【以下ニュースソース引用】

島根との2拠点生活が今は正解〈290〉

LIFE

 

大平一枝

大平一枝

 文筆家

長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ただしい暮らし、な …

 

本城直季

本城直季

 写真家

現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet …

 

〈住人プロフィール〉


46歳(会社員・女性)


賃貸マンション・1DK・京急線 京急蒲田駅・大田区


入居1年・築年数1.5年・ひとり暮らし

 

 ──東京で単身生活。

 

島根の家に夫がいます。

 

両親は近居。ひとり暮らしでも、部屋を選ぶ基準は台所の広さです。

 

当然家賃は高くなりますが、私にとって台所はいちばん重要なポイントです。

 

ひとりでも、呪いのように最低3品は作らないと落ち着きません。──

 

 風変わりなプロフィールの応募が届いた。


 前回は、関東出身の妻が単身赴任で岩手に暮らしているという夫からの応募だったが、今回は島根出身の夫婦で、東京に単身赴任している妻から届いた。

 

 「17歳でカナダの高校に留学。京都で学生時代を過ごした後、島根の地元企業に就職。

 

3年勤務して、ワーキングホリデービザでカナダに滞在しました。

 

でも28歳で帰国してみると、地元で思うような就職口がなかったのです」


 今でも、いつかは故郷に戻ると決めているほど故郷を愛しているが、新卒でない女性の働き口がないことには閉口した。

 

 求人広告を全国規模に広げ、東京・新橋の医療系広告代理店に入社した。

 

 「東京の仕事はおもしろかったのですが、人が多いなあと。初めて出勤した日は満員電車から降りられず、ひと駅先で降りた。

 

埼玉から50分かかる通勤もストレスでした」

 

 あるとき新宿の空を見上げたら「あ、狭い」と急に悲しくなった。


 カナダの経験から、身ひとつでどこでもやっていけるという自信は備わっている。


 そこから、より良い職場を求めて30代は北海道、島根、岡山、神戸を転々とした。


 39歳、島根在住の男性と結婚。週末は神戸から島根に帰る生活を続け、44歳で今度は鳥取の大学院に入学する。


 「キャリアアップのために取得したい資格があったので。初めて島根で彼と同居しながら、2年間通学できました」


 ところが、またしても就活に苦しむ。

 

 「通えるエリアで探しても、年齢とキャリアが壁になり、受けても受けても通らないんです」

 

 資格があっても、学歴も経験値も高い40代の女性を活用したがらない。

 

やむなく再び、求人の枠を全国に広げると、望む会社が東京に見つかった。


 ここならある程度任せてもらえて、自分の裁量で進められる。

 

コロナ禍にかかわらず元々テレワークを推進している外資系企業であることも魅力的だった。島根との2拠点生活を可能にするからだ。


 いつ夫のいる島根に戻れるかわからないが、苦い経験から「これを逃したら、やりたい仕事は一生できない」と強く思い、転職を決めた。

 

 それから1年。


 羽田空港まで電車で10分の蒲田暮らしが今は心地よく、「2拠点生活は正解だった」と振り返る。

 

島根との2拠点生活が今は正解〈290〉

「品川から向こうに行くときは緊張する」

 月に2回は島根に帰り、リモートワークをしている。

 

近所に住む両親が、“帰省していても仕事中である”という状況をいまひとつ理解せず、家の用事を頼んでくるのは、「しょうがないなあ」と苦笑いしつつこなしている。

 

 いっぽう東京の部屋は、夫が遊びに来ることも多いので、ダブルベッドが入る広さを条件に探した。


 料理が好きなので2口コンロは必須。

 

トイレと風呂は別、“玄関開けてすぐキッチン”という間取りも避けた。


 結果、「地元では考えられない、驚くような家賃」になってしまったそうだが、自炊生活を堪能。

 

職場でも自分しかできない業務を任され、充実している。

 

 「祖母が民宿をやっていたせいか、いつも品数が多い母の元で育ったので、私もひとりでも必ず3品は作ります。

 

白菜と塩昆布あえとか新じゃがの煮物とか、簡単なものばかりなんですけどね。

 

疲れていても、品数がないと落ち着かなくて」

 

 冷蔵庫の扉には、「マイベスト」と言うだし汁のメモ書きが貼ってあった。

 

二日分の食材を買ってその都度使い切るため、冷蔵庫内はすっきりしている。

 

帰省の折は、必ず地元の米と醬油(しょうゆ)を買って帰る。

 

ことに醬油は、祖母の代から使っているメーカーでないとだめなんだそうな。

 

 「食卓って1品だけだと、食べるためだけの場になる。

 

でもいっぱい並んでいると、コミュニケーションの場になるんだなあって祖母や母の食卓を見て感じました」

 

 17歳のとき、留学先のカナダでカフェテリアを利用していたら、どんどん太っていった。

 

その時、食との相性や大切さが、理屈でなくわかったという。


 「洋食やお肉ばかりだと、どうしても体がしんどいんですね。

 

それで、寮の部屋でお米だけ炊いて、お豆腐をおかずに食べるようになりました。

 

今思えば、あれが私の料理の原点かも」

 

 ひとりの休日は大好きな美術館へ。夫が上京した日は、エスニックなど地元にないレストランを楽しむ。


 蒲田の街の気取らなさも好きだ。


 「なんならジャージーで歩けるような(笑)。

 

山手線の内側って普段着で行けないイメージありませんか?

 

 メイクもちゃんとしなきゃ。品川から向こうにいくときは、身なりをきれいにしなきゃと、緊張しちゃいます」

 

 東京という都市を独特の距離感で見つめる視点には、かつて狭い空に心を痛めたころにはないゆとりがある。

 

 また、島根に帰って気づく変化もある。


 「若い頃は田舎の“詮索(せんさく)”が、気になりました。

 

でも歳を重ねると、井戸端会議をする人たちも、私の子どもの頃を知っているおばちゃんたち。

 

どんな人か知っているから気にならなくなりましたね」

 

 試行錯誤をしながら、自分の生きる道を模索してきた彼女は最後にきっぱり言った。


 「今はテレワークもできる。どんな地方にいても、女性が希望を持って働ける世の中になって欲しいです。

 

地元で履歴書を送っても送っても落ちた経験は忘れられません。

 

多くの地方には経営者や自営、

 

何らかの資格を持った女性はいますが、私くらいの年齢の会社勤めはほとんどいません。

 

夫が転勤になれば仕事をやめてついていく。

 

どんな女性も、自分の技能や資格を最大限に発揮できるところで、働けるといいですよね」

 

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