認めるか、認めないか。

その間があるってことを
どうしても説明できずにいました。


納豆、どうやって食べますか?

もちろん、納豆が嫌いで食べない人もいると思います。


うちの実家(=オカン)は、

納豆+ネギ(青)+卵黄、です。

それに対して、弟の奥さんは、

納豆+ネギ(白)+全卵、です。


私はかなりケースバイケースで
冷蔵庫の中身との相談。

ネギ(青)が常備できているとは限りません。

卵も卵黄だけ使ったとしても、
卵白を後から使うとは限りません。

なので、ネギの有無、卵の有無、
卵黄か全卵か、いろいろです。
さらに、ご飯だったり、そうめんだったり、
パスタで使うこともあります。

溶けるチーズと食パンがあれば、
納豆トーストもアリです。
(アボカド混ぜると最高~♪
この場合、マヨネーズがポイントです。)

オクラを刻んで混ぜるのも好き。
これはそうめんの時が多いかな。


ちょっと脱線しましたが、
なにが言いたいかと言うと、

納豆に白ネギを使う人を認めても、
納豆に全卵を使う人を認めても、

自分は青ネギを使い、
卵黄を使ってOK、だということ。

相手に青ネギを使わせ、
卵黄にすべき、と強要する必要もなく。

お互い、好きにすればいいのです。


「相手を認める」って言うと
相手に服従して、
相手のやり方を踏襲しないといけない、と
思っていないだろうか。

自分のやり方と、相手のやり方、の
二択で、絶対どちらかに合わせないといけない、と
思っていないだろうか。

どちらが正しいか、で争っていないだろうか。

どちらも正しい、って成立しないのだろうか。


相手は相手で好きにすればいい。
自分は自分で好きにすればいい。

相手のやり方は間違ってない。
自分のやり方も間違ってない。

相手のやり方を否定しない。
かといって、自分のやり方を否定することはない。

相手のやり方に合わせる必要はなく、
自分のやり方を相手に強要する必要もない。


あ、これって、断捨離の「離」の感覚?



会社で、違う部署に、周りにも
自分と同じやり方で仕事をすることを
強要する人がいました。

私は部署も違うし、
お客様の種類も違うので
違うやり方で仕事をしていましたが、

それはその人にとっては
私が同じやり方をしないだけで、
自分のやり方が、ひいては
自分が否定されていると
感じてしまっていたようでした。
(不安なタイプだったんでしょうね)

大人ってこんな子供じみた嫌がらせをするんだ、と
ビックリするくらいの嫌がらせを受けました。

渦中にいた頃は
何故、嫌がらせをされるか
しばらくわかりませんでした。

上司に間に入ってもらって、
私はその人のやり方を
否定するつもりはまったくなくて、

お客様の種類が違うから
違うやり方をしている、

もし、同じ種類のお客様であれば
その人のやり方は正しいと思っている、
(ちょっとヨイショも含む)
と伝えてもらったら、
嫌がらせは落ちつきました。


正しいか、正しくないか、で判断しちゃうのって怖いですね。


納豆に入れるネギは
青ネギ派も白ネギ派もどっちも正しい。
青ネギ派だったとしても、
白ネギしかなければ、
その時は白ネギを使ってもOK。

相手が白ネギでも否定せず、
だからといって、
自分が白ネギにする必要もなく。


納豆の食べ方だけで
こんなに選択肢があるのに、
仕事の仕方なんて、人それぞれ、
さらにお客さんによって変わるのにね。

ま、ネギの色が違うだけ、
卵を入れるか入れないか、
卵黄か全卵か、で
自分を全否定された気分になる人は
いないと思いますが。


0か100かじゃなくて、
間があるということ。


断捨離をしてからは、離のスタンス、
すなわち俯瞰したスタンスを
取れるようになってきたかな。

他人にエラそうに言えることではないけれど、
最近、脱出したばかりだからこそ、
実体験を持って言えることかも。