※2019年これまでにない経験を100個することに挑戦中。

 

これまで、障害について書いていなかった。避けていた。

身近なひとと会話することはあったが、文字として残ることが嫌だった。

障害者支援活動の経験はないし、福祉団体とも繋がりがほとんどない。

 

思い起こせば、中学生のとき。

特別クラスの同級生に声をかけたら、仲良くなった。

それを見ていた友達に、近づかない方がいい、と言われたことも

関係しているかもしれない。

 

思うところがあり、正直に自分の考えていることを残しておくことにした。

障害者について書くことはではない。

人によっていろいろだから。

でも、世の中にある障害については、

書きにくかったけど書きたくなった。

 

知られていないと思ったから。

せめてわたしの近辺にいるひとには知ってほしいと思った。

 

 

彼女が飛行機に乗るとき、空港で時間がかかる。

いつも出発時間の3時間以上前にいく。

事前に何度も電話で航空会社に確認もしている。

 

時間がかかる理由は、電動車いす。

バッテリーを積載するので、種類の確認や積載方法の交渉が発生する。

 

航空会社の職員が発する言葉に、彼女は敏感に反応する。

上記画像でもわかるように、厳しい表情になる。

普段は愛くるしい笑顔と高笑いをしているが、一瞬にして凍りつく。

彼女にしてみれば、穏やかに話そうと努力しているが、隠せない感情もある。

 

いつも同じことを繰り返している。

 

航空会社に事前に連絡しているか?

必須ではないが、

搭乗手続きの当日にカウンターで電動車いすであることを伝えるより

スムーズに手続きできる。

 

電動車いすのバッテリーのタイプは?

ニッケルかリチウムか。ドライ式か。カバーがあるか。

なぜバッテリーの予備が2個もあるのか。

 

電動車いすは折りたたむことができるか。

クッション(座布団)は取り外せるか。

 

乗り継ぎ地で自分の電動車いすを使いたいか。

航空会社が容易する車いすに乗り換えるか。

機内で航空会社の車いすを使用するか。

 

電動車いすの受け取りは、預け荷物と一緒に受け取りでよいか。

それとも飛行機から降りてすぐに電動車いすを使いたいか。

 

出発時間まで3時間以上あるが、電動車いすをまだ使いたいか。

 

預け荷物の容量に電動車いすが含まれてよいか。

容量オーバーとなって課金されるが問題ないか。

 

電動車いすのバッテリーはどうやって梱包するか。

電動車いすのハンドル部分は壊れやすいため、どうやってカバーするか。

電動車いすの折り畳みはどうやってするか。

 

 

例えば、こういうやりとり。

全ての質問がスムーズに進むわけではない。

ひとつでも相手の予想と違っていると、何度も聞き直される。

回答によっては、奥から別の担当者が出てきて交代する。

そのたびに同じ質問をやり直す。

彼女ではなく、わたしに聞くひとも多いが、わたしは答えない。

英語での質問もあるが、彼女の英語が理解できず、時間がかかる。

日本語が話せるとわかると、おもてなし日本語で質問され、

言い回しが複雑で意味がわからなくなる。

そのうち上記の画像のように、何人もに囲まれる。

相手が上から話すため、彼女はずっと顔を上げて話して疲労する。

 

LCCかどうか関係ない。

わたしが乗るのと同じくらいの時間で手続きできたことは一度もない。

事前にどんな準備をしていても。

 

今回の航空会社が特別なわけではない。

というか、スムーズな方だったと思う。

 

ただひとつ、明確な火種があった。

 

「壊れないように最大の配慮をしますが、

 万一のときにはご了承ください。」

 

その言葉は決して冷たいものではなく

それどころか優しさと申し訳なさが入り混じったものだった。

ここに彼女は切り返した。

「どういうことか。壊れたらどうなるのか」

 

あぁ、日頃から丁寧な言葉で会話しておけばよかった。

友達同士のような日本語を話すのは

悪気がなくても不似合いな場面だった。

 

長い言い合いが続いた。

職員と彼女の会話は平行線だった。

 

職員が別の職員を呼びに行っている間、

わたしは彼女に言った。

 

「わたしたちの荷物を預けるときにも同じことを言うから

 飛行機の会社はあれを言わないといけないんだと思う」

 

彼女は言った。

「絶対だめ。これはだめ。荷物ではない。わたしの体だよ

その口調はゆっくり落ち着いていた。

 

行き過ぎた合理主義を批判しながら、

そうなっている自分を鏡で見たようだった。

 

空港でのやりとり、

「電動車いす」を全て「体」に置き替えたら

「電動車いす」を全て「めがね」に置き替えたら

これはとんでもないやりとりだ。

 

航空会社が不可抗力でできないこともある。

職員は国際的な法律や航空会社の規則に則って判断している。

 

しかし、これでは当たり前が変わらない

いまある仕組みやルールを変えていくことが

生きづらさをなくすことであり

それに気づくことでしかわたしたちは新しい当たり前を作れない。

 

 

 

空港に向かう地下鉄で

黄色い線の内側までお下がりください、とアナウンスするも

車いすを先導する職員はホームの端と黄色い線の間を通る。

そう、黄色い線の外側を通るのだ。

 

彼女は黄色い線の先頭に立っているひとを

踏むくらいのところを電動車いすで進む。

 

「すみません、すみません、通ります」

 

ホームから落ちた後の影響は、電動車いすの彼女にとって致命的である。

その彼女が、危険な場所を

謝りながら通っていく。

ホームに立っているひとはイヤホンをしてスマホを見ているから気づかない。

だから結局、危ないホーム脇を通る。

 

黄色い線の内側に、なぜ全員が入れないのか。

なぜ、謝らないといけないのか。

 

わたしは何度も彼女に言っていたことを思い出した。

日本で円滑に暮らすためには、すみませんという便利な言葉があると。

間違ったことを言ったとは思っていない。

すみません、は、謝罪の言葉ではないと教えていた。

 

わかっていたが、ざわついた。

文化として教えたつもりだった。

 

だから当たり前が変わらない。

 

生きていくのは大変だ。

 

彼女も、わたしも。

 

とりあえず今日も元気です、ふたりとも。

 

 

 

追記

 

空港で無事に乗ることができるとわかり、

間際まで電動車いすを使えるようになった。

そこから1時間半、彼女とわたしは空港の端っこでお茶を飲んでいた。

今回の件を二人で話し合った。

 

一体どうなればよいのか。

結論はすぐに一致した。

 

電動車いすに乗ったまま搭乗できること。

そのためにはどうすればいいのか。

バッテリーの問題が大きい。

蓄電なしで動かせる方法がないものだろうか。

(ないな、今は)

 

黄色い線の内側を、どうすれば進めるのか。

ホームの真ん中を通ればよい。

車いすのひとがホームの端を進み、

立ってるひとがホームの安全領域にいることがおかしい。

なぜホームの真ん中を通れないのか。

駅の職員が真ん中を先導しないから。

それはなぜか。

ホームにいるひとが多いから。

ホームにいるひとが整列しているから。

 

ホームで黄色い線の内側に整列して並ぶことは

安全かつ効率良く乗り降りするため。

 

かつてわたしが外国人に自慢した東京の素晴らしさが

他の誰かの生きづらさになっている。

 

それに気づくから、わたしも生きづらくなるのだ。

気づかないままなら、そこそこ幸せに暮らせる。

 

どちらを取るか。