旅の回想記
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走れ走れ

毎日、朝から夕刻まで山へ向かって走り続け、山間のワインディングを抜けてまた次の山へ向かって走る繰り返しが頻度よく続いた。時に悪路が何十キロと続くときがあるけど、砂利の多いわけでも砂が多いわけでもない。硬いデコボコ道(コルゲートって豪州ではいってた)がメインなのだが今回はオンロードバイクをチョイスしてたから結構キツイ時もあった。ただ荷台の荷物に関してのパッキングは完璧なのでどちらかというとタイヤのことが結構気になった。パンクは豪州の時も3回位やったので旅にはつき物なのだが最初の一回はメンドクサイものなのだ。

山脈をつたい行く旅

アラスカHWYはアラスカ目前になる頃から悪路が続いた。
バイクを停めたときは走行に気を使う分、吸う煙草や飲むコーヒーがやけに美味かった。ユーコン準州の長く連なる山脈があまりにもキレイだったので休憩時はのんびりと写真撮ったり眺めていた。雄大で静かな夏でも雪の残る山々は人を寄り付かせない気高ささえ感じた。山は登るより見る方がやはりいい。

白夜の夕刻

白夜の日暮れは写真の感じで実際完全に日は暮れず、もう少し暗くはなるがまた日が昇る。真っ暗にはならない。

道は続く

白夜の大地を北へ北へ突き進む。北には一体何が待ち受けているのだろう。

ドールシープ

アラスカHWY沿いに走っていると野生動物と遭遇することが多い。北へ上がるにつれて頻繁に見るようになったのはドールシープ。群れが道を横切っていくためにバイクを止めることもしばしばあった。渓谷を走っているとき、両サイドの岩場を軽快に駈ける姿は見ていて楽しかったが、時々群れに睨まれている感じがしてやな気分になるときもあった。

ユーコンに入ってからは美しい湖が休憩場所になることが多かった。冷たく、透明度の高い湖は心が癒された。豪州の砂漠を旅していたときに常に不安を感じていた水無き大地と違い、カナダは水豊かな大地で旅していても安心感はあった。生きるものにとって水は大切。

北へ上がるにつれて日照時間が長くなり時計を見ないで過ごしてると時間感覚がおかしくなってくる。0時を回っても通常でいえば昼の3時くらいの太陽の位置だったりするからホントに変な感じだった。

気分は上々

毎日走り続けていると時々思いがけない風景に出くわすことがある。写真で撮ろうとバイクを止めてファインダーを覗くと大していい風景では無くなってしまうことが多い。目で見ている風景が雄大すぎてファインダーの中に収まりきれない! なんてことが多くて今一つと思いながら撮った写真は膨大だ。その膨大な写真を一枚一枚スキャナーで取り込みすること自体ナンセンスな労力ではあるけど取り込まないことにはこうして少しは表舞台へと顔を出せず埋もれていくだけ・・・・

サインポストの森

アラスカHWY沿いに「ワトソン・レイク(Watson Lake)」という町がある。
この町には、北米のロードサインを中心に、17,000点を超す世界中の道路標識を無造作に展示してある。
「サインポストの森(Signpost Forest)」と呼ばれる観光名所化したところだがなかなかおもしろい。

アラスカ・ハイウェイ

軍用道路として突貫工事で建設された「アラスカ・ハイウェイ」

「アラスカ・ハイウェイ」は、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州(BC)「ドーソン・クリーク(Dawson Creek)」からユーコン準州(YK)を経由し、国境を隔て、アラスカ州(AK)「フェアバンクス」まで続く約1,523マイル(約2,520km)の道のりである。

1941年に太平洋戦争が勃発し、翌年には日本がダッチ湾に続いてアリューシャン諸島を攻撃した後、次はアメリカ本土を侵攻する勢いに危機感を感じたアメリカ政府が、アラスカの要所に重要な基地を設置した。それらの基地に軍事物資等を搬送するための陸路が早急に必要とされたため、1億1,500万ドルという巨額の費用を投じて、総延長1,422マイル(当初)の「アラスカ・カナダ・ミリタリー・ハイウェイ(Alaska Canada Military Highway)」、通称「アルカン・ハイウェイ(ALCAN Highway)」を翌42年3月9日に着工し、その僅か9ヶ月に満たない同年11月20日に完成させた。この軍事目的で建設されたアルカン・ハイウェイは戦後、アラスカ・ハイウェイとして引き継がれ、後のアラスカの近代化や地域振興などに大きく貢献し、現在もアラスカとカナダ、アメリカ本土を結ぶ主要道路として、重要な役割を担っている。

話は替わりますがおすすめです。



著者: 星野 道夫
タイトル: アラスカ 風のような物語