この格言「事必帰正・原点回帰」どう受け留める? | UC摂理打開のために360軒ホームチャーチ吟味は必須事項

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各派閥のUC関係者が事必帰正・原点回帰」という格言を神の摂理と結びつけたとしたら、どんな未来のイメージを思い浮かべるだろうか。おそらく各派閥のUC摂理関係者が各々信奉するその対象によってこの格言の受け止め方が異なってくると思う。例えばサンクチュリアに属し7男氏を慕う人であれば「神の摂理は今混沌としているが、いづれ時が来れば7男氏を中心とするサンクチュリアが神の摂理の主流になるだろうと信じている。また家庭連合・鶴子信奉派もまた然り。これはしょうがない事だと思います。

 

では、私がイメージする事必帰正・原点回帰とは、

 

が思います処、後天時代に入ったUC摂理の最終段階に入ろうとしている摂理関係者が人類叡智の原点であるグノーシス思想に原点回帰するこそが、神の摂理の完結に繋がると思っています。これが事必帰正と言う事です。

 

今回紹介するナグハマディ文書の記述の中で、「心魂的な人々」という語句が出て来ますが、この「心魂的な人々」と2千年前当時聖書を信奉していたローマカトリッククリスチャンを指している事は言うまでもありません。

現代の摂理においてグノーシスが関係者に訴えるもの

 

そうしますと、これを現代版に置き換えれば、当然今のクリスチャンを指している様にも思えますが、次のような見方も可能です。それは相も変わらず聖書に雁字搦めの今のクリスチャンを指していると言う訳ではなく、実は現代版の聖書絡みの「心魂的な人々」とは、聖書に対してまだ許容範囲が十分残されている統一関係者を指していると言う事です。そうです。2千年以上前に書かれたグノーシス・ナグハマディ文書とは、歴史の水面下で一本の糸に引かれて、長い年月を経て今のUC関係者に辿り着いたという解釈は的外れではありません。すなわち、グノーシス・ナグハマディ文書は今のUC摂理関係者をターゲットにしていると言う事です。

ですから現代に顔を出したナグハマディ文書の存在意義とは、これを生かすも殺すも今のUC摂理関係者がその存在意義を決めるのです。グノーシス・ナグハマディ文書の中身から言って、摂理的に真に生かせる群れと言ったら、決して現代の一般人はおろか、クリスチャンやスピリチュアルワーカーに向けてのではないです。

 

 

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