきました。
ありがとうございます。
ピーター岡田の事をもっと知りたいと言って下さる方も
多いこのごろです。
では、ピーター岡田の音楽人生の歩みを語ります。
所謂、経歴です。
大阪生まれ。A型。
妻と二人の娘の4人暮らし。
【 ピーターの音楽人生の歩み】
■■■ ピーター少年 ~音楽との出会いの時期~ ■■■
・8才
深夜ラジオ放送にはまり、
沢山の音楽を聴く。
・12才
邦楽&洋楽のシングルレコードを集めだす。
・14才
叔父さんからアコースティックギターを
いただき、ギターを始める。
それ以来、学校から帰ると寝るまでギターを弾き続ける。
・15才
ロックに目覚め、エレキギターを購入。
どうしてもバンドがやりたく、友人に声をかけ結成。
■■■ ピーター少年青春時代 ~バンド活動時期~ ■■■
・16才~17才(担当、ギター&コーラス、作曲)
大阪枚方ブローダウンで、初ステージ。
ライブ出演のオーディションに合格。レギュラー出演にて、ライブ 活動開始。
その時のバンド名は、The Blue Hearts。
ロックンロール&バンク系のサウンド。
オリジナル曲とカバーにて活動。
東京で活動している、本家The Blue Heartsが有名になり、
バンド名を止む無く変更。と同時に、バンドを脱退。
友人のハードロック系のバンド、「UNON」に参加。
同じく、大阪枚方ブローダウンで、オーディションに合格。
レギュラー出演にて、ライブ活動を再び開始。
と同時に、自信のギター演奏の向上を目指しているとき、
バンドのベースのお兄さんが、ステージプレーヤーとしても
活動しており、ギター教室をしていると聞き、門を叩く。
約1年間、ギターテクニック、アドリブ、音楽理論、
エフェクト、MTR、PA技術などを学ぶ。
先生の紹介により、週末はPAの仕事をアルバイトとして
スタート。
・17才~18才(担当、ギター&コーラス、作曲)
音楽性思考の違いで「UNON」脱退。
全曲オリジナルのバンド、「D-Boy」を結成。
勢力的に活動を行う。結成後、2ヶ月で、スタジオにて
デモテープを製作。100本を3ヶ月で売り切る。
この時、京都のレコード屋でバイトする。
枚方ブローダウン、寝屋川ビンテージバーなどのライブハウス、
イベントでは、枚方市民会館大ホール、
大学の学園祭などで活動。
ビンテージバーでは、「すかんち」と対バン。
一時、ライブハウスの動員数が月間3位となり、表彰される。
CBSソニーのスカウトマンの目に留まり、
大阪オーディションに参加。
パルコの屋上で、公開オーディション。(お客さんは300名位!)
有名プロデューサーの前で演奏。が!残念。東京進出できず。
週4回ライブの週もあり、メンバー間に疲労が溜まる。
・18才~19才(担当、ギター&コーラス、作曲)
ベースとドラムのメンバーチェンジがあり、バンド名を変更。
The Cokesとして再出発。
京都ウーピーズなどのライブハウス、
イベントでは、京都ビブレホールなどで、活動。
音楽性の違いで、ピーター脱退。ボーカルも脱退。
(短期だが、2歳年下に、ギターを教える)
・インディー時代の、THE PRIVATESと交流。
デビュー前のデモテープをいただく。
音楽の方向性を、ブリティッシュビートだと感じ、
ベースとドラムを探す。
The London Beatsとして、ビートバンドを結成。
The WhoやThe Jamのカバーを含めオリジナル曲で
ライブハウスや市民会館小ホールにて活動。
・The Stone Rosesの初来日ライブに感動。
自身の音楽性の可能性を求め、バンドを解散。
UKニューウエーブ、ギターポップ、
USAのCMJチャートのインディーバンド的サウンドを目指すと
同時に、海外でのバンド活動を意識し始める。
業界の仕事として、ラジオのチャート作りの会社に
アルバイト勤務する。
・19才~20才(ボーカル&ギター、作詞作曲)
初のフロントマンとして3ピースバンドを結成。
メインボーカル&ギターを担当。
全曲、オリジナルでライブ活動スタート。
ドラムが学業専念の為脱退。
■■■■■ ピーター少年 ~海外への夢~ ■■■■■
・20才~21才(ギター、作詞作曲)
なかなか、メンバーが見つからない中でも、
スタジオでの練習は行う。
メンバー募集では、約200名位とセッション。
海外でバンド活動をしたいという一心だったが
思考について来る仲間は現れず、孤立する。
・21才
一人でも、チャレジしたいと一年奮起。
デモ製作を開始。
■■■ ピーター少年 ~海外チャレンジ時期~ ■■■
・22才
バンド名を「The Blue Nebulas」として
8曲入りのデモテープが完成。
8トラック自宅録音にて
ボーカル、コーラス、作詞作曲、エレキギター、
アコースティックギター、ベース、キーボード、
ハーモニカ、ドラムプログラムを一人で行う。
サポートメンバー:歌詞を英語に変換:midori。
コーラス:taiyo。
・23才
世界7カ国、約100社にデモテープを送る。
と同時に、約1ヶ月、イギリスロンドンに滞在。
地元のミュージシャンと交流を図る。
London Records、CHERRY RED RECORDS、
MUTE RECORDS、Au Go GO、などデモテープを
送ったレコード会社から手紙が来る。
アレンジや曲は褒められるも、発音が難解だと
指摘を受ける。
■■■■■ ピーター少年 ~大学時代~ ■■■■■
・24才~29才
音楽の魅力をもっと沢山の人に広めたいという思いが芽生え、
音楽図書館の設立を模索した時期。
音楽性の幅を広げる為、大学に入学。
博物館学芸員&図書館司書の国家資格を取得し、卒業。
レコード&CDのコレクションは3000枚を超える。
・(有)写真文化研究所が母体の写真図書館の副館長となる。
映像を中心とした、国内外の一流アーティストの写真の普及・
アーカイブ、写真講座運営、写真・映像・民族を中心とした
専門図書館の運営に携わる。
結婚を期に愛知に引越し。
■■■■■ ピーター少年 ~カフェ時代~ ■■■■■
・2006年。
名古屋にて 「おやこカフェ にこ」を妻と開業。
カフェ運営、各種講座運営を行う。
妻は調理担当。→妻のブログhttps://ameblo.jp/oyakocafenico
・2008年 友人のカナダ人、マイケルグリーンと出会う。
マイケルより、初めてウクレレを教わる。
この気軽なウクレレを通して、音楽を広める活動に目覚める。
秋より、マイケルが先生、私がアシスタントでウクレレ教室を
開講。
■■■ ピーター少年 ~音楽教室設立時代~ ■■■
・2009年
ピーターがウクレレ講師として教室を運営。
約3年で、生徒数が100名を超える。
・2010年
12月に、教室初の発表会を開催。
・2011年
第6回、「ジ・ウクレレコンテスト」にて、
教室の生徒さんのバンド、「Shiny Moon」が
カバー曲にてファイナルに出場。
パフォーマンス賞を獲得。
・2012年
ナディアパークで開催された、
「第2回 ウクレレパフォーマンスコンテスト」にて
「店長と客」で、「はらぺこあおむし」を演奏。
歌:Aya、ウクレレ:ピーター。
グランプリを獲得。
ウクレレ教室と平行して、
ギターとベース教室も開講。
・2015年
第8回、「ジ・ウクレレコンテスト」にて、
教室の生徒さんのバンド、「HA」(親子バンド)が
オリジナル曲にてファイナルに出場。
作詞:Aki(生徒さん)作曲:ピーター
アレンジ:ピーター。
歌&ウクレレ Aki(母)
ウクレレベース(当時小学3年生のHくん)
・2016年
「おやこカフェ にこ」は、教室の活動に専念の為閉店。
「おべんとうやNICO」を開業。(昼間のみ)
■■■■■ ピーター少年 ~今~ ■■■■■
・2017年
「にこミュージックファクトリー」の活動に専念するため、
「おべんとうやNICO」を閉店。
只今、ウクレレ、アコースティックギター、エレキギター、
ベースギターの生徒さんは145名様以上。
年齢も4才~70代の方までと幅広く展開中。
10代の頃に培った、楽器の演奏(教室のレッスン)以外に、
作詞作曲、アレンジ、PAレンタル、レコーディング、
音楽の学校(ロックの歴史)、イベント企画運営、楽器販売など、
音楽に関することの総合ファクトリーとして活動中!