NHK出演をひとりじめしない

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なますて~。ご無沙汰してしまいましたね~。NHKニュースウォッチ9さんの取材を受ける話がありまして、大変光栄なことで、いそいそと取材を受けているうちに、毎日くたくたになってしまいました。全国のひとりじめしないファンのみなさま、お待たせしちゃってごめんなさいね♪

 

いまから約1週間前、「女性の定年」をテーマにした特集をしたいとNHKのディレクターさんから電話がありました。発端は、尊敬する野村浩子さんからのご紹介でした。「女性の定年」*NHKといえば?そう、「定年女子」。ドラマです。南果歩が主人公。とても共感したドラマでした。だから、もしかするとお役に立てるのかも、とお引き受けしました。ただ、本当に貴重な機会であるものの、いまのわたしに何か取材ネタがあるのか???確かに定年後みたいな生活ですのでわかる気もしますが、定年後を撮りたいなら定年後のひとを探せばいいのに~と思いつつ、アクション待ち。

 

NHKディレクターさんから電話があり、会いたいとのこと。待ち合わせして約3時間ほど話しました。「定年」をどう考えるかと聞かれて即答。

 

  自分の定年がいつか、自分で決めました。

 

ディレクターのHさんはそこが面白かったようでした。新橋サラリーマンの取材感覚かなと思いつつ、続きの予定を決めて終了。

翌日から、取材スケジュール調整、臨時セミナーの開催、個別ヒアリングの候補者紹介、など久々に奔走しておりました。わたしの急な呼びかけにご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

放送は10分枠くらいと聞いていたのですが、北海道の空港管制システム故障で緊急ニュースが入ってきたのと、角界暴力事件問題で、8分になっていました。見てくださった方々から特集が物足りない、時間もっとほしい、とお声をいただき嬉しいものの、実は相撲好き&航空管制官になりたかった身としては、同じニュースに乗ってよいのかという気持ちでした。空港で足止めされているかたや、寒い空港で作業されている方、早く安全な状態になることを祈っています。それと、相撲界からかわいがりがなくなることも願っています。

 

特集は均等法第一世代といわれる昭和60年~平成元年の女性とその少し前の女性を紹介するものでした。将来の幹部候補として期待される総合職がどのような道を歩むのか。

 

(うちのテレビ:HITACHIのwoooに映る野村浩子さん)

淑徳大学の野村浩子教授は、定年まで勤めた女性の先輩がほとんどいない、ロールモデルがいない状況だったときを振り返ります。

わたしの場合は恵まれていました。すでに定年まで働き続けた先輩女性がいました。定年で退職したひと、定年を延長したひと、定年前に退職したひと、そんな女性先輩のおかげで、何をするにも「初めての〇〇」などと言われずにいられました。

 

(布団をかぶる林敬子さん、手話の「頑張ります」を表現か?!)

女性を受け入れる雰囲気がほとんどなかった昭和の終わり。デロイトトーマツの林敬子さんは「帰って布団かぶって泣いていた」そうです。そんな女性たちが声をあげたり我慢したりの結果、道なきところに道ができてきました。わたしはその轍を歩いてきました。決して舗装された道ではなかったですが、確実に歩ける道になっていました。

 

(セミナーで話す小嶋を中央でガン見しているのは手伝ってくれた蒲生智会さん)

その結果、選択肢はわたしたちを悩ませるものにもなりました。定年まで働けるという道ができたおかげで、「働き続けられない」状況から脱出できました。続けるか続けないか、自己決定できるようになったわけです。そうすると、今度は不安材料が出てきました。

先日、女性定年テーマのセミナーでは、健康、技術についていけるか、介護、人脈、収入などの不安があることが明らかになりました。このような不安材料をもって、どうやって自分の軸で生きていくのか、これはライフシフト・ジャパン(LSJ)で一緒に解決していきましょう

 

(日本を象徴する扇子イヤリングで次は世界デビューします)

実は35歳のとき、「定年まで働きます!子供が成人するまで稼ぎます!」と社長の前で宣言しました。一生働こうという思いと、そのころまだ定年を迎えた女性がいなかったためでした。しかし、ふと立ち止まったとき、わたしは定年までの年数を数えるようになっていました。周囲にも、あと10年何をしよう、セカンドライフまであと5年、などの声が聞こえるようになりました。今年4月、母が骨折で入院したのですが、そのとき一番に思ったのが 「あと10年、介護しながら働き続けられるかな」でした。そこで、あれ?あと10年ってなんだっけ?となったのです。

 

美容師さんがきれいに盛ってくれたのに、カツラをかぶってたからぺちゃんとしてしまいました)

60という数字が当たり前のように出てきた自分に、そわそわした気持ちになりました。まるで人生の終わりであるかのようにみているなぁと。働き続ける気持ちでした。しかし、なにか漠然と大きな道標が60にあるような気持ちでした。こりゃいかん、わたしは病気もよくするし、学校や会社も皆勤賞とったことない、60歳より前に設定しとかないとまずい。そんな気持ちになりました。そこで、次のことは考えず、とりあえず退職したのが今年の7月でした。

 

(スーツもネイルもやめました。谷川真理さんのおふるのGジャン愛用中)

退職してからのわたしは、このブログにも書いてきたとおり、ぶらぶらしていました。それが奏功したのかわかりませんが、一緒に何かやろうと声をかけてくださる機会に恵まれました。自分が企業時代にいかにたくさんのものをいただいてきたかを実感しました。ブログのタイトルのとおり、それらをひとりじめしたくないと強く強く思いました。どうすれば自分自身を社会に差し出していけるのだろうか、とりあえずブログに思うことを書いていこう、そう思って書き始めました。そうすると共感・賛同してくださるひとからお呼びがかかるようになったのです。

 

UMUのサオリンとトモコン、打ち合わせ場所を変更してくれてありがとう!)

いま、わたしは株式会社アワシャーレとして独立していますが(まだ3週間ですけど笑)、NPO法人GEWELの副代表もしていますし、ライフシフト・ジャパン株式会社の取締役もしています。女性の健康を推進する取り組みは3つの団体と連携しています。大学にも積極的に授業でお話に行ってます。これらの活動をするためにネットワークを作ったわけではなく、自分のできることを差し出しているうちに、なんとなくネットワークのようなものができていったというほうが近いでしょう。

 

(怪しい宗教か、ねずみ講かにも見えるネットワークの図)

この図の線はわたしが自転車で走っている線です(笑)今回、自転車で移動するシーンも撮影してました。自宅から7駅離れたところまで、50分自転車で走りました。その日は全部で3時間近く自転車に乗りました。でも全部カットされてました。。。とほほ。

せめてこの図の真ん中に自転車に乗っている小嶋をはめこんでいただきたかったですわ(笑)

 

 

(浩子先生が読まれている本が気になります)

 

私たちは先輩がたのおかげで選択肢をいただきました。定年まで企業で働く、企業以外で働く、働かない、どれも選択肢です。わたしは企業を退職して独立する選択肢をとりました。自分のためだけでなく、企業で働く後輩の女性に「こんな道もあるよ」と見せることも意味があると思いました。林敬子さんが「後輩のために定年まで働き続ける」とおっしゃったのと同じだと思っています。

 

野村浩子教授の書籍「定年が見えてきた女性たちへ」の中に「妹たちへのメッセージ」という章があります。もしわたしがこの章を綴るとしたら、こんなことを書くでしょう。

 

 ・選択肢を作ってくれた先輩に感謝しよう。

 ・自分の定年は自分で決めよう。

 ・大した志なんてなくても生きていけるよ。

 

(ニュースウォッチ9の桑子真帆さんと有馬嘉男さん)

今回は時間がなかったためお二人のコメントがなかったのですが、ディレクターHさんにお願いして教えもらいました。

 

有馬さん

「縦男・横女」という言葉があるんですよね。

男性は、会社の上下関係など縦のつながりを大事にする傾向が強い一方、女性は横にネットワークを広げるのが得意。

定年の迎え方にも違いが出てくるようですね。

 

桑子さん

女性が働く環境、何もないところから道を作ってきてくださった先輩たちが、今度は定年後のロールモデルを切り開こうとしている。

第一世代だからこそのパワーでしょうか、素敵だなと思いました。

 

ちゃんと伝わっていてよかったです。

 

航空管制官になれなかったけど

わたしは今日も元気です。

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