時制の大切さ | こくばん塾 生田英数会 塾長のブログ

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高校の英語から「文法」の枠が消え、正規の教科書も失われて数十年が経過しています。文法の軽視によって何が起こるでしょうか。英語教育現場の外側にいる人たちは、「文法の規則」がきちんと身につかないとか「文法的に間違った」文を書いたりしゃべったりするようになる、と考えるのではないでしょうか。規則が十分に身につかないケースはもちろん常にあります。しかしここで問題にしたいのは、そういった単なる「学力不足」の問題ではないのです。

 

 文法を単純に「規則」ととらえると、「ちょっとくらい間違えたっていいじゃん。日本人なんだから。ブッシュだってトランプだって結構間違えるらしいぜ」「むしろ多少の間違いは気にしないで、ものおじせずどんどんしゃべったほうがいい」という「どんどんしゃべれ主義」が生まれてきます。かねてから英語教育界には「文法」か「使える英語」かの二大対立がありますが、どちらの陣営も「文法は規則の習得だ」という観点に立っていることにかわりはありません。

 

 「規則の習得」となると、「(規則をおぼえなければならないなんて)無味乾燥で退屈だ」とか「ちょっとくらい間違えても実際に使うという事の方が大事でしょ」といういい方に根拠をあたえます。

 ところが文法は単なる規則ではない、言葉を精妙に使い、有意に受け止めるための十分に「ジューシー」な仕組みだ。ただ残念なことに日本の文法教育ではそこのところが完全に抜け落ちていたということを明確教えてくれる人があらわれました。マーク・ピーターセンです。著作は数多くあり、また文法書の共著もありますので、読まれた方も多いと思います。

 

 ピーターセン教授はその著書「心にとどく英語」の「時制はドラマをつくる」で、きわめてわかりやすく、おもしろく、時制がどれだけ大事かを述べています。以下、引用します。

 

 親密さの演出

 英語は、もっともかんたんなはずの「現在形」をはじめとして、しっかりした時制のシステムを持っていて、きわめて正確な表現が可能な言語である。たとえば、映画『卒業』(1967年)には、こんな例がある。ミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)という中年女性が優等生の青年ベン(ダスティン・ホフマン)を誘惑しようとするが、さほどたやすいことではない。なんといっても、ミセス・ロビンソンはベンの両親の友人で、小さい時から知っている小母さんといったイメージなので、かなりの工夫や手管が必要である。そこで、ミセス・ロビンソンは、ベンにパーティーのあと家におくってもらうと、「一人でくらい家に入るのが怖い」などと理由をつけて、結局奥の部屋まで彼を連れていく。ホーム・バーへ直行し、

  What do you drink? Bourbon?

と訊く。このセリフを聞いた日本人は、おそらく純粋に「何を飲みますか?バーボンですか?」と理解するのではなかろうか。私の見たビデオの日本語字幕でもそうした意味を簡潔にまとめて「バーボンでいい?」としているのである。ところが実は、この英語は違うことを訊いている。しかも、その違いにこそ、ミセス・ロビンソンの手管の手管たるゆえんがある。

 もし、仮に「何を飲みますか?バーボンですか?」というようなことを訊くのなら、一応これからの話だから、当然 “ What will you drink? Bourbon? ”や “ What would you like ? Bourbon? ” あるいは  “ What would you like to drink ? Bourbon? ” などの表現になるのだが、 “What do you drink? Bourbon? ” はそうではない。これは「単純現在」で習慣的行動を表している。つまり「いつも何を飲んでいるの?」という意味である。英語で言い換えれば”What is your drink ? ”と言ってもよい。彼女がベンに “What do you drink? ”という言い方をするのは、要するに「あなたはもう子供じゃなくて大人だから、当然自分の決まった好みのお酒があるでしょう?いつも飲んでいるのはなに?バーボン?」ということなのだ。こうして「私たちはもう大人同士よね」という雰囲気を作ろうとしているのである。

 

 ひるがえってわれらが文法書には時制の章があり、なるほど現在形のところには、現在形は「現在の反復的・習慣的行動をあらわす」とちゃんと書いてあります。しかしその例文は Tom goes to school by bicycle. のたぐいが二、三。

すると誰だって、「なんかあったりまえのことをいうのが現在形なんだな」ぐらいに「現在形」をうけとめるのがせいぜいで、おおかたは、ろくに読まないで抜かしてしまうのではないでしょうか? 

 

生徒達にとって、時制の勉強は機械的な「書き換え体操」のようなもの。だから現在形、過去形、完了形、未来形、未来完了進行形の受け身なんていう超絶形まで「習得」していても「味わえない」、場面が立ち上がらない。英語が「使えない」と嘆くのであれば、このことこそを嘆くべきではないでしょうか。

 

 文法を教えないで英語を「使う」ことなんてありえません。肝心なのは文法の教え方です。正規の文法の教科書が消えてしまったために、「文法は四択問題を暗記するほど繰り返す」というようなものになり果てました。このような状態の生徒達に文法を「あらためて」説いて聞かせることはきわめて困難です。

 願わくは文法の授業枠が復活し、正規の文法の教科書が今までと違った形で新しくつくられ、その作業の中心にはピーターセン先生に座っていただきたいと思います。

 

 

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