ライブをやる意味・行く意味~Lyu:Lyu/それでも世界が続くなら “伝えることを忘れない” | ライブハウスの最後尾より

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邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

ライブ前半はこちら。


どうも( ^_^)/


ポイントカードを溜め込む者です。


今回行った池下UPSETでも貰いました。今後、使うかどうかはまったく分かりません。


でも、今回のツーマンライブを実現させたUPSETにはいくら感謝してもしきれません。これからもめぼしいライブがあれば足繁く行こうと思います。


Lyu:Lyu/それでも世界が続くなら
  “伝えることを忘れない”







個人的且つ勝手な気持ちとして、それでも世界が続くならが好きな人はLyu:Lyuも好きだし、逆もまた然りと思っています。


受付で「今日はどちらを見に来られましたか」と訊かれて「両方ですっ!」とスタッフを超絶困惑させることを言い放ちそうになったし、ライブタイトル“伝えることを忘れない”に、これほど相応しい二バンドはいないと思う。


そんなライブの後半戦です。


前半の、それでも世界が続くならのアクトが終演し、約25分後、ベース・ギター・ドラムが横一列に並べられたいつものセッティングと、Lyu:Lyuの三人がステージに現れ、水面に涙がポツリポツリと落ちるような“ディストーテッド・アガペー”のイントロで幕を開けました。


思い入れの深い池下UPSETでのイベントということもあり、今日のLyu:Lyuは初期の曲を中心とした曲順。“カッターナイフと冷たい夜”や“AK”のヒリついた言葉が胸に刺さってくるセットリストです。


≪何も好きだと思えない/もう自分が誰だか分からない≫

≪在りし日の幸せの中で/君は静かに目を閉じた≫


実は“AK”をライブで初めて聴いて、初期衝動的に紡がれた情緒ある歌詞を改めて噛み締められました。


……飛ばし過ぎたのでちょっと時間を巻き戻します。


最新曲“ディストーテッド・アガペー”(さぁ、リスナーは次の音源を待ちわびていますよ)から一気に“カッターナイフと冷たい夜”へと時代をさかのぼり、さらに“アノニマス”へと続いていく。


三人分の音だけでやっているとは思えないほどバラエティ豊かだし、ライブに行くたびに(リズムが、という意味ではなく)より高く“跳ねていって”いるなという印象を受けつつ、やはりその本丸はコヤマさんの身を削り心を削りこちらに届く鑢(ヤスリ)のような歌声であり、言葉であるということを認識します。


“AK”、“朧月夜に星は無く”という初期の名曲を放出し、MCで篠さんも話していた「何故ライブをするのか訊かれた」という話に。


通り一遍の答えなんてない、というか、あってはならないとさえ思う問いに、果たしてコヤマさんはなんと答えたのか。


―――分かりません、が、『ディストーテッド・アガペー』で見せた自分たちの歌のフォロワー・リスナーを全身全霊を以て引き受け、背負っていく姿勢から、その“回答”を推し量れると思いました。


いや、しょせん邪推です。忘れてください。


それより今ここにあるライブです。後半戦。Lyu:Lyu流四つ打ちエンタメロックソング“ランララ”で上げに上げたテンションを“Seeds”で切り裂いていく流れは見事としかいいようがない。


≪生まれたとき/出会ったとき/信じたとき裏切られたとき/いつだってそこにあるよ/今もあなたのすぐ隣に≫


今日はこの歌詞が身に沁みました。何故かは分かりません。その時の会場の雰囲気、自分の精神状態、セットリスト、バンドの演奏、歌声、全てが密接且つ絶妙に混ざり合ったときに起こる現象で、それに出会うために、俺は何度もライブに足を運ぶわけです。


その“気付き”は、こうしてブログに書き残すまでもなくいつまでも記憶に残るし、ライブに行かないことで楽曲の新たな魅力に気付けることなどたくさんあるのです。


特にLyu:Lyuはそれが多いバンドです。だから観に行こう。彼らのライブは、ただそこに立って聴いているだけで明日からの世界を変えます。


アンコールで「どこかにいる誰かの曲」として届けられた“メシア”は今までで最も強靭で儚い声が響きました。その感覚を文字で伝えることはできない。


俺がライブに行く意味は、まさに、そういうところにあります。





本当に、ツーマンライブの第一報を聞いてチケットを確保した瞬間から夢見心地な気分で迎えたライブでした。本当に激烈に冗談じゃなく、今日まで生きていて良かったと心から思える最高のライブでした。