10年目の富山もよう
少し前に手掛けた仕事のこと。
この仕事に関しては色々思うところあって文章にはしていなかったのですが、先日富山から良い写真が送られて来たのでここに諸々綴っておこうと思います。
私がずっと手掛けている「富山もよう」という仕事があります。
富山もようは富山の良いところをを県外だけではなく、県内にも再認識という形で伝え、富山の魅力を広く発信していくもので10年前からスタートした企画です。
昨年、2024年はこの富山もようがスタートして10年という節目の年でした。
その10周年企画として色々な事を企画検討していたのですが、その年が始まる日に北陸地方に大きな地震が発生しました。
特に能登半島は大きな被害を被ったのですが、富山も地域によっては甚大な被害に見舞われたのです。
年明け早々の自体に北陸地方では様々な対応に追われ、とても周年事業どころでは無くなったのでした。
そこから少し時間が経過した3月頃、被災地の石川、富山への支援企画として富山もように声がかかりました。
いつものような新聞のラッピングは勿論、その模様を使用した防災チャリティーグッツを作って売り上げを寄付しようというもので、周年企画をやるのではなくこちらを進めようと。
勿論私も含め、関わる人や企業は全て無償のボランティアで参加し、少しでも被災地に貢献しようという企画となったのです。
まだ復興が手付かずの地域が多く、おいそれと行ける状況ではありませんでしたが4月頃、現状を把握するため、行ける範囲で視察に行ってきました。
震災の中心地域ではありませんでしたがそれでも被害は想像以上で、そこで生活している人たちのご苦労が強烈に伝わってきました。
視察という名ではありましたが、どこか呑気な気持ちでいたこと事態が申し訳なく、罪悪感とも猛省とも言えない気持ちで帰路につき、果たして、いったいどんのものをデザインしたら良いのか全く分からなくなり、新幹線の中途方に暮れたのでした。
「富山もよう」はもともと、富山の良いところを模様にして広く伝えていくという、元々が何か問題解決的なものでもなく、どこかピースフルな、牧歌的な要素があるものでしたので、あの切迫した事態を目の当たりにすると果たしてそんなものが必要なのだろうか?と思わない訳にはいかなかったというか。
そもそも、色や柄とかは絶対に必要なものでもないですし、さらにはこう言った切迫した状況下ではもっと必要なものは山ほどある訳だし、わざわざこんな事をする必要はあるのだろうか?と
デザインが全く進みませんでした。
5月、少しづつ復興の兆しも見えてきた頃。どうにかデザインを進めないといけない頃。
色々と思い悩んだ末に私は、「何か美しいものを描こう」と思ったのです。
少し時間が経過したということもあると思いますが、何か美しいものを見たら人の気持ちは少しは癒されるのではないか、と考えたのです。
富山にある立山連峰や石川にまたがるにある白山連峰が夕陽に照らされてピンク色に輝く光景がたまに見られるそうです。
一部では晴れ山とも呼ばれ、その美しさは息をのむようだという話を聞きました。
そんな美しい光を追いかけるように、点描で白山連峰と立山連峰を描きました。
晴れ山、私はまだ見たことはありませんが、いつか見てみたい。
そして余剰なものだとは思いますが、気持ちが少し明るくなるようなものが人には必要なのだと信じたい。
1日も早い復興を願います。