あと十時間足らずで2011年も終わります。本当に早いですね。毎年恒例となりましたが、今年一年を時系列で振り返ってみたいと思います。

 2011年は毎年と同じように難波八阪神社での雅楽奉仕で幕を開けました。1月3日には恒例の新春演奏会を開催いたしました。舞楽の演目は「春庭花」「白濱」でした。蛮絵装束は久しぶりでしたね。名古屋の方と共演させて頂きました。2月は大阪・芦原橋での演奏。いつもの三人で演奏しました。3月には平成22年度の大阪歴史博物館の演奏会でした。その準備の最中、あの大震災が起こりました。私は東京で被災し、帰宅難民なってしまいました。この演奏会の出演者の中には福島第一原発のある双葉町で被災した方もいました。計画停電のあおりを受け、装束の搬送が困難になるなど通常では考えられない事態ではありましたが、演奏会は無事終了いたしました。

 春になり、震災の影響により日本全体が自粛モードでありましたが、毎年恒例になっている花見演奏会は開催しました。その際には、お客様より義捐金を頂き、産経新聞を通じて被災地の方に送らせて頂きました。また富山県は小矢部市文化連盟より御招待を受け、大会にてゲスト演奏いたしました。特に舞楽「還城楽(左)」の演奏は博雅会としては二度目の演奏で、前回舞人であった私は笛の音頭を担当いたしました。5月には、今年二度目となる三人の会。毎回何曲に挑んでおりますが、今回は管絃「五常楽壱具」。序・破・急の内破、は拍子十六。行数でいうと三十二行のこの曲に一管通りで挑みました。非常に大変でしたが、この経験は七月の演奏会に大いに役立ちました。6月には岡山の教室で初めての強化合宿。一泊二日、十時間たっぷりの稽古は非常に濃密なものでした。講師は私一人でしたのでとても疲れましたが(笑)。ラジオ大阪に生出演もいたしました。

 夏、7月は非常に忙しい1ケ月でした。何と言っても8日の兵庫県立芸術文化センターでの自主公演。私自身の楽道20周年記念の冠を付けさせて頂きました。先生の挨拶文まで頂いたこの公演は、私自身の雅楽人生の上でも貴重なものとなりました。その翌週には難波八阪神社の夏祭。息もつく間もなく、と言った感じでした。9月には久々にソロライブを開催。ソロ、とはいっても助演者を2名お願いしたので、ソロと言えるかどうか。

 秋は一年でも最も忙しいシーズン。10月の金刀比羅宮例祭を終え、最も忙しい11月に突入!と言う時にまさかの入院。急性肺梗塞という重病になってしまい、代演を立てると言う生まれて初めての事態に。ですが、これまた生まれて初めてであった入院も一週間で済み、体調を見ながら18日富山県城端・27日大阪歴博・29日気仙沼という自主公演三本を何とか乗り切る事が出来ました。12月には東京から先生をお迎えし、一年ぶりの特別講習会を開催いたしました。

 今年は地震があり、また私自身は生まれて初めての入院とあまり良くない事が続きました。一方で7月の西宮公演という歴史的な公演も開催出来ました。来年はまず体調に気を付けること。これにつきますね。

 一年間お世話になりました。皆様、良い年をお迎えくださいませ。

 今年は7月の西宮、3月・11月の大阪歴史博物館、4月富山小矢部、11月富山城端と気仙沼、ともかく公演を数多く行った年でした。小編成での公演を加えるとそれこそ十は超えます。これは今年に入っての目標である「公演数を増やす」という明確な目標から企画した結果でもあります。「毎月一公演」という壮大な目標(雅楽の世界では、本当に壮大な目標なのです)には今一歩及びませんでしたが、これは来年の課題にしたいと考えています。

 私が何故ここまで公演にこだわるか?それは雅楽の演奏会の絶対数が少ないからです。雅楽に興味を持っても、まずどこに行けば見られるのか?が分からない。歌舞伎なら歌舞伎座、能・狂言であれば能楽堂に行けば定期公演が何かしらありますが、雅楽の定期公演を催す劇場は日本には皆無です。日本に皆無ということは世界中どこにも無い、と言う事です。では神社やお寺に行けば見られるか?と言っても年がら年中雅楽を演奏している訳でも無い。結局雅楽を見るチャンスを増やす事が、我々演奏側の緊急の責務であると考えます。ただ、自主公演にはそれなりのリスクを伴います。そのリスクの大きさから、今まで誰もこの分野に手を出してきませんでした。「不良少女と呼ばれて」の著者で有名な故・原笙子先生も遺稿となった著書で、その事に触れておられました。先生の夢は、いつでも雅楽を見ることの出来る常設の舞台を作る事だ、と。先生はそれに対し舞人を養成した上で、伴奏音楽をCDで行うという画期的な方法を思いつかれました。しかし未だ常設の雅楽舞台は全国探してもありません。

 何度もこのブログで触れていますが、私はどうも、昨今の「見せっぱなし」雅楽演奏会が気に入りません(宮内庁楽部の演奏会は別ですよ。あの演奏会は、日本の国として連綿と伝えている「雅楽」という芸術を一般に披露して頂く機会なのですから)。まず、それは演奏会では無く発表会では無いのか?という疑問。有料公演ですら演奏会前にアナウンスで「日頃の練習の成果を存分に発揮します」とか言われると、どうしても「じゃ、金返せ」となりますよ。プロとして練習をするのは当然だし、仮にその成果が悪かったら返金してくれるのか?と突っ込みたくなります。だいたい、度を越した何十人の演奏など、指揮者のいない雅楽で合う訳が無い。それは演奏者自身も感じているはずです。いつまでこのようなセミプロの雅楽演奏会を続けるのか?雅楽の公演は興行として成り立たない、とよく聞きます。客が入らず、装束・楽器などの経費が膨大に掛かるからです。出演者のチケットノルマなどで人件費などを切り詰め何とか公演しているようですが、このままだと自己満足の演奏会で終わってしまいます。お客様は、お金を払ってまで自己満足の演奏など聞きたくないのですよ。興行として成り立たないのは、厳しい言い方ですが入ってくれないお客様の責任では無くスキルの低い雅楽の側の問題であると考えます。

 では私の雅楽スキルは高いのか?これはチケットの売れ行き、と言う数字で結果が表れています。私のこの方法が正しいのかどうかは分かりません。ただ今年一年の公演数を考えると、一歩前進でしょう。自主公演は選曲も含め、二度目が一番難しい。でもそれを乗り越えないと三度目は決してあり得ません。

 今年もあと10日ちょっと。世間は忘年会シーズンです。早いもので若宮おん祭りも終わってしまいました。今年は土曜日の開催で、お客さんも多かったようですね。今年は東日本大震災と吉野・熊野水害における復興を祈願し、別願舞楽として「甘州」と「敷手」の二曲が演奏されたそうです。何でも別願舞楽は三百年ぶりだとか。やはり、おん祭りの話題を聴くと若かりし頃の自分を思い出します。色々ありましたが、あの頃はやはり楽しいものでした。と、過去の事を言っていても仕方ないですよね。

 さて、12月に入りいよいよ第二回の博雅会関西雅楽公演のチケットが販売開始となりました。


雅楽徒然草

雅楽徒然草

 今回は「平家物語」を取り上げています。来年のNHK大河ドラマは「平清盛」。それに乗っかっているのは言うまでもありません(笑)。「源氏物語」と雅楽、はよく話題に上がりますよね。それこそ、現在公開中の映画「源氏物語~千年の謎」にも舞楽「青海波」や「蘭陵王」が舞われるシーンが登場します。ですが、意外に「平家物語」にも雅楽のシーンが登場するのです。それを実際に演奏して観て、聞いてもらって「平家物語」を堪能して頂こう、というのが今回の趣旨です。

 演目には、管絃に「皇ジョウ(鹿+章)急」「五常楽急」「想夫恋」、朗詠で「十方」を選びました。「皇ジョウ(鹿+章)」「五常楽」は巻十「千手」に登場します。今回は「皇ジョウ(鹿+章)」「五常楽」共に急の部分を演奏します。そして「五常楽急」に関しては残楽(のこりがく)形式で演奏します。これは珍しい選曲だと思います。ちなみに私は見た事がありません。ちなみに千手とは白拍子で、漢詩を歌いながら舞ったと言われています。その詩は和漢朗詠集にも収録されていますが、残念ながら音振りが残されていませんので、その次に収録され演奏可能な「十方」を演奏します。「相府連」は巻六「小督(こごう)」に登場。清盛によって宮中を追い出された女房・小督が高倉帝を想い、筝の琴で弾いた曲です。こちらも、今回ばかりは小督を慮り「相府連」を「想夫恋」と表記しています。舞楽は巻四「競(きほふ)」に登場する「還城楽」を演奏します。御所に現れた蛇を冷静に捕まえ、始末した平重盛(清盛の嫡男)の様子を見た源仲綱(源頼政の嫡男)は「まるで『還城楽』のようだ」と褒めたたえた。…今回は右方を演奏いたします。ちなみにその蛇は現在制作途中であります。この演奏会が初披露となります。そちらもお楽しみに。

 今年七月に開催した『壱具』に続き、兵庫県立芸術文化センターでの公演は今回が二度目となります。このホールは超人気で、我々が一年に二度も押さえられたのは奇跡とも言えます。前回は初回でしたので御祝儀来場も多かったと思います。二度目の今回は、ある意味正念場とも言えます。入場料を払ってお越し下さるお客様に「来て良かった」と思われるような公演に必ずしますので、是非にご期待下さい。全てのメンバーの本気、を見せられたらと思います。ちなみに今配役を熟考中です。ある程度は決まっているのですが、まだ上があるような気がして…。

 2011年3月11日。それは日本人全員が一生忘れる事の出来ない日です。私は東京で地震に遭いました。それはもう凄い衝撃でした。同じく衝撃的だったテレビの映像。毎日のように起こる余震。この日本と言う国はどうなってしまうのだろうか?と感じていました。まさかその東北の地で雅楽を演奏する事になるとは。博雅会としても、東北での公演は初めてになります。参加者は総勢13名(現地での参加者一人含む)となりました。

 28日(月)、まず本隊は神戸から出発。車両をお借りし、大阪にて装束・楽器など必要な物品を搬入、前日の大阪歴史博物館公演の出演者を含む参加者と共に難波八阪神社を出発。出発時、宮司先生より暖かいお言葉を頂き、一同勇んでバスに乗り込む。金沢で昼食、残りのメンバーが合流、名神道~北陸道~磐越道~東北道と約千キロ・14時間の移動でした。初めての東北への陸路移動、やはり東北は遠い、というのが感想でした。金沢などはよく車で行きますが、そこから10時間近くも掛かるのですから。しかし、バスの車内は志を同じくする者ばかりですから、楽しくない訳が無い。色々な話をしながら、あっという間に時間は過ぎていきました。時間の経過と共にバスは確実に距離を稼いで行きます。東北道・安達太良SAにて夕食。宿舎になった岩手県一関には22時頃に到着しました。

 翌29日(火)朝6時起床、7時出発。一関から気仙沼は二時間強掛かります。途中のコンビニでそれぞれ朝食と昼食を買います。第一公演後すぐに移動ですので、昼食を買う暇が無いのです。9時、第一公演会場である気仙沼・唐桑の燦さん館に到着。舞台を組み、リハーサル。今回初めて参加するメンバーもいましたので、手探りの中の演奏でした。11時に開演、12時過ぎに閉演。すぐに撤収し、第二公演会場である中井公民館に移動。13時に現場入り、その車中で昼食を取る。会場到着後すぐに舞台設営。リハーサルは時間の関係で無し。装束に着替えて14時から第二公演開始した訳ですから装束着装を含む準備に45分ぐらいしかかかっていない計算になります。14時公演開始、15時過ぎに閉演。撤収後、今回この公演のお世話取り下さった大谷氏とお別れし、宿舎である一関に。途中、気仙沼港付近を視察。あまりに酷い惨状を目の当たりにし、一同言葉も出ず。一関市内の入浴施設で入浴、その日は宿舎にて夕食を取り、就寝。

 翌30日(水)朝5時起床、6時出発。一昨日の全く反対のルートを辿る。途中北陸道(SA名忘れた)にて昼食、16時金沢到着。ここで金沢メンバーと別れ、20時に大阪到着。大阪組はここで解散となったが、車両班は神戸まで走り、それぞれ帰途に。中には家到着が日をまたぐメンバーも。お疲れ様でした。

 この東北慰問の模様は来年2月17日西宮にて開催する博雅会関西雅楽公演vol.2のパンフレット紙上において、写真付きで報告する予定です。尚、城端公演・大阪歴博公演で皆様から頂きました支援金合計94,670円の内から12,110円を使わせて頂きました事を、この場をお借りしてご報告いたします。残金82,560円は、次回来年2月27日~29日に予定しています第二回東北慰問演奏(宮城県山元町)での経費として使わせて頂きます。

 大阪歴史博物館主催「聴いてみよう雅楽 見てみよう雅楽 知ろうよ雅楽」は今回が第三回目となります。緞帳が上がりまずは何のMCも無く、双調「鳥急」を舞楽吹で演奏。お客様の耳慣らし、と言いますか。演奏する我々も吹き慣らし、というような感覚です。管絃と微妙に配役を変えているのですよ。気付いた方はおられるかな?一旦緞帳を閉め、配役を変えて改めて管絃の演奏に入ります。

今回のテーマは双調。まずは「双調調子」。音取ではなく調子を演奏するのも私自身の好みです。意味など何も無いです(笑)。最初の演目は「賀殿破・急」。いきなり、ゆうに30分はあろうかという曲を演奏。「賀殿破」は延八拍子の拍子十、軽く20分は超えます。演奏中客席を見ると、睡魔に負けて頭が落ちるお客様が一つ、また一つ…となっているのが良く分かります。この瞬間、私は「勝った」と思っています(笑)。人を眠らせるだけの心地良い演奏だ、とも言えますがそれよりも、この曲を選曲した私の勝利だろう、と(笑)。まあこんな選曲をするのは私ぐらいなものでしょう。たいていは「客が飽きる」「時間が無い」というような理由で避けられる曲です。しかし、お客様は雅楽を見に来ている訳であって、我々雅楽の側の人間が客にへつらう事は無い訳で、雅楽は長く退屈なものだ、とイメージがあるのならばその神髄というか、びっくりするほど退屈な曲こそを見てもらうべきだと考えます。その上で「賀殿急」を聴いて頂くと、何と軽快な曲なのだろうか?と感じるはずです。急、だけを聴いてもらってもそれを退屈と思われてしまえば、もう雅楽の側の手は無い訳で(笑)。実際、管絃最後に演奏した「陵王」はアンケート上では支持率ナンバー1でした。その理由は「軽快」「メロディが良い」などです。雅楽曲の中にも軽快な曲がある、と言う事を知ってもらうには軽快で無い曲と比較してもらうのが一番です。面白い事に、「賀殿破」のようなゆったりとした曲の方が好き、と言う人も結構おられるのですよ。特に雅楽をあまり聞いたこと無い人が。雅楽の世界に長年いると、自分たちの意見が世間の意見、と錯覚してしまいます。雅楽の演奏会に行ったことある人と無い人を比べると、それこそ1:100、もしかしたら1:1000ぐらいかも知れません。1、の人を相手にして演奏会をするのか、1000の人を相手にして演奏会をするのか、それは雅楽の演奏会を企画した人間が考える事です。確かに地方都市にいってこの選曲は無いのかも知れない。でも東京や大阪など、雅楽の演奏会がある程度行われている都市ならアリでしょう。この考えは、雅楽の演奏会を開催するという根本に立ち返る問題であります。簡単な事で、「誰の為に演奏会をするのか?」と言う事。練習の成果を披露するのなら発表会で、それは練習してきた生徒さんの為の演奏会であり、有料公演であればお客様の為の演奏会。今回は大阪歴史博物館として市民に広く雅楽を聴いてもらおう、見てもらおう、知ってもらおうという演奏会であります。雅楽は越殿楽だけでは無い、蘭陵王だけでは無いというのを分かってもらう演奏会でありますのでこのような選曲になるのです。このような前衛的な企画はこの大阪歴博以外に聞いた事はありません。「見せたい」という依頼者側と、「演奏したい」という演奏家側の思惑が一致し、企画を練りコンセプトを絞って開催する演奏会なのです。

話が大きく逸れました。これは大阪歴博の演奏会報告でした。催馬楽は「席田」を。呂施の催馬楽も演目の頻度がグッと下がります。これも事情があります。まず付物の鳳笙の調律を変えなければいけない。具体的には勝絶と鸞鏡の音が必要になります。次に絃楽器の調絃をどうするか。特に筝ですが、五音音階の内何音下げるか。これは今回様々な楽師の先生にお伺いしましたが、「実は決まってない」と言う返答。確かに、市販されている様々な音源(CD)を聴いてもまちまちです。今回私達は五音の内二音(四絃)の音を下げて演奏しました。賛否両論はあると思いますが、歌が歌いやすくという事を考えました。私は句頭を担当いたしました。笏拍子が上手く打てなくて焦りましたが、まあ何とかなりました。催馬楽・朗詠に関しては今後もどんどん挑戦していきたいと思っています。

管絃の後、楽器紹介の時間を取りました。この時間は、舞人が舞楽装束を着装する時間でもあります。舞人二人と私はそそくさと降台し、楽屋へ一目散。ここは舞台のすぐ裏が楽屋で、近いので助かります。右方の蛮絵装束を二領着付けましたが、我ながら上手く着付けられたと思います。管絃は大幅に時間が押してしまって、休憩に入ったのが1520分。第一部はなんと80分も掛かってしまいました。トイレ我慢していた人、すいません。

休憩の後、第二部の開演。私は舞楽装束を着装する為に一度直垂を脱いでいたのですが、それを切る前にトイレに行きたくなりトイレに。時間は押しているし、焦りました。そんな事情をわかってか、MCさんが上手く時間を繋いでくれました。ありがたや。

舞楽は右舞の「白濱」。双調繋がりで、高麗双調ということで選曲しました。舞人は、メンバーが少ないので今回も舞人は二名。本来四人舞でありますので、このあたりもご批判を受けるのでしょうが、ぶっちゃけ予算が少ないのだから仕方ない。じゃ、舞人の少ない「納曽利」にすればどうか?となります。ですが第一回で「納曽利」は演奏しました(一人での「落蹲」ですが)。様々な雅楽を見てもらう、という観点で、やはり舞楽平舞を見て頂かない事には話になりません。今回はあくまで初心者の登竜門の演奏会。これを見て、もっと見たいと言う方は楽部に行くなり、雅亮会に行くなり、大阪楽所に行くなりして頂ければ良いと思います。今回は大阪歴史博物館の行事でありますので、お客様は無料(往復葉書での抽選)です。歴史に親しむと言う博物館での行事です。アンケートには「無料の公演はダメだ」という意見もありました。ただ、こうしたコンセプトを分かった上で見て頂きたいのです。我々も与えられた予算の中で動きますし、予算以上の事は出来ない。これは当然の話です。この演奏会は第四回・第五回と続くかどうかは分かりませんが(もちろん開催されると言う前提で再度企画を練っていますが、仮に今年度で終わりだとしても)このような考えの演奏会はどこかで続けていきたい、と考えています。

いつもの倍の文章量です。長文御拝読感謝いたします。

 11月は私の雅楽人生で一番忙しい月であったと思います。そんな忙しい月に人生初の入院を一週間してしまう私って…、その中で主催公演二度に影響が無かったと言う事で悪運が強いのだと思います。それこそ、雅楽の神様が私には付いているのでしょう。いや、憑いているのか(笑)。この前、とある方に嬉しいお言葉を頂きました。私のブログを逐一チェックしている方で、博雅会の公演は実に楽しい、と。そしてその公演をより楽しく感じられるのがこのブログだと。これからも楽しい楽屋裏事情を書いて下さい!というお言葉でした。私もこのように文章に起こす事で公演を記憶から記録に変換できますし、次回公演のヒントにも繋がっています。日付は辻褄合わせでぐちゃぐちゃですが(笑)今後もこのブログを御贔屓に、よろしくお願い申し上げます。

 さて、先ほど書きましたがこの11月は人生で初めて主催公演を二回行った、という雅楽人生で初めての経験をいたしました(気仙沼二公演を加えると四公演になりますが)。中九日間で、しかも演目を全部入れ替え。メンバーも三分の一程度入れ替わりました。これはなかなか大変な事です。雅楽公演が中九日で行われること自体が奇跡的なんですが(笑)、これは富山県城端と大阪という距離が成せる業なんでしょうが。

 三度目となる大阪歴史博物館での雅楽公演です。一度目は平調、二度目は壱越調ときて今回は双調を中心に演目をセレクトしました。その選曲は全く私の独断と偏見によるもので、この段階で私は独裁者とも言えます。言い訳をするならば、私も昔からこのような無茶な性格ではありませんでした。ですが、毎回毎回素晴らしい結果を残してくれる博雅会の皆さん、そして毎回盛り上がりすぎる打ち上げを繰り返している内にどうやら麻痺してしまったようです(笑)。人間、苦労した後に結果を残すとやはりテンションがあがります。それは長距離移動であったり、また難曲であったり。考えてもみれば、第一回の大阪歴博での演奏会、これが第二次博雅会のターニングポイントでありました。「少数精鋭」「難曲への挑戦」、三度目の今回もその姿勢を踏襲し、メンバーには各自稽古をお願いし、本番に臨みました。…ゲネ一発という博雅会スタイルは、難曲になろうが全くブレないのですね(笑)。

 演奏会前日、ほとんどのメンバーが前日入りし、前夜祭が行われました。この辺りも昔と変わらない(笑)。同じ鍋を囲み、同じ酒を飲む事で普段も一緒にいるような感覚に陥ります。これが良い方向に向かっているのかも知れません。演奏会は午後二時開演。午前九時に現場入り、例の如く30分で舞台を作りゲネ。今回は全曲通しをしなかったので、意外に早くゲネが終わってしまいました。昼食を食べ、ダラダラと楽屋で時間を過ごし、ある者は舞台上で音出し、ある者は煙草、といつもと同じ時間を過ごし、同じように舞台に立ちました。ルーティーン、とはよく言いますが、それぞれのテンションの上げ方があるのですね。私は最近は一人きりでロングトーンをじっくりと掛けて行っています。以前、これをして本番とても調子が良かったので、それ以来ずっと続けています。自分を落ち着かせるような時間の過ごし方です。続く。

 今回の公演は一応博雅会の自主公演でしたが、地元雅楽団体である雅城会様にも出演いただきました。雅城会様には管絃「五常楽急」を演奏して頂きました。七年前に初めて城端からお呼びが掛かり、私なりに指導を続けて参りました。私は羯鼓で出演しました。二ヶ月に一回という間隔での指導でしたので至らない点もあったと思いますが、装束に身を包み、舞台上で敢然とお客さまに対し演奏を披露している姿を見た時、感激いたしました。

そしていよいよ我々の演奏。管絃は「平調調子」「越殿楽」朗詠「紅葉」「陪臚残楽三返」を演奏。金沢在住のS山兄には朗詠の二ノ句、陪臚残楽の篳篥と大活躍していただきました。特に陪臚残楽の篳篥は今まで聞いたこと無いような旋律で、彼の師のこだわりが垣間見えました。師には「(そんな配役を君に与えるなんて)君はろくな友達がいないね」と言われたそうですが(笑)。私も久々の琵琶での本番。出来はあまり良くありませんでした。もっとこだわって弾かないとなー、と反省しました。休憩の後、舞楽の演奏。演目は満を持して、O氏による「蘭陵王」壱具の舞でした。私は笛の音頭をさせて頂きました。彼の舞、本当に見事でした。私の舞とは全く違う舞でした。そういえば、西宮の時私の舞が(自分が習っている舞と)あまりにも違うので乱序を入れるタイミングが全く分からないとO氏はこぼしていましたが、これは今回の私も同じでした。しかしながら、「蘭陵王」壱具を舞える人間が二人もいて、しかもその舞の系統が全く違う、という雅楽団体は他にも無いでしょう。今後、舞楽「蘭陵王」の仕事を受ける際には舞人を選択して頂く事も可能です(笑)。しかしながら、O氏もパンフレットに寄稿していましたが「壱具」は簡単には舞ってはならないものと考えます。とりあえずは、楽道30周年を迎える五年後まで壱具の舞は封印したいと私は考えています。五年後最後にも何か節目として走舞を舞いたいと考えていますが、その時は「蘭陵王」ではなく「散手」かも「胡飲酒」かも「抜頭」かも「還城楽」かもしれません。もし「蘭陵王」以外の選択をしたならば、「蘭陵王」壱具の披露はその五年後、つまりは十年後以降になると思います。O氏の「蘭陵王」壱具の余韻も冷めやらぬ中、最後は雅城会の皆様と「長慶子」を合同で演奏して〆。演奏会は無事に終了いたしました。

演奏会前、ホールの横にある城端小学校に出向き、出張雅楽教室を開催しました。まずは六年生全員を集め、音楽の授業。教科書には「越殿楽今様」が掲載されていて、それを生の雅楽演奏で歌ってもらおうという企画です。45分の授業の後、続いて全校生徒(希望者のみ)を対象とした楽器体験ワークショップを開催。笛と篳篥を用意しましたが、やはり音が鳴ると嬉しいらしく、尋常無く喜んでいました。こうして少しでも雅楽に触れてもらう事が大事ですね。

演奏会終了後、宿舎である金沢に移動し雅城会有志の皆様と打ち上げ。大宴会になりました。結局私が寝たのは朝5時。次の日睡眠不足であったのは言うまでもありません。

公演は250人近い方に御来場いただきました。ありがとうございました。この場をお借りいたしまして御礼申し上げます。来年も是非!

 もしかしたら病院で、私が出演出来なかったかも知れない城端での博雅会主催公演。無事に出演してきました。その模様を報告いたします。

 当日朝、大阪から博雅会本隊が出発しました。途中で天理に寄り、二人のメンバーを乗せ、合計ワゴン車の定員八名ギュウギュウ乗りで一路北陸へ。実は、この二日前、鳳笙で出演予定だったUさんより体調不良にて今回の出演は辞退させてほしい、という連絡が入りました。最近の博雅会の公演のコンセプトは少数精鋭、余剰人員などある訳も無く対処に苦慮しましたが、配役を組み替えることだけで別の演奏者に頼むことも無く、その対処にはあまり時間が掛かりませんでした。公演当日までにはまだ二日あったので、Uさんには公演当日の体調を見てもし大丈夫そうであれば単身大阪より昼過ぎのサンダーバードに乗って来て下さい、とお頼みしました。結果、体調不良の中本番ギリギリではありましたが無事城端にお越しくださいました。プロ根性を見ました。仮に、二日前の時点で新しいメンバーを招集していれば、このような事はあり得ません。Uさんのプロ根性もさることながら、博雅会メンバーの様々な配役に対応できるポテンシャルの高さ、元サッカー日本代表のオシム監督では無いですがポリバレントな能力に敬服いたします。

 ほとんど休憩する事無く車は名神から東海北陸道に入り、一路福光ICへ。それでも会場には目標より30分遅れて到着。つくづく北陸の遠さを実感しました。会場では博雅会の現地北陸メンバー三名と、共演する雅城会の皆様と合流。早速舞台を作ります。結果30分で完成。相変わらず早い。終わり次第休む間もなくすぐにゲネプロ。毎回博雅会ではこのゲネプロ一発で本番に臨む訳ですから、さすがに緊張感が漂います。まずは舞楽のゲネ。今回の演目は「蘭陵王壱具」、舞人のO氏も、笛音頭の私も初舞台です。陵王乱序全六段のタイミングを確認。初めて壱具の舞を見るメンバーもいて、その長さに辟易としていました。それを舞う方は、そんな事に気を遣っていられる訳もなく、ただただ大変なのです。舞楽のゲネが終わって、ここで一時中断。休憩となりました。休憩中、ラーメンを食べに行くメンバーも。移動がタイトな日程でしたので昼食の時間が取れ無かったのですよ。申し訳無い。城端小学校にワークショップの講師として行っていた私には休憩の時間すらありませんでしたが。

ゲネプロの続き。慌ただしく管絃。朗詠には特に注意を払いました。博雅会のゲネが終わると続いて雅城会様のゲネプロ。終了したのが17時すぎ。ここから夕食。鳳笙のU氏も無事会場に到着。私が鳳笙で出演する事も無くなりました。やれやれ。楽屋は広い和室の部屋でした。いつも通り。全く緊張感と言うものがありません。弁当を食う者、寝る者、煙草を吸いに外へ出る者、楽器を調整する者。大部屋ですのでそれぞれの時間の過ごし方があって面白いですね。この時間が演奏会で一番楽しい時間なのかも知れませんね。楽屋見舞も何人かお越しになりました。差し入れは決まって一升瓶(笑)。今回は地元・富山の銘酒「立山」2本と加賀の「常きげん 」の純米大吟醸を頂きました。もちろん演奏会終了後の打ち上げで美味しく頂きました。続く。

 退院後の仕事も無事にこなしています。体調管理には十分気を付けています。何より酒の量が減った。全く飲まない日もあります。普通の人には普通の話なんでしょうが、私にとっては普通で無い事なんです。最近のお気に入りはウーロンハイをウーロン茶をチェーサーにしてのむ。名づけて「ウーロンハイのウーロン割り」(笑)。大量のウーロン茶を摂取しています。

 あと、水も大量に飲むようになりました。元々私は水分は多く摂る方なのですが、血栓の病気はやはり脱水症状が一番怖いと主治医の先生に聞きました。「一日4リットル」というのは極端な話でしょうが、それに迫る勢いで水を飲んでいます。なのでトイレが近い近い。一時間に一回は行っているような気がします。先日の一泊二日の雅楽講習会、生徒さんは「先生トイレによく行くなー」と思ったことでしょうね(笑)。

 笛の調子は相変わらずですが、まあこちらは何とかなるでしょう。しかし、他にも重大な変化が現れました。歯、です。実は私倒れた時に意識を失って、どうやら顔から地面にたたきつけられたようなのです。気がつけば唇が二カ所切れ、前歯二本が欠けていました。唇の裂傷は退院までに綺麗に治り、歯も欠けただけで大丈夫と思っていたのですが…。先日食事をしている際に、前歯に違和感が合ったので少し触ってみたところ、前歯に詰め物がしてあったのですがそれがボロっと取れた。前歯から息がだだ漏れになるという、笛吹きにとっては致命的な状態に陥りました。これにはさすがに焦りました。年を取ると共に歯茎が痩せてきて、歯が空いてくることにより息が漏れて笛が吹きにくくなるという話を聞いた事があります。私の先生も、以前はガムで前歯の隙間を塞いでいたほどですから。現在は完全に治療され、奇麗な歯並びになっておられますが)。後日、慌てて歯医者に駆け込みました。歯医者に来るのも数年ぶりで、意外に緊張してしまいました(笑)治療に一週間ぐらい掛かるかな?と考えていたのですが、何と15分で治ってしまいました。この五年の間に驚くべき医療の進化があったのですね…と、訳の分からない納得をしてしまいました。ただ、虫歯が3本ほど見つかりましたので、当分歯医者通いが続くと思います。ま、これは仕方ないのでしょうね。歯は大事にしないとね。

 と、三八歳になったすぐにこのような大きな試練に遭いました。この出来事をどう捉えるべきか。私はこう考えます、今後雅楽の演奏活動を続けていくに当たり、何はともあれ体調管理が一番大事であると言う事を再確認できた、と。どんなに成功したとしても、死んだら一緒です。死ななかった、ということが今回の一番の成果です。聞くところによると、肺梗塞と言う病気は致死率が三割、死ぬケースはほとんど即死だという衝撃的な情報を聴きました。私にはお医者さんの生徒さんが何人かいるのですが、私が一週間で退院したと言う事に一様に驚いておられました。「何で今ここにいるんですか?」とまで言われました。これも私の悪運の強さ、なんでしょうね。雅楽を長年やっていますが、私はここまで悪運の強さだけでここまできた人間です。どうせここまできたのなら、あと30年はこのまま行きたいですね(笑)

 どうも笛の調子が戻りません。一本本番があり、「力が入らなかったのが逆に力みが無くて良い笛が吹けた」と感じていたのですが、どうやら違ったようです。特に和(フクラ:オクターブ下の音)が気持よくない。何故か「上(ジョウ)」だけ鳴らないのですよ。おかしいな?原因は入院のため九日間も吹かなかったからなのですが。先日、とある人に言われたのが「楽器の稽古は一日空けると戻すのに三日は掛かる」というお言葉。ということは、戻すのに約一ケ月掛かると言うことか!…と妙に納得しております。いや、いかんいかん。今月はあと自主公演が二度もあるのだ。気仙沼二公演を入れると四公演か。一番近いのは、今週末の富山城端。あと四日しか無いじゃん。最後の悪あがきをしてみようか。

 と、今月は数年来無かった笛の本番が続くと言う珍しい月であります。18日の富山城端は舞楽の笛音頭が当たっています。演目は「蘭陵王壱具」。この七月に博雅会として初上演した演目でありますが、今回は二回目。前回私は舞でしたので、笛の音頭は初めての経験です。陵王乱序六段、お稽古ではよく吹いていますが本番になると話は別です。壱具の舞は滅多に舞う機会がありませんが、笛音頭も同じく滅多にない経験です。この経験を有難く感じます。27日の大阪歴博は管絃の笛音頭が当たっています。演目は「双調調子」「賀殿破・急」「陵王」という重量級。双調での「賀殿」壱具というのはなかなか上演される機会も無いでしょう。先生にお稽古もつけて頂き、準備は万端であります。双調の延拍子といえば「春庭楽」しかメジャーではありませんが、他にも面白い曲があるのだと言う事を皆様に伝える事が出来れば、と思います。あと催馬楽「席田」もやります。こちらは何と句頭です。上手く笏拍子が打てるかしら?ドキドキ(笑)。気仙沼二公演の配役はまだ決まっていません。というか決めていません。皆がびっくりするような配役を考えてみようか?と画策中です。

 今回、図らずも九日間のノー雅楽dayを送った訳ですが、予想外の事も発生しました。それは声が出ない、ということ。先日朗詠を歌った際に、どうも声の出方がおかしい。お腹から声が出ていないのですよ。その結果喉に負担を掛けて歌っていたらしく、すぐ喉に負担が掛かり調子が悪くなります。もちろんこれも初体験。よく考えてみれば、今まで毎日歌を歌っていた訳です。笛の唱歌ですね。これも九日間全く歌っていなかったのです。病室で唱歌を歌うほど私もKYではありませんから…。確かに、毎日朗詠や催馬楽を歌っている訳では無いのですが、やはり発声という面から毎日の唱歌というのは古代歌謡の発声と言う面には非常に理に叶っているということが分かりました。笛の調子が落ちることは想定内でしたが、まさか歌が…という感じです。それからしっかり歌い込んでいるので、今はかなりマシになりましけど。

 たった九日間ですよ。ここまで実力が落ちるなどと言うのははっきり言って信じられませんでした。思えば雅楽を初めて25年、これほどまで雅楽から遠ざかったのは初めてなのです。まずは体調管理、毎日雅楽の稽古が出来るようにしないと。雅楽が出来ない入院生活はもう勘弁です。