東京大学に「介護学科」がないのはなぜ? 「看護」と「介護」の微妙な関係 | 母親ひとり親の医療の学校の受験・修学手助けします

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歴史から考えると介護から看護は生まれました。
ところが
看護学は学問として確立し
介護は介護学になれずに取り残されました。
 
旧帝国大学と呼ばれるトップクラスの国立大学では
例を挙げると
東京大学、京都大学の医学部に看護学科があり
大阪大学では看護学部があります。
 
介護は福祉政策の一部であり
単なる実行部門と考えられています。
学校での学科名も「介護福祉」のように福祉と組み合わされた名前になっています。
 
介護そのものを系統だって研究するという場がないのです。
だから
介護には標準はなく
施設ごとに全くちがった仕組みで動いています。
施設が変わると今までの経験がキャリアにならずに
また一からやり直しという実情を聞いて驚きました。
 
さらに
わが身を忘れて研究・努力している人たちがいることは認めますが
介護者の体を守るための動作の研究・訓練
技術開発をどうやって業界と結びつけるか
といったことを系統だって研究、現場に還元する場もありません。
 
特に経費のことでは
現状ではほぼダダ漏れ状態で国費が使われているという話を聞いたことがあります。
事業を縮小しなくても
マネージメントの見直しだけで1~2%は簡単に減らせます。
たったそれだけでも今の年間予算規模からすると何百億円に当たります。
 
そんな諸々のことを系統だって研究する場がないのはおかしいという主張を聞きました。
それを象徴しているのが
旧帝大に「福祉政策」を取り上げるところがあっても
「介護」そのものを取り上げるところがないことです。
 
看護には標準があり
さらに
医学との連携も含めて
看護をシステムとして考えようとしています。
これはほぼ100%ナイチンゲールの功績によるものです。
 
ナイチンゲールはがんばり屋の夜回りお姉さんではなく
(偉人伝でのイメージはそうです)
これまで介護の一部でしかなかった看護をシステムにまで高めた理論と実行力をもった人でした。
 
『介護再編(武内和久・藤田英明)』では
「介護」分野が自立できないは介護の世界にナイチンゲールがまだ生まれていないからと言っています。
現在の状況を変えるためには学としての「介護学」を作り上げる人材を作ることからしか始まらないようです。
でも、残念ながら日本から「業務標準化」が生まれることはないでしょう。

介護業界に必要なのは「業務標準化」です でも、残念ながら日本製の「業務標準化」はできないでしょう