先日、三重方面に用があったので
前から気になっていた
東海道桑名宿に寄ってきました![]()
桑名宿は、
東海道で唯一の海上路、宮宿との間を結ぶ七里の渡しの
西側の宿場町で
桑名藩の城下町でもありました。
東海道の旅籠屋数で宮宿に次ぐ2番目の規模ということで、
やはり当時の海上路は悪天候のときなどは大変で
多くの旅人が滞留することもあったのかもしれませんね。
桑名城のお堀の内側にある
柿安コミュニティパークの駐車場に車を停めて
散策スタート![]()
お城と宿場町の間のお堀を渡す北大手橋。
欄干には当時の桑名宿周辺の様子を描いた浮世絵が飾られています。
手前の絵は歌川広重の
「東海道五拾三次之内 桑名 七里渡口」
ですね。
歌川広重らの木曽街道六拾九次は
中山道広重美術館でよく目にしているのですが
東海道の方はこれまであまり見たことがなかったので
またいつか通しで見てみたいです![]()
橋を渡って旧宿場町のエリアへ。
道路は少しお洒落な感じで舗装されていていますが石碑の説明書きを見てみると、
左は舟会所跡、右は問屋場跡となっています。
問屋場の方は一般的な宿場町にもある
人馬継立、つまり人足や馬を手配する場所ですが、
舟会所の方は渡し舟の手配をする場所、ということで
桑名宿ならではの施設ですね![]()
東海道の宮宿へ向かう七里の渡しの他、
船が苦手な人のためでしょうか
脇往還の佐屋街道佐屋宿へ向かう三里の渡しも
ここで申し込んで料金を支払う仕組みだったそうです。
揖斐川の土手に近づくと
七里の渡しを示す石碑が。
そしてその隣には
立派な鳥居がありました![]()
この鳥居、伊勢国一の鳥居と呼ばれています。
中部地域づくり協会のWebサイトによると、
この鳥居は元々は伊勢神宮外宮正殿で使われていた御用材だそう。
およそ50~60年前に切り出された御用材は、
① 伊勢神宮外宮正殿の棟持柱として20年の役目を終えた後、
式年遷宮に伴って
② 伊勢神宮の宇治橋外側の大鳥居として20年の時を過ごし、
次の式年遷宮の際に
③ 桑名にやってきて伊勢国一の鳥居として20年の時を過ごす
という経緯でここに設置されているそうです。
ここ桑名は
東国から渡し舟で到着した
伊勢神宮を目指す旅人たちの玄関口として
とても重要な役割を担っていたということがよくわかります。
鳥居の近くにはこんな建物も![]()
桑名城にあった51の櫓のうちのひとつ、
蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を復元した建物だそうです。
七里の渡しに面する蟠龍櫓は
東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルとして
この記事冒頭にも登場した
「東海道五拾三次之内 桑名 七里渡口」(歌川広重)
にも描かれています。
現在は揖斐川の防潮水門を管理する
水門統合管理署が入っていますが
2階は無料で一般公開されており
桑名藩の歴史資料や付近を描いた浮世絵などが展示されていました。
櫓のすぐ隣の土手から眺める揖斐川の様子です。
ここを熱田や佐屋を目指す渡し舟が行き交っていたのでしょうか。
当時に思いを馳せてゆっくりしたいところですが
この日はとても暑くて…
早々に退散してしまいました![]()
桑名城址は九華公園として整備されています。
そして、公園の一角には柿安精肉本店がありました。
柿安は明治初期に桑名市で創業したそうで、
旧東海道沿いには柿安料亭本店もありました![]()
この後、桑名市博物館に行ってみたのですが
この日は展示入替期間のため閉館![]()
また次の機会に出直したいと思います。
それにしても東海道について、知らないことばかり。
中山道の宿場町を巡りながら少しずつ読み進めている
「夜明け前」がようやく終盤に差し掛かってきたので
読み終わったら「東海道中膝栗毛」を読んでみようかなと思いました。
帰りは湾岸長島PAのナガシマレストランでお食事。
ここのレストラン、混雑していなくて
ゆっくりできるのでお気に入り![]()
NFしがらきでの牧場見学の帰りなどによく寄ります。
私はここに来ると
何故かいつも食べたくなるエビピラフ
夫は贅沢盛りランチ
この贅沢盛りランチ、
定番のエビフライ、豚ヒレカツに加えて
四日市名物のとんてきと
桑名名物の蛤のフライがついている贅沢な内容。
以前、夕方に夫が食べたくなって
注文の時に
「贅沢盛りランチってこの時間でも注文できますか?」と
恐る恐る伺ってみると、
「『ランチ』という名前ではありますが、夜もやってます!」
と、元気に答えてくださいました。
そしてこの日は…
「夜もやってます!」と、
わかりやすくアピールしてくれていました![]()













