manners をどう訳すか | こくばん塾 生田英数会 塾長のブログ

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    高3のクラスでした。入試英文の解釈です。

 

  Most Americans and British people would agree that it is good manners to be punctual for an appointment.

 

  この文の「manners」の訳ですが、

 

 「約束の時間を守るのは良い風習である」とする生徒が、けっこう多いのに驚きます。

  辞書を引くと、manner と単数形なら「方法、態度、様子」manners と複数形だと「行儀、作法、風習、習慣」。単数と複数で意味の変わる単語です。生徒は辞書はちゃんと引いてくれます。また、manners と複数形で調べて、とも言いました。そこでよりによってどうして「風習」なんでしょうかね。

 

 「あのねえ、風習っていうとわたしはどうしても、昔の日本にはお歯黒の風習があった、とか、○○は原住民の風習だ、とか。そういう使い方を思い浮かべる。君はどうなの?っていってもあんまり考えてはいないんでしょうね。マナーだからマナーって訳したらまずいだろう、とは思っている。先生がカタカナ英語は要注意、っていってるからね。でもたまたまだけど、この場合「風習」とするくらいなら「マナー」のほうがよほどいいかな。ともかくしょうがない。まず「風習」が我が国ではどういうことを意味するか、からだ。「風習」でまず短文作ろう」

 

 こういうのは一例に過ぎません。まず、ことばの使い分けができていない。うるさく言われたことがない。「使い分けるべき場面」を教育の中で体験していない。塾で、しかも英語の塾で、「ここから?!」状態。

  

 森有正は日本には文法論はあっても、文法そのものを教えるということはおこなわれていない、とある本の中で指摘しています。

 「文法そのもの」といって、何をイメージするかが問題です。

 たとえば、わたしたちは口語でも文語でも文法の授業と言いますと、もうできあがった文章に対して、文節分けをしたり、品詞を見極めたり、活用を云々したりすることを思い浮かべます。が、森有正が言っている「文法そのもの」というのは、そういうあらかじめ有るものに対しての「分析」ではなさそうです。

 文法に則って、言葉がただしく操れるか、語彙が豊富か、いや、そもそもその語の意味用法を正しく身につけているか。自分の国のことばなんだから「簡単でしょ」とはならず、「教育されてはじめて言葉は使えるようになる」という前提を国全体が「常識」として持っている。そういった言葉の教育の総体を「文法」と呼んでいると考えられます。

 

 ひるがえって、ちかごろ我が国の政権がイメージし、文科省の官僚達が忖度している「これからの国語能力」というのは、新制度の入試問題のサンプルをみるかぎり「いったい何なの、これ」という代物。「情報を編集・操作する能力」だそうですが、なんでこれほどまでに「契約書」とか「規約」を読ませようとするんでしょう。どうも「情報を使える」ということを「現場で使える」ということにして、奇妙で矮小な形に「見える化」してしまった、という印象を受けます。ここにあるのは、自分たちのやってることがきわめて単純に直截なかたちで「政権のえらいさん」に認められなければならないという強くもおろかな意志です。良心も知性も常識もここにはない。

 必要なのはそんなものじゃない、という反対運動がもっともっと国語教育界から上がってきてほしいのですが。

 

 「風習」の使い方も知らない子どもたちです。言葉の教育の必要性について、なにか浮き足だったこと、見た目だけの「グローバル対応」をやってほしくない。あたりまえの、基本のおしえ。文法や作文の指導。そこに立ち返りたいものです。