先の4月17日豊後水道を震源とする地震で「宇和島城」はじめ、被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧を、心よりお祈り申し上げます。

 

さて、「宇和島城」へ向かいます

 

真新しい観光情報センターが出来ています(有料駐車場あり)

 

 奥に見えるのが城山の北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門で、市の文化財に指定されています。

 

 現存12天守の1つがそびえ立つ宇和島城は、慶長20(1615)年に伊達政宗(まさむね)の長男、秀宗(ひでむね)が入城後、明治を迎えるまで"西国の伊達"9代の居城でした。
 国が定める「重要文化財(建造物)」に指定されている天守は、宇和島伊達(だて)家2代藩主の宗利(むねとし)が寛文6(1666)年頃に建築したもの(寛文天守)です。かつて同所には、築城の名手として有名な「藤堂高虎」が慶長6(1601)年に建築した天守があり、幕府には修理の名目で届出をしましたが、天守台の石垣を含めて宗利により全面的に建て直されたため、その姿(慶長天守)は絵図でしか窺い知ることができません(宇和島市HPより)。

 

ここから攻めも登ります

 

 天守開城時間が 9:00~16:00(11月~2月)までとなっており、急いて攻めます。

 

駆け上がりにくい石段を登ります

 

息子も石段を物ともせず先駆けます

 

高虎流の石垣に息を切らします

 

寝返るんかい

 

これだけでご飯5杯は軽いです

 

上から見るとこんな感じです

 

このまだ続くかと言う絶望感がたまらない

 

やっと天守に到着です

 

 時間的にアウトでしたが、温情で中を見学させていただきました。

 

 日本100名城スタンプ、御城印はこちらで。

 

2017年8月撮影、変わらないことが素晴らしいこともある

 

 そのまま南へ抜けて上り立ち門を通って城山を一周して、その縄張りを体感したかったのですが、日が暮れたのと息子の疲れを慮って諦めました。

 

天守からの眺望を撮り忘れている(写真は2017年8月撮影)

 

帰陣は緩い道を使用します

 

藤兵衛(門)丸に建つ山里倉庫、伊達家より譲渡され、現在地に移築し郷土館として一般公開されています

 

さらに下ると「長門丸」、公園として整備されています

 

 若いっていいなぁ・・・。

 

無事下山できました

 

 「観光情報センター」で甘いものを補給して、陣へ戻ります。

 

 おまけ

 「宇和島市」は「嵐」と呼ばれる地名があってその名を関するバス停があり、一時期大いににぎわっていました。

 「嵐」に行きたいとお願いしたら、「陣とは反対方向で距離もある、ふざけるな」と怒られました(´;ω;`)。

 

なぜか持っている「宇和島バス」の「嵐」グッズ

 

 以前こちらに来た時も「日振島」へ行きたいと言ったら「何にもないから止めな」と止められました。

 もうこんなチャンスないんだけどなぁ。

 

 翌日は帰還します。その道中も伊予国の残りのお城を攻めるため、早めに休みました。