不動滝の上に不動明王が祀られていて、ここに袈裟だけが川を遡ってきたお坊さんも合祀されてます。霊神というのは御嶽講の先達さんが亡くなるとつく尊称ですが、この智證というお坊さんは都から来てお寺を構えていたようです。のぼり旗の「大前」という言葉に身が引き締まりますね。



 不動明王の祠は少し高いところにあり、後ろの木は岩に根を張って育ってます。大昔は行場だったそうですがその頃はまだ観音滝はなく、不動滝は滝行は無理なのでここで瞑想とかしてたのかな?  飛騨小坂の巌立峡の三ツ滝は円空上人がほとりで瞑想したとあり、やはり滝を浴びるのでなく水音と澄んだ冷気が行場にふさわしかったかと。滝じたいでなくその近くも煩悩を祓い心身を清める場所だったよう。


 二童子を従えた不動明王坐像。滝のそばにとても多く、古くからある所は昔は行場だったんじゃないのかな?  インド由来ですがいちばん像を造って奉じてるのは日本だそう。滝には不動滝という名前がとても多いけど、日本人の心性に合う明王なのかなと。恐ろしい憤怒相は慈悲のあらわれで、迷える人間を羂索と呼ばれる投げ縄で捕らえ、倶利伽羅剣で煩悩を断ち切るとされます。母親が車道に飛び出す幼児を捕まえて叱りつけるような感じすね。修験者の本懐は不動明王との一体化ですが、「明王まではまだ煩悩がある」とも言われ、菩薩や如来ほど遠い存在ではなかったんすね。大日如来の化身でもあるけど、地蔵菩薩のように衆生に近いものです。


 祠の左隣に東屋があり、ここが谷底の突き当たりになります。木が茂っていて景観はあんまりかな。


 不動滝の淵から溢れた水が里まで下っていくところ。まだまだ狭い峡谷がしばらく続きます。


 ここから「袈裟よどみの淵」を見ると多少は明るい。けど水に穿たれた洞穴の影が濃く、底も見えないので深さはかなりあると思います。あの洞穴はどのくらい奥行があるのかな? ずっと奥まで続いてるようにも見えますね。


 そちらとは対照的に水の青さが際立つ観音滝の淵と、その奥からの流れ。晴天だと虹が出る事もあり、青い淵がもっと鮮やかです。ここの花崗岩は本来は灰白色で、同系色の流紋岩も多いので水の青みが際立つのかも。石灰岩の多い山県市の神崎川とはまた少し違う澄んだ青さです。


下りてきた観光客と入れ替わりに引き返す。この巨岩には盃状穴っぽい穴がいくつも空いていて、これは人為的な穴じゃないだろか?といつも気になります。


 線刻と言われるとそう見える筋も入ってる。岩は自然に窪みができたり亀裂や節理が現れるものだそうで、人為的なものかどうかは考古学調査で見分けられるとか。東濃だと恵那市の笠置山はふもとから頂上にかけて盃状穴や線刻のある岩が多く、古代の雨乞いの祭祀の跡だと言われます。ここは調査はしてないようで、ひょっとしたら・・・って感じですね。神が降りたり宿るとされる磐座なのは間違いないと思うので、ロマンが膨らみます。


 また螺旋状に階段を上る。谷底の冷気ともここでお別れで、今度は登りになるので汗をかきます(涙)


 分岐から吊り橋へ。もうひとつの仙樽の滝には行けないと思うけど、こちらにはタマアジサイがあるので咲いてないかなぁ?


 橋から見下ろす上流側。木の枝が覆いかぶさる形になっていて、これはこれで良い彩り。流れは仙樽の滝のところで広いカーブになっており、そこから観音滝の下まではこんな感じの渓流です。


 橋からだと観音滝はこう見えます。今は青葉が多いのでこちらからの眺望はあんまり。


 橋を渡ると野趣あふれる遊歩道。この先にも東屋があり、そこが仙樽の滝への入り口です。


( * ̄▽ ̄)v- タマアジサイのつぼみ。まだやっとつぼみが出始めたところでした。この間は奥の川原の自生地がこのくらいだったので、そちらは開花が期待できるかな?


 この道ならヒルの心配はあまり無し。けど足元は滑りやすいのでヒールやサンダルは危ないかもです。


 これは何という虫だろう? 白いヤマアジサイに蜜があるのか、色のコントラストがいい虫が乗ってました。カミキリムシかな?


 やっぱり通行止めのままだった。ここから川原に下りて仙樽の滝に行くのですが、なかなか道が復旧しません。


 この先で川がカーブになってて、岩壁の向こうに滝があるのですがここからでは見えない(涙)  幅広くどっしりした滝で、水量が多いと水煙は少し見えるのだけどこの日は見えませんでした。