■ 発達障害という言葉が広まる影で
「発達障害」という言葉は、この数年の間に、急速に広まっているような気がします。
そのことによって、理解を示す人が増えるのは嬉しいけど、やっぱり誤解や偏見を示す人もいるわけで、それには正直いって悲しくなります。
その代表例としては、アスペルガー症候群。
アスペって、今や、空気が読めない人の代名詞になってしまいましたよね。
人の気持ちや周囲の状況が読めないのは、脳の特徴によるものなので、そう単純にはレッテルが貼れないものなのに。
それに、障害という言葉は、どうしても重く受け止められがちです。
もしかしたら、診断を受けて、支援も受けた方が、楽になりそうな人が、障害という言葉に抵抗して、病院に行くのをためらうケースもあるかもしれません。
逆に、明らかに発達障害ではない人も、家族や職場から強烈に勧められて、しぶしぶ診断を受けるのも、どうかと感じてしまいます。
「発達障害」という言葉が、どこかで一人歩きしているんじゃないかと思える、このごろです。
■ 「発達凸凹」と「発達アンバランス症候群」について
ところで最近、発達障害を表す新しい言葉として、「発達凸凹」や「発達アンバランス症候群」というキーワードも、見かけるようになりました。
「発達凸凹」は杉山登志郎さんが、「発達アンバランス症候群」は星野仁彦さんが、それぞれ提唱したものです。
凸凹にしても、アンバランスにしても、
「できないこともあるけれど、できることもあるんですよ」
という特徴を表現していて、発達障害という言葉よりも、上手く本質を言い当てているんじゃないかと思います。
■ 大人になってからも成長はできる
大人の場合は、成長にするにつれて、できないことができるようになることもあるかもしれないけれど、大元の特徴は残っているものです。
たとえば私は、小さい頃は多動でしたが、今はそうではありません。
それでも、忘れ物が多かったり、片づけるのが苦手だったり、ADHDの名残はあるような気がします。
大人になってから、診断をされて思うに、こういった特徴をがらりと変えることは難しいです。
ただ、こういった凸凹感や、アンバランス感に気づいて、それと付き合っていく方法を手さぐりしていくことは、可能なんじゃないでしょうか。
私は結構本気で、忘れ物対策や、片づけ対策はしているつもりです(笑)
人と比べると至らないかもしれないけれど、人と比べるために努力しているんじゃないので、わりと楽しんでやっています。
朝、出かけるときに、鍵をいつものフックから取り出したり、部屋が片づいているのをみると、気持ちがいいです。
自分が幸せになるための、ささやかな努力です。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
>>> 発達障害のいま (講談社現代新書) 杉山登志郎(著)
>>> 発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書) 星野仁彦(著)